日米の比較・すれ違う心と花を贈る心(映画編)
1.序文
「Shall we dance?」
軽やかなステップで1月をスタートするために
ダンス映画(米国制作)をピックアップ!
(年末記事でも、テーマ曲を伏線のように取り上げてます)
最近なら「ラ・ラ・ランド」が記憶に新しいところですが
「花を贈ること」をテーマにするなら、この映画です
(理由は後述します)
それなら一緒に……と
米映画の原作「Shall we ダンス?」(日本制作)を
観てみたところ、意外な面白さを発見!
今と異なる時代背景、役者さん達の人間味ある演技
「恥」を気にする日本人らしさに共感しながら
ホッと優しさに包まれるような作品
それだけでなく
日米映画で異なるシーン(表現・価値観の差)があって
わかるわかる……と、好奇心をかきたてられました
それが花贈りのヒントにもなりえると
この記事では
日米2つの映画の違い(特徴的シーン)から見出した
恋人・パートナーへの
花贈りのポイントをまとめてみました
2.「Shall we ダンス?」あらすじ<ネタバレあり>
(作品について)
1996年、社交ダンス教室を舞台にした周防監督(脚本)作品
主演正平役は役所広司さん
ダンス講師舞役は当時バレリーナの草刈民代さん
日本アカデミー賞他、数々の賞を受賞、世界19各国で公開
アメリカでは、アニメ映画以外で日本映画の興行収入記録を更新
その人気から、8年後の2004年に原作をリメイクした映画が公開
主演ジョン役はリチャード・ギア
ダンス講師ポリ―ナ役はジェニファー・ロペス
米リメイク版では
登場人物の設定が異なります
主人公の正平(サラリーマン)→ジョン(弁護士)
奥様は主婦(13年ぶりに仕事復帰)→奥様はキャリアウーマン
※ダンス講師の舞とポリ―ナのダンスを始めたきっかけが違ったり
ジョンに息子がいたりします
ただ、原作へのリスペクトから、多くはストーリーに忠実
主人公が感じる「幸せなはずなのに何か満たされないもの」
それが、ふとした瞬間に(美しい女性を見て)触発されて
家族に内緒でダンスに傾倒していく
愛とユーモアある作品という点では、共通しています
異なる部分として……
主人公が「人生に満たされないもの」を
どうとらえて、どう行動していくか
文化的背景やコミュニケーションの違いが
顕著に表現されています
ここは、変えざるをえなかったとすれば
そこに米国らしさ、こだわりが表現されている!
と思ったのですが
アメリカ大陸に行ったこともないCallaこと
一部、参考書籍から裏づけも取りました
3.日米比較・パートナーへの花贈りのポイント<ネタバレあり>
①すれ違いのパターン
【映画引用1】自分とのすれ違い(恥の捉え方)
正平は、周りの目を気にしながら、ダンス教室に入る
→(周囲に)恥ずかしいことをしていないか……という気持ち
ダンス教室では
腰が引けておどおどしつつ、先生に倣って懸命に踊る
パートナーの女性がじれったくてリード
失敗して逃げてしまうことも
ジョンは、何を考えているんだと自問自答しながら、教室に入る
→(自分が)恥ずかしいことをしていないか……という気持ち
ダンス教室では、ぎこちないダンスで倒れたりしながらも
恥ずかしがらず平然と、失敗しても上手くなろうと奮闘
【映画引用2】奥様とのすれ違い
正平の奥様は、たまには飲んで帰ってきてもらわないと
気が引ける(悪い)と言いながら、遅いとそれはそれで心配
どっちつかずの発言を娘さんに指摘される
→お互いに言いたいことを言わず
本音が分からずあれこれ不安に、旦那さんを察する奥様
ジョンの奥様は、プレゼントに何が欲しいか質問攻め
「もうないよ」と言われて少しイライラ
でも、ジョンが欲しいもの(デートの誘い)を奥様に伝えても
忙しそうに聞き流され、帰宅も遅いため、話しあう時間もない
→お互い伝えあうも、自分の世界があって(歩み寄りがなく)
二人の共通項が見出せないでいる
✦花贈りポイント:相手に寄り添う(信用と信頼)✦
花を贈られて嬉しくないという人はあまりなく
すれ違いが起こることは少ないかもしれません
それでも、相手に喜ばれるかどうかは
「贈り方」によってだいぶ差がでてしまう
難しいのは
花を贈る相手は様々(両親、上司、部下……)なこと
価値観が大きく変化しつつある今の時代
すれ違いは、パートナーだけでなく、世代間にも大きく表れてくる
周りにあわせる意識が高い日本社会で
