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You are here/カムフロムアウェイ雑感

 突然、何かが失われて、何かが変わってしまって、何かが踏みにじられたとして。そんな世界に放り出されて居場所を失ったひとに、「大丈夫、あなたはここにいるよ」と私は示してあげられるだろうか。


 ブロードウェイミュージカル、カムフロムアウェイを見ました。とてもよかったです。ひとのあたたかさに触れるミュージカルでした。同時にとても痛くもあって、帰ってきてからしばらく涙が止まりませんでした。

 印象的なのは、「ここにあなたはいます」という歌詞。原曲では「You are here」となっていて、意味としては「現在地」に近いのだとか。つまり空港に世界地図があって、そこに現在地を示すひとつのピンが立っている。そんなイメージではないでしょうか。

ちょうどこんなイメージ

 けれどこれがこのミュージカルでは、とても本質的な言葉なのだと思います。

※歌詞や台詞はプログラムに掲載されているもの以外はうろ覚え&原曲からの翻訳です
※翻訳には間違いもあるかと思います
※すべて個人の感想なので私の感じ方が正しいと言うつもりはありません

Wherever we are

 9.11が起き、乗客たちは突然行き場を失います。帰りたい場所に帰れず、行きたかった場所に行けず、聞いたこともないような島に緊急着陸する。飛行機に一日中閉じ込められ、不安と緊張が最高潮に高まったとき彼らは「どこであれ」と歌います。ここがどこでもいい。そういった投げやりなニュアンスが見えます。

 彼らは一時的にとはいえ、居場所を失くしたのです。「どこであれ」(原曲ではWherever we are)という言葉には、大海原に突然放り出されて遭難した人々の破滅的な心情が宿っていると思います。彼らは自分がどこにいるかわかっていません。もちろんニューファンドランドであることは知っています(ただその島がどこにあるかは知らなかったかもしれませんが)。けれど精神的に、彼らは現在地を見失い迷子になっているのです。

 ジョーイはもっと直接的にこう歌っています。「We didn't know where we were(俺たちは自分がどこにいるのか知らなかった)」

 そんな中、自分たちがどこにいるかを知っている人々もいます。たとえば機長のビバリー。彼女は夫に電話で、「地図に新しいピンを立てて。ここはガンダー」と歌います。かつてはお互いのため、そして今はきっと母親の帰りを待つ子どもたちのために、フライトのたびに「ママは今ここにいるよ」と地図にピンを立てていたのだと思います。そして彼女はこうも言います。「私は大丈夫」

 ビバリーはこの物語に登場する「カムフロムアウェイズ(遠くから来た人)」の中で、比較的冷静だった人物です。なぜなら何が起きたか知っているから、真っ先に夫に連絡が取れたから、そして彼女の居場所はコックピットだから。

 Me And The Skyでビバリーは「私の場所コックピット」と歌います(ここは原曲ではSuddenly I’m in the cockpitとなっていて、この表現も素晴らしいですがこれを「私の場所」とした訳詞もすごい)。彼女は自分の居場所がどこで、なすべきことが何か知っているから遭難することがない。だから彼女は「どこであれ」ではなく「ここはガンダー」と歌います。

 似た理由で正気を保っていたのが、ロンドンから来た石油技師のニック。彼は妻も子もおらず、機内でも仕事をしようとする仕事一辺倒の人間です。彼は隣り合わせたダイアンとこんな会話を交わします。

「せめて彼に私が今どこにいるのか教えられたらいいんですけど」
「ニューファンドランド! ああいえ知ってますよね」

 ニックがジョークを飛ばすシーンですが、それ以上に彼が地名を口にしたことに意味があると思います。ニックもビバリーと同じで自分がどこにいるのか知っているのです。連絡を取って無事を確認したい妻や子どももいない。もともと出張続きで、仕事が居場所になっている。だからニックもここがどこかわからなくなって不安になるのではなく、あくまで仕事をしようとするのだと思います。


