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11/26 嵐 生きていてくれて、ありがとう。

11/26、0:00。ライブフィルム公式Twitterに、一足先に4人でカウントダウンが始まっていた5×20の動く画像に、いよいよ大野智が現れた。Happy Birthdayという、お祝いの言葉と共に。

そしてTLにも、彼の誕生を祝う独特のフレーズ、「いつも生まれてきてくれてありがとう」「お母さんいつも産んでくれてありがとう」などと共に、熱いメッセージや素敵なイラストが次々と投稿され、ほっこりと幸せな気持ちになる。             それだけでも十分幸せだったというのに、誕生日を迎えた本人にビッグサプライズを仕掛けられるとは、まだこの時の私は知らなかった。


この日はライブフィルムの全国公開を記念して、各地でライブビューイングが行われた。朝は北海道(我が故郷!)、夜は沖縄と、1日でとんでもない距離を移動して見せたのが、我らが櫻井翔。よく彼は、一体何人いるんだろう?と思わせるほどに飛び回っているイメージがあるが、それにしたって本当にご苦労様でした。
私は残念ながら仕事で観ることは叶わなかったが、後々読んだレポートで、「4人の想いも背負っているから」というしょおくんの言葉にグッと来るものがあった。「嵐」の想いを背負って、疲れているだろうに明るく笑うしょおくん。心から感謝を述べたい。   (まあそんなしょおくんの胸元に輝くダイヤ型の「青い」ブローチに大興奮していたのが現実だが)(山担なので)


というわけで、私が一旦確認できたのは、嵐の公式Twitterが稼働し、4人、いや、正確に言うとおじゅんが呟く直前までだった。雪が降り積もる旭川にて櫻井エルサ状態のしょおくんと、楽しそうに会話するにのあい。
なんと無惨にも(?)、私はこの後仕事で23時過ぎまでTwitterを見ることができなかった。 ...ただ、1回途中でチラッと見には来た。

すると、公式Twitterに一瞬、「智」の文字が見えた。               ん?見間違い?ん?となった所で、また無惨にも(?)仕事に戻らねばならなかった。


結局、私がTLを遡った上できちんと公式のツイートを見れたのは、ほとんど日付が変わる頃。


...確かに、そこに「智」がいた。   「智」が、呟いていた。         そこでもう、泣きそうだった。
懐かしかった。             去年まで当たり前だったTwitter上での嵐の会話が、そこにあった。          他の4人がなんだかいつもよりウキウキしているのが、文面からでも伝わってきて、嬉しかった。


けれど、大野智がくれたサプライズは、こんなものではなかったと思い知らされる時が来る。


FCメールが来ていたのはなんとなく把握していて、これこそ一体何だろう?と思っていた。動画を開くと、11/3舞台挨拶後の4人がニコニコしていた。そして流れで、お〜のくんの誕生日を祝う、いつもの動画だと分かった。FC歴若干1ヶ月の私も、あ〜これがいつものやつ〜!とニコニコしていた。
でも、主役はお休み。その主役を想って、4人でお祝いするのだろうな、と観ていた。 が、なんだか流れがそうでもなくなってくることに気づく。


おじゅんが、お〜のくんに電話をかけ始めたのだ。                え、ま、まさか。            まさか、出るのか??


......(発信音が鳴る中見守る私の沈黙)

......出ないんか〜〜〜い!!

やっぱ、ね、そこまで、ね、そんな、まさか、ね、ってまたかけるんか〜〜〜い!!ノリノリだな4人?!

......(再び見守る私の沈黙)

......やっぱりダメか〜〜〜い!!

せめて、ね、そういうフリだけでもしてくれたのかな、うん、ありがたいね、うんうん。

と私が嵐とリモートで漫才をやっている(?)と。


?!?!か、かかってきた?!?!お〜のさんからかかってきた?!?!釣れた?!?!(魚じゃないんだから)


...そう、大野智から、電話がかかってきたのである。                私が呼吸を整える間もなく、通話ボタンを押すおじゅん。


...FC動画なので詳しいことは控えるが、本当に、まさに夢のような時間が、一気に流れ出した。
実に、1年ぶりに聞く、優しく穏やかなお〜のくんの声。そして、それに応える、4人の嬉しそうな顔。


ずっと、「寂しい」と言えなかった。寂しい。会いたい。帰って来て。それはまるで、「絶対」を求めてしまうようで。
お〜のくんも、4人も。嵐が涙するほどに悩んで苦しんで、それでも決断したこと。命がけの決断。それを、大事にしたかった。

ただ、彼らが決めたことに着いていきたい。そして、その決断を「悲しい」とは言いたくないし、充実したものであってほしいと願っていた。
どこにいても、何をしてても、ただ、幸せでいてほしいだけ。
だから、寂しくて、会いたくて、帰って来てくれ、と、この1年、思うことすら自分に許さなかった。このスタンスは、これからもTwitterという多くの人の目に触れる場では崩さないと思う。


でも、この辺鄙な場で、少しだけ言わせてください。

寂しかった。              本当は、寂しかった。          というより、1月1日から、どんどん寂しさが増してきた。

メンバーそれぞれの番組、たまに聞こえる別のメンバーの便り、様々な情報の解禁。実のところしみじみと振り返る間もないぐらい、嵐はこの1年「休止って何だっけ?」というほど供給し続けてくれた。それに加えて私自身、まだ1年ちょっとのファンということもあって、新しい経験を沢山させてもらった。コンサートのDVDを買って観たり、メンバーのドラマを追いかけたり、聴いたことのない歌に出逢ったり、FCに入ったり。