無理して時代にあわせよう(本音は違う)という流れも想定される
だからトレンドばかりでなく、文化的・世代的背景も配慮しつつ
個人にあわせて、花を選ぶことも大切になってきます
そのために大切なこと
信用と信頼をもとにした
2つの贈り方があります
1.マナーを理解(信用を重視)
適切に察する
相手が目上の方、ビジネスの取引先
オフィシャルな冠婚葬祭やお祝いなど
距離がある関係なら、相手の価値観にあわせて
マナーに配慮した花(花束)で
きちんとした印象で信用してもらうことが優先されます
親しい関係でも、忌避の花には配慮が必要です
(※地域よっても異なることがあるので
花屋さんにご相談ください)
2.相手を理解(信頼を築く)
適切に伝える
親しい関係(家族、友人、恋人パートナーなど)なら
相手にあわせた花(花束)を選ぶと、喜ばれます
でも……めんどうくさい
花を贈ったときの相手の捉え方(反応)も人それぞれ
好みや色、住宅事情とか
お子さんがいれば、お手入れが負担ではないかとか
考えたらきりがない
自分で花を選んで
相手がどう思うか分からず失敗するなら
手軽で万人に喜ばれるお菓子がいいかな……
相手が欲しいもの(実用品)の方が、嬉しいかなと……
無難な手段が頭をよぎる
でも、相手にあわせた花(花束)は
メッセージ性という部分で
他にはない特別な贈り物にもなります
ファーストステップとして
相手の素敵なイメージから
花や色あいを選んでみる
それを自分の感想として伝えてみるのも1つです
(例)ピンクのガーベラの明るくて優しい印象が、
イメージにぴったり……など
たとえ相手の好みではなかったとしても
その努力(心)は伝えられる
相手にも、「そんな印象を持たれていたんだ!」という
気づきを与えられるかもしれません
相手への気持ち、自分の気持ち
両方が伝わってきて、勇気も感じられます
②コミュニケーション(メッセージ)
【映画引用1】仲間と親しくなる会話
正平は、レッスン仲間の男性2人と居酒屋へ
ダンスを始めた理由は「健康にいいと聞いて……」と返答
(舞先生目当てと察しつつ)
「正直に腹割ってるの私だけですか~」と責められ照れ笑い
→秘密(恥)や弱点をさらけだしながら、少しずつ距離を縮める
ジョンは、仲間の男性2人
後にペアを組むボビー(女性)とパブへ
ダンスを始めた理由は、冗談で茶化しあい、みんなで盛り上がる
→即興音楽のようにテンポよく、フレンドリーに言葉を交わして交流
【映画引用2】女性講師を食事に誘うときの会話
正平は、率直な気持ちを、朴訥としながらも誠実に伝える
ジョンは、相手の言葉に、冗談で返したり
フレンドリーに伝えながら、どこかリードしている
(ここで、本をご紹介!)
コミュニケーションは、
文化圏の人々の価値観や解釈に大きな影響を受けると
以下の本に書かれています。
今は、日本人も仕事やプライベートで海外に行ったり
交流するケースが多くなっているので
ローコンテクストな伝え方を状況(場所・相手)で使い分ける人が
増えているように思います
そして、日本は、聞き手も空気を読む文化
話し手も相手の反応を見ながら自分の話を調整する傾向がある
その結果、何が言いたいのか?中身や目的が霞んでしまうことも
多くの方は、警戒してしまうのではないでしょうか
(TPOや本人の性格もあるため、一般的傾向として)
(日本のコミュニティでは)
一歩間違うと、チャラチャラしてる、と
マイナスの印象をもたれることが多いかもしれません
その理由として、個人的に思うのは
1. 極端な言葉のイメージ
一般的に、ユーモアより常識が重んじられる文化
唐突すぎる言葉は、テクニック的で無理な印象があったり
メディアなど定着した言葉のイメージもあって
違和感、不信感につながりやすい
2. 本音と建前の習慣(本音と言葉は別と考える)
本音は何?という感覚が体に染みついている
目的(本音)を、言葉で包み隠すこともありえるだけに
文字通りの言葉で解釈せずに、そこを察知しなくてはと思う
3. 日本人女性が求めるタイプ(傾向)
個人差はあっても、
安心感、誠実さを求める女性が多いだろうと想像する
言葉も、冒険するより、優しい言葉で
伝えた方が受け入れられやすい傾向にあるだろう
一方で、米国人女性だったら
会話のときの表情、行動を見られるかもしれない
言葉と行動が違ったら指摘されたり
それが、ちぐはぐで弱気なら……
ちょっかい出しておいて反応を待ってる?