 しかし、ビバリーやニックのような人は少なかったでしょう。曲中ではパーティーガールが下着を露出するシーンがありますが、ここは原曲では「I’ve never done that before(こんなことしたことない)」と歌詞がついています。単に追い詰められて正気を失っている、だけでなく、自分が誰かを見失っていることのあらわれです。

 また、このナンバーでは映画タイタニックの曲が引用されています。これはタイタニック号がニューファンドランド沖で沈んだことにかけた選曲ですが、同時に歌詞にも意味があります。日本語では「どこにいようと」英語では「Near, far, Wherever ya」の部分が引用されており、「どこであれ(Wherever we are)」と同じ意味になっています。乗客たちの心情が反映された引用です。

 多くの人たちが自分の現在地を見失い、自分が誰かを見失ない、不安な心情を抱えている。それが「カムフロムアウェイズ」であったのだと思います。


You are here

 そんな乗客たちに、「ここにあなたはいます(You are here)」と示してあげたのが、ガンダーの人々です。

 口で説明してあげたわけではありません(こう歌うシーンはありますがそれはオープニングとフィナーレの島民しかいない場所で歌われます)。ただ、7,000人分の寝る場所を用意して、7,000人分の食事を用意して、ときにはシャワーをうちで浴びていかないかと誘って、祈るための場所を用意してあげる。そういった、当たり前で、けれど非常事態にはとても難しいことを通して、ガンダーの人々は「あなたはここにいてもいいよ」というのをカムフロムアウェイズに教えてあげたのだと思います。

 自分がここにいる、というのを実感するためには、自分がここにいることを許されている、という安心感が必要です。そういった安心感に包まれて初めて、ひとは自分の居場所を得ることができます。

 乗客たちの心は、ガンダーの人々の寛大さに触れて少しずつほどけていきます。


I Am Here

 一方で、「私はここにいる」ということに絶望する人もいます。ハンナは、マンハッタンで消防士をしている息子のそばに行けないことに焦燥を募らせます。

 あなたはそこにいる。けれど私はここにいる。そこには隔たりがあって、どうしてもあなたのそばに行けない。

 ハンナに対し、ビューラは一緒に教会で祈りを捧げ、ジョークを飛ばします。「ここにいちゃいけない」と焦るハンナに、ビューラはただ寄り添うことで「ここにもあなたの居場所はある」ことを示そうとしたのではないかと思います。

 人の心が十分に慰められるためには居場所が必要だと私は思います。ビューラがやったことは、追いつめられたハンナが少しでも安息を感じることができるように、彼女のぶんの居場所を自分の隣に用意しておくことだったのではないでしょうか。

 そしてビューラのその行動は、たしかにハンナの心を慰めます。


At the start of a moment

 You are hereという歌詞と呼応して興味深いのは、そのあとにat the start of a momentと続くこと。日本語の訳詞では「始まりの時」となっています。

 誰であれ、今いる場所から新しく始められる。そこがどこであれ今いる場所が始まりの瞬間になる。そんな意味ではないかと思います。

 たとえばダイアン。彼女は寄付された服に袖を通したとき、「別人になったよう でも誰に?」と戸惑いながらも変化をポジティブに受け入れようとしています。

 ここがどこかわからなくなり、自分が誰かわからなくなる。けれどそれは自分を見つめ直し、そこから新しい自分になれるという意味でもあります。

 ニックとダイアンは人生の第二章をガンダーから始めました。ケビンTとケビンJは決別し、ハンナは新しい友人を得て、ボブは自身の内面に大きな変化を経験しました。

 彼らは現在地を見失い、自分が誰かを見失いました。しかし新しい人々と出会い、新たな居場所を得ることで「自分の心を見つけ」ました。「始まりの時」という言葉には、そんな意味が込められているのではないかと思います。


On the edge

 You are here at the start of a moment はあとにこう続きます。On the edge of the world(Atlantic)(世界の果て、大西洋の果て)

