This is 嵐①

この序章は、卒業課題が終わった時に書いた。これで、学生としてやるべきことがやっと終わったのだ。だから、やっと胸の内を話すことができた。
そう、嵐の活動休止前のフィナーレを飾った2020年12月31日のライブ、「This is 嵐 LIVE」前後の気持ちを。

年が明けてから課題その他諸々に追われていた私は、ずっと嵐について考えないようにしてきた。というか考える時間がなかった。考えるのなら、きちんと時間をとりたかった。だからThis is 嵐のパンフレットを読んでいたら、蓋をしてきた気持ちが溢れ出してきて、ちょっと涙ぐんでしまった。2月中旬の話である。



【苦しいほどに、好きだったよ。】

前回ブログを書いたのが、おおのくんの誕生日の少し後だったから、12月に入ってからどのような気持ちでいたのか、言葉にしていなかった。

私はブログの下書きをWordにしたためているのだけど、正式な下書きとは別に、殴り書きしたような(手書きじゃないから殴り書きじゃないけれど、衝動的に書いたような余裕のなさが感じられて、あえてこういう表現にしている)メモが残されていた。


12月2日
12月になった。早くも私は鬱々としている。
何なんだろう。この気持ち。切なくて、苦しくて、泣きたくて、でも笑ってしまいそうなほどに不安定な気持ち。
大丈夫だと思っていた。本当はこんな、自分の範疇に嵐を入れる予定なんてなかったのに。入れてしまった。
後悔している?
後悔はしていない。
だけどこんな、苦しいほどに好きになってしまった。
好きって、異性云々なんかよりもっと。尊敬とか、憧れとか、もっともっと、人として大きい感情をこの人たちに向けている。
泣きたくないよ。もっと笑っていたいよ。


切羽詰まったような言葉たち。正直に言えば、12月初期の私は嵐の活動休止を怖がっていた。

気象における嵐というものは、やってくればやがて去ってゆく。           同じようにこの人たちも、彼方へと儚く消えてしまうのだと思っていた。頭では彼らの永遠を望み、信じようとしても、結局心はついていってくれない。
それまでと変わらず、不思議なぐらいに前を向き、笑顔を見せ続ける5人に、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。刻々と迫りくるタイムリミットに、年端もいかない子どものように嫌だ嫌だと、泣きじゃくることしかできなかった。

ただ、今も大して変わらないのだけど、私は彼らに「絶対」を求めたくなかった。いつからか、それをかたく決めていた。

「休止しないで」「また戻ってきて」…。

心の奥ではこういう言葉たちがくすぶっていたこともあった。でも、この言葉たちが喉から出かかるたびに、ぐっと飲み込んできた。

私の小さなツイッターアカウントを見ている人なんて、そう多くないと思う(フォロワーさん、いつもありがとうございます)。でも、もし何かの拍子に彼らの目に触れてしまったら。                そんなのおまえがおごり高ぶっているだけじゃないか。そう思われてもかまわない。でも、「万が一」が起きてからでは遅い。SNSなんて誰でも見られる分、意図せぬところでも簡単に言葉が届いてしまう。たとえ「いいね」やRTなどの反応がなかったとしても、見ている人はいる。実際、ツイッターを始める前の私は、ブラウザで好きなアカウントをチェックし続けていたのだから。

「戻ってきてほしい」「また会いたい」。 こういった言葉についてもまた、「絶対」の意味をつけることはできないとは思う。正直に言わせてもらえば、私は良いとも悪いとも言えずにいる。

また会えたらどんなに嬉しいことだろう。多くの人たちがその帰還を喜ぶだろう。私だって、私だって…。

そう思うたびに、やはり「絶対」「戻ってこい」とは言えない、と思う。       休止前の5人は年末に向けて、とにかく目の前にあることに全力を尽くしていた。そんな彼らに、休止後のことを今から約束してもなあ…と思ったのだ。

嵐を畳む。その決断は、単に活動をしないということだけで成り立つわけでもないのだろうと。この時はまだ見えないと語る彼らだったけれど、嵐という船を降りた時に見えてくる、それぞれの未来のために決めたことでもあるのだろうと。

そして今でもその思いは変わらない。実際、それぞれの船に乗り換えて、それぞれがその未来を歩み始めた。その未来の船着き場がどこになるのか、それは誰にも分からないと思う。5人にも分からない可能性があるのだから、5人以外となるともっと見当がつかない。

もちろん、その旅路の途中で、ふとファンのことを思い出して戻ろうかなあと思ってくれたら嬉しい。              けれど、ファンが彼らを縛る存在ではあってほしくないのだ。            数ある彼らの未来の判断の中には、納得できないという声が上がるものもあるかもしれない。                  

もし、万が一そうなったら、その声を振り切ってほしい。              

実のところ、私はこれぐらいの気持ちでいる。

その「判断」については明言しないし、やっぱり私には分からない。私の本音というか、願いを表す術が他にないので、こういう表現になっただけだと思ってほしい。

何でもすんなり受け入れることが正義だとは言わない。これはあくまでも私の意見であるだけだし、これを自分の外に出して良いものかと迷った結果、思い切って、しかしあえてこのダラダラとした文章の中に埋め込んでみたのだ。

それに、十人十色、色々な思いがあって当たり前だと思う。            「こんなこと思うなんて、自分は駄目なファンだな」。               休止前にも休止後にも、このようなニュアンスのことをつぶやいている方を度々見かけた。                  そんなことないですよ、と言いたい。   それにその思いを汲み取った限り、表現は違えど、どの方も嵐を本当に大切に思っているのが伝わってきた。           だから、他の人と違うからといって、どうか自分を卑下しないでくださいね。