(リードを放棄してる)という印象をもたれたり
相手に、謎(?)を残したまま
きっと、フラれる😢
同じ言葉でも
相手に喜んでもらう目的ならどうか?
(それを、言葉、態度、表情で、ストレートに伝えられたら?)
きっと、面白い!
米国でのコミュニケーションの基準は
会話の責任は話し手にあるとされるため
その目的は、曖昧に隠すものではなく
サービス精神のような、もっとポジティブな表現になる
このように言葉は、
使い方、捉え方次第という側面があります
ここまでは、「伝え方」という表面的なことですが
では、その会話の中身は?
きっと、長い目で見れば一番大切になる
でも、ネット社会の今
中身よりスピードが功を奏することも多い
いえ、それどころか
タイミングを逃したら、会話の糸口さえ掴めず埋もれてしまう
多くの人が空気を読み、もじもじしているなら
空気を読まない(読むふりして読まない)方が
椅子取りゲームに勝利する
(注)でも、皆と争って真っ先に掴んだところで
自分にとって長い目で、それが必要かもまた分からない
~だから映画のあのシーンには拍手したい~
「正平が、物陰に隠れて舞先生を待ち伏せ
あれほどもじもじしてたのに、偶然を装って声をかけ食事に誘う」
あの神業!残念ながら断られはしたけど
舞先生との距離を縮める追い風になったことでしょう
✦花贈りポイント:メッセージ✦
ところで、いくらタイミングが良かったとしても
素敵な言葉がないと記憶に残らない
そこで、花を贈る時のメッセージは、
クイックにツーステップで伝えたらどうだろう
上手く言おうとするより
短く、強く、そして温かく
一番言いたいことを、最初に伝える
「いつもありがとう」
次に、もっと具体的で自分らしい言葉をプラスする
心に余裕があるなら
即興の方がむしろ自分らしい言葉がでてくる
天から、奇跡の言葉が降りてくるかもしれない
準備した言葉より
その時の心にあわせる方が自然で
もし失敗しても、それが味になる
むしろ面白くて、記憶に残るかもしれない
(注!不純なテクニックを使えば、失敗が失敗に終わる)
③愛の表現
映画の後半になるほど
原作とリメイク版で、らしさが顕著になってきます
リメイク版では、思い切りロマンティックな展開へ
【映画引用1】奥様との和解
正平は、ダンスは所詮似合わない世界だった
もう辞めたと一方的に伝える
(ダンス仲間には、迷惑をかけたから辞めると伝える)
→正平は、現実(社会)との「折り合い」をつけようとする
奥様は、あなたの生き生きした姿を見ていたい
私も一緒に踊りたいと歩み寄る
それでも残る夫婦のすれ違いを察した娘に促されて
庭で二人でダンスを踊る
ジョンは、(奥様がいて)十分幸せだったのに
幸せを求めていた、ダンスは辞めたと伝える
君は悪くない(君を傷つけそうで、自分の中で整理できず
「伝えられなかった」こと)、機嫌を損ねた奥様に謝る
→ポリ―ナのお別れパーティ当日
奥様からのプレゼントと置手紙、用意された衣装を見つける
それに答えようと、衣装を着てバラの花を手に
仕事中の奥様の前に現れ、一緒にダンスを踊る
【映画引用2】女性講師との結末
正平と舞は、大会の前、お互い隠してたことを伝えて感謝しあう
パーティーでは、舞先生と正平、他のカップル達が
夢の世界のような美しい会場の中で踊る
その先はオブラートに包まれ、余韻を残して終わる
ジョンは、コンテストの前、ポリ―ナと情熱的なダンスを踊る
パーティでは、ポリ―ナに奥様を紹介
ポリ―ナとジョンは最後のダンスを披露して、周りも盛り上がる
その後のポリ―ナ、ジョンと奥様の様子までさらりと紹介
✦花贈りポイント:渡し方✦
原作のように、心が感じられるように
リメイク版のように、ロマンが感じられるように
それぞれ状況にあわせて花を贈れたら素敵
「心が感じられるように」なら
①のように、相手に寄り添って花を選び
②のように、メッセージを伝えて花を贈る
それは、それほど難しくないかもしれません