だから、寂しさに気づかなかったのかもしれない。


...でも、お〜のくんの声と、4人の顔を観ているうちに、とんでもなく涙が出てきて、寂しかったことに気づいたんだ。       このシーンに出逢いたかった。                      5人がずっと変わらずに、こうしてどこかで笑いあってくれてたらと願っていたし、実際そうなんだと信じていたことは確かだった。 でも、この目でそれが本当だったんだと確かめられて、ほっとしたんだ。


おじゅんは、最近になって姿を見せることが多くなってきたので、その様子をうかがう間もなかった気がする。あの年末から、穏やかに気持ちを昇華していったのではないだろうか。                  それでもやっぱり、どう思いながら過ごしているんだろう、と気になっていて。

にのは、ずっと落ち着いていたように見える。あの年末から間もないにのみやんち。なんだか、物凄くほっとしたのを覚えている。でも、ぶいろくさんたちのコンサートに行ったじゃにの。涙ぐむにのを見て、彼が落ち着きの中に隠していたのかもしれない淋しさに、思うところがあった。

あいばくんは、緩やかに進んでいたと思う。体調を崩してしまうほど疲れもあったと思うけれど、なんとなく元気がないように見えた初めの頃。ずっと元気印、という印象のあった彼だから、なおさら。         年を重ねて落ち着いたのかもしれないけど、ずっとはしゃいでいるような、少年みたいだったあいばくんは、様々な番組を引っ張って、皆のお兄ちゃんになっていった。もちろん、どんなあいばくんも好きだ。でも、懐かしくなってしまうのだ。嵐のお兄ちゃんにも弟にも挟まれている、真ん中の年の彼が。

しょおくんは、ずっと、寂しそうだった。しょおくんが誰かと対談して、嵐として、嵐の話をするのを聞くと、あまりにも切ない顔をするので、たまらず泣いてしまうことも多かった。                 ぼや~じゅを見返していて分かったこと。フィナーレに向かって、しょおくんは「あの日」が来てほしくない、と口にすることが多くなっていったのだ。そして、「あの日」の最後に、滅多に泣かないしょおくんが見せた、一筋の涙。あれがずっと頭から離れなくて、力強い言葉で話すしょおくんは健在だったけど、大丈夫だろうかと勝手ながらずっと心配だった。


そんな4人が、お~のくんと話す顔は、この上ないぐらい幸せそうで、嬉しそうで。  楽しそうに思い切り笑うおじゅん。    いたずらっ子のような顔で聞いているにの。かなりテンションの上がった様子で話すあいばくん。                慈愛に満ちた表情で耳を傾けるしょおくん。

嬉しかった。本当に幸せだった。姿の見える4人が、こんなに笑顔になっている光景に立ち会えて。


お~のくん。              電話に出てくれて。            FC動画だって分かっても喋ってくれて。  ゆっくり過ごしていてくれて。      本当に、本当に、ありがとう。      だって、お休みしている人なのに。    こんなに喋ってくれる。         こんなに私たちを喜ばせてくれる。    誕生日の人なのに。

こっちがプレゼントもらいすぎたよ…。

舞台挨拶の時のお手紙で思ったこと。   ソファでゴロゴロすることはそんなにも珍しいことなのかと。            想像もできないぐらい、慌ただしく駆け巡る日々を経て来た人。           好きなだけゴロゴロしてください。    好きなだけカレー作ってください。    好きなだけやりたいことやってください。 あなたがどこにいて、何をしていたって、幸せに生きていてくれれば、と願って止みません。


ずっと蓋をしてきた寂しい気持ちが溢れ出して、声をあげて泣いた。

それと同時に、今年の出来事がふいによみがえってきて、ここまで生きてきて、本当に良かったという涙も出てきた。


今年の3月、膵臓癌で父を失った。私の誕生日の1週間前だった。          しばらくは事態が飲み込めなくて、感情を失っていた。でも、4月頃からだんだんと、息苦しくなってきた。           幸せそうな父と娘の親子を見ると、醜い感情が溢れ出て来て、足早にその場を立ち去る日々。嫉妬だ。なぜ私の父はいないのに、あの娘には父がいるのだという、黒い感情。 加えてこれまた不思議なことに、バラエティー番組を目にすることができなくなった。楽しそうな世の中から、目を背けていた。  3ヶ月ほどその状態は続いたけれど、やがて気持ちは穏やかになっていった。そうして、今の、ありのままに事実を受け入れるフラットな状態になった。

そしてどこか、自分は幸せになってはいけないのかな、と思うようになっていた。   抗がん剤が効かなくなっても、死にに行くような人には見えなかった父。       春になったら散歩に行くんだと言って、新しい帽子と靴を買って、新しいスマホも手に入れて、新しいクレジットカードも作っていた父。                  そんな、どこまでも生きていたかった父が、迎えることのなかった春。        父が見れなかった未来を見て、幸せになるって。                  幸せになってほしかったのは父なのに。

幸せになんて、なれない。        

そう、諦めていた。


...この動画を観て、思った。      

私、こんなに幸せになっていいの?と。


嵐はいつだって、支えてくれた。     

眠れなくなるほど苦しかった去年の就活も、嵐の強く優しい生き方に背中を押されて乗り越えられた。              その支えがなかったら、きっと2020年は私の人生から切り捨てられていただろう。

今年もそうだった。          「5人」の形ははっきり見えずとも、どこかでずっと、側にいてくれていたようだった。その存在が、心にずっと生きていてくれた。

世の中に耳を塞いでいたような私が2021年を嫌いにならずに済んだのは、嵐のおかげだった。

私、幸せになって良かったんだ。     

だって、こんなに幸せなんだもの。

また「5人」に逢わせてくれて、ありがとう。

2021年、生きていて、良かった。

本当に、良かったよ。


大野智さん。お誕生日おめでとうございます。                  どうか、これからも、嵐の皆とずっと、笑いあっていてください。

いつも、生まれてきてくれてありがとう。