上記のように言っておきながら少しだけわがままを言わせてもらえるのなら、ファンとしては寂しいとも思う。向く方向が違うと実感することは、仕方がないのだけれど、寂しい。だからといって、彼らの人生を操作する存在にはなりたくない。         彼らの人生は、彼らのものだから。

そう考えると、ファンってとても遠い存在なんだな、と思わされる。あんなに日常生活に溢れていた、近くにいるような気がしてしまうことが魅力だ、なんて言われる彼らでも、うんと遠くにいたことを知ってしまった。

近くて遠い。正反対の意味を持つこの言葉がくっついてしまう。そんな人たちだった。


さて、話が少し逸れたので、12月の私の話に戻ろう。                とにかくこの頃は寂しさと共に感謝の気持ちで溢れていたことは間違いなかった。毎日毎日、起きた時、眠る時、「嵐さん。ありがとう。どうか、彼らにたくさんの幸せが訪れますように」と思っていた。

以前の私のnote↓


こちらを読んでいただければ分かるとは思うが、本格的にファンになるずっと前から、私はたくさん、彼らに救われてきた。

彼らとの出逢いはいつだったのか、正直憶えていない。気づけば周りにファンが増えていた。                  そんな中、はっきりとした出逢いの記憶が始まるのは、地元の小さな雑貨屋さんの片隅に置かれた、小さなステレオからいつも流れていた歌の数々。             そんな想い出の雑貨屋さんは、もうない。 ありふれた日常の中にあったはずの、あの可愛らしいお店が、今は本当に恋しい。   そして嵐の歌声を聴かせてくれたことに、心から感謝したい。

思えばその後、嵐の話題を聞かない日はなかったように思える。

嵐ファンの多い友人たちとふざけ、笑い合った中学時代。

従姉夫婦に向けて『One Love』を歌った高校時代。

前期試験に落ちて心折れた時、ウォークマンから流れてきた『果てない空』に背中を押された後期試験前日。浪人を覚悟できたのも、この歌のおかげだ。

インターン留学最終日に知った、嵐の活動休止。日本は終わってしまうのか?とすら思った。                  そんな時、今は亡き父が、「記者会見、5人とも大人な対応だったよ」という言葉と共に、LINEで新聞の写真を送ってくれた。  明るくないはずの記者会見、こんなに笑顔で〆たのは後にも先にも彼ら以外いないんじゃないか、と驚くと共に、とても嵐らしくて、「あ、嵐は変わらないな。たぶん2年経ったその先も」と思えたことを憶えている。

そして彼らが活動を休止する2020年。これだけ日常に嵐の想い出を抱えてきた私が、ついに自他共に認める(?)「ファン」になった。それもやはり、感謝の気持ちからだった。

上手くいかない就活とコロナの流行が重なり、さすがの(?)私もかなり追いつめられていた。                面接は通らない。家には誰もいない。友だちにも会えない。不安で眠れない。やっと眠っても夢の中で面接官に問いつめられている。昼夜逆転し、胃の調子もおかしくなっていった。何のために食事や睡眠をとるのか、本気で分からなくなった。胸が張り裂けそうになって、ベッドの上でもがき苦しみながらボロボロと涙を流した真夜中。

そんな時、小さな雑貨屋さんが教えてくれた、優しい5人が手を差し伸べてくれた。

自分たちも活動休止前最後の年に思うように活動できないことがつらいだろうに、できることを見つけ、日本を明るくしてくれる彼らの姿に、胸を打たれた。

毎週更新される紙芝居がどれだけ楽しみだったことか。               それだけが、十分1週間を生きる理由になった。

眠れなくて苦しい夜に聴いた、『君のうた』と『カイト』。             そのあたたかい歌声が、「一人じゃないよ」と言ってくれているようで、本当に、本当に救われた。               その優しさに、涙が止まらなかった。

くじけそうになった時、スケジュール帳に彼らの言葉を書いた。           どんな苦境も、自分らしさを見失わずに諦めなかった人たちだからこそ言える言葉。  優しく包み込むものも、ガツンとカツを入れてくれるものも、全てが試練に立ち向かう力になった。

こうしていつしか、私は「ファン」になった。彼らを尊敬し、憧れた。「こういう大人になりたい」。そう思わせてくれた。   見えずにいた未来が、一気に目に飛び込んできた瞬間。私は無事に就活を終えることができた。

「ファン」になる以前から観ていた「嵐にしやがれ」と「VS嵐」の見方も変わった。冗談抜きに、彼らが眩しく見えた。

そして初めて観た、彼らのライブ、「アラフェス2020」。なぜか同じタイミングで「ファン」になった7年来の友人と観た。   YouTubeの「Untitled」といい「アラフェス2013」といい、こんなに凄いものをこれまで見逃してきたのかと悔やまれるほどに、世界の輝きを全て集めたかのようなパフォーマンスをする彼ら。時には笑い、時には涙した、初めての嵐のライブ。          一生、忘れないだろう。

嵐に救い上げられた12年近くの月日。彼らへの想いを表現できるとしたら、きっとこの言葉なんだろう。


ありがとう 君といたすべての奇蹟に


『Song For You』の一節だ。

こんなに「ありがとう」で溢れているのに、伝えても伝えきれない。だから逆に、この歌詞を送らせてほしいと思った。


嵐の5人へ。私はファンになるずっと前から、あなたたちにたくさんの幸せをもらっていたんだ。

ありがとう。嵐といたすべての奇蹟に。



(This is 嵐②へつづく...)