でも、「ロマンが感じられるように」……って
きっと難しいこと
なぜなら、「表現すること」
自分をさらけ出すことだから
かといって
無理して「君の瞳に乾杯!」って
言葉だけ伝えてもおかしくなる
ノンバーバルな部分も含めて
全体が統一された自然な表現をしないといけない……
自分の感情(本心)を、体全体で表現するような
ラテンダンスとはいかないまでも
ジョンのように
花や言葉だけでなく、服装、態度、渡す場所、渡し方……
自分の気持ちを相手に分かりやすく表現して渡す
自分ができることを1つでも取り入れてみたら
等身大のロマンを演出できるかもしれません
(自分も全然できてない……いまは理想です)
でも、こんなふうに言われそう……
「バラの花を持って現れるって、キザじゃない?」
これは、文化的背景の影響も大きいこともあります
花贈りの風習はヨーロッパで生まれて
日本には、明治時代に洋花が伝来してから普及したもの
欧米では、パートナーに花を贈ることは何も恥ずかしいことではない
それに、直径30㎝程度の大きいサイズの花束を
プレゼントに買っていったりする
(これは住宅事情もあるかもしれないです)
日本は、そもそも文化として
パートナーに花を贈る習慣がないから
何かのイベント、記念日、誕生日を理由に花を贈ったとしても
日常の仲直りで花を贈るなんて、どこか大げさに感じるかもしれません
あのバラを持ったジョンのシーンを現実に見たら
二人だけ浮ついたロマンの世界に浸ってると
眩しいものをみるような、鋭い視線が飛んできて……
そんな解釈をされることが多いと
常識・マナーとしてそれができない
→わかるわかる
(一般的に、集団を重視する日本では、
向かい風に抗うようなことは避けたいもの)
でも、それは非常識とか
そんなことする人は恥(敵)……とエスカレートしていけば
→う~ん?
それは、(二人だけ)無理して
「周りに良く思われるためにor周りを差し置いて
それをしている」
という思い込みからくるのかもしれない
でもそれが、(二人で)楽しんでる
「目の前の相手を喜ばせるためしている」と思えば
ほのぼのした憧れにかわる
まったく、受け止め方が違ってくる
文化的背景から、周りが気になってしまうのは避けられないことだし
慣れない表現を無理して使う必要もない
でも、いつのまにか、自分が分からなくなっているかもしれない
本当の幸せ……
それは、ふとした瞬間に触発される
だから、心にきちんと質問しておきたい
それは本当に必要ないこと?(必要なこと)
それは本当に無理なこと?(できること)
それをどう思うか、自分がどう行動するか
それは自分次第
どちらかというと私は①はリベラルだと思っていますが、
人と関わる②と③は、無意識に文化的な配慮をしている
そこに、日本人らしい良さもあるから
だから、それを知ったうえで、心は自由でありたい
ほのぼの温かな愛も、時にスパイスのような恋も
そこに好き嫌いはあっても
人生これが正しいと、無理に決めつけないように
色々味わえば、もっと人生潤うのではないかと思います
4.まとめ
最後に、こんな質問が飛んできてもおかしくない
「パートナーにするならどっち?」
それは、人それぞれ、人は気まぐれ
バラの花を持って現れるジョン(リチャード・ギア)を
どう思うかも自分次第
✦【きびし~い!】と叫んだ方
以下をご参考に💐
✦【がんばる!】と燃えた方
以下をご参考に💐
✦関係ないよ、自分は自分!と思った方
その想いを花束に💐
花贈りもダンスも
周りに遠慮するものでも
一人で踊るものでもなくて
目の前に相手がいる
バラの花を贈って恥をかくことより
バラの花を贈って信頼してもらえるよう
自分の気持ちを表現できたら
ダンスみたいに、相手のステップにあわせて
豊かな表現で、花を贈れたなら……心も踊る♬
いつしか、周りの目さえ気にならなくなる日を
夢見ながら☘
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