 ガンダーは文字通り大西洋の果てです。そして北アメリカ大陸にとっても北東の果て。もしかしたら豪雪地帯で、生き抜くには厳しい場所であることも指して「世界の果て」と言ったのかもしれません。

 けれどこのOn the edgeは、劇の中盤では「崖っぷち」というような意味で使われます。

 日本語では「瀬戸際だ」と訳されていた部分です。ここは原曲ではOn the edgeというように歌われており、Welcome To The RockのOn the edge of the worldをリフレインする形で用いられています。

 冒頭では「ここにあなたはいます(You are here)」とポジティブに歌われた「ここ」が、同時に「瀬戸際」にもなる。

 乗客たちは眠れず、飛行機は滑走路に沈みかけ、差別によるいさかいが起きる。9.11という衝撃的なできごとが、人々の精神を限界まで追いつめていきます。

 このOn the edgeという曲の原詞では、こういう歌詞があります。

On the edge of the world or wherever we are
We are ─ we are ─ we are on the edge

 「世界の果てであれどこであれ、私たちは崖っぷちにいる」。また「どこであれ」です。飛行機の中で投げやりに歌ったWherever we areがここで繰り返されるのです。この言葉からはやはり、乗客たちの焦燥と不安が感じられます。

 そんな中でも、ニューファンドランドの人々は乗客のためにできることをします。アップルトンではバーベキューをし、ガンダーではバーを開き、ビューラは息子の電話を待つハンナに寄り添います。

 アリは、ビューラのはからいで図書室やキッチンという居場所を手に入れました。ボブは財布の心配をすることをやめました。それはどちらも、「私はここにいていい」という安心感を得ることだったのだと思います。

 こうして少しずつ、乗客たちは自分が「ここにいる」という実感を得るようになります。自分はここにいる、生きている、透明ではない、人と繋がっている。それは生きていくうえでは絶対に必要な感覚です。


In the Bar

 バーに人が集まり、カラオケ大会が始まると、ドローレスは飛行機の中で歌ったタイタニックをもう一度歌います。ここで注目したいのは、実は原曲から歌詞が変えられていること。

 原曲My heart will go onは本来、以下の歌詞です。

Near, far, wherever you are

 それがカムフロムアウェイではyouがweに変わっているのです。あなたがどこにいようとも、ではなく、私たちがどこにいようとも。

 これは飛行機やOn The Edgeで繰り返されたWherever we areとまったく同じフレーズですが、私はそれまでとは違ったニュアンスを感じます。

 ここがどこであれどうでもいい。ここがどこであれ私たちは崖っぷちだ。そんなネガティブなニュアンスではなく、ここがどこであれ、私たちは今ここにいる。ここから始められる。そんなポジティブな印象を受けるのです。


You've found your heart

 9.11は多くの犠牲者を出し、世界中に衝撃を与えただけでなく、経済を混乱させ、戦争の発端となりました。たしかに何かが失われ、何かが変わってしまった。そんな事件だと思います。

 けれどそれは乗客たちにとっては、「自分の心を見つけ」るきっかけでもありました。ふっと自分がどこにいるのか、自分が誰なのかわからなくなってしまったとき、「ここにあなたはいます」と引き戻してくれるガンダーの人々のおかげで、乗客たちは自分が何者なのか知り、自分がどこにいるのかを知りました。

 だからガンダーに自分の心の「その一部を置いてきた」。乗客たちにとってニューファンドランドが新しい居場所になったから、そこに新しく見つけた自分の一部を残してきたのだと思います。

 余談ですがNewfoundland(新しく見つけられた土地)で自分の心を見つける(found your heart)というのは上手いなと思います。このfoundという言葉はクロードの「新しく見出したものを讃える」という文脈でも使われており、意識してニューファンドランドにかけたのかな?と少し思ったり。


Generosity

 世界が変わってしまって暗闇の中に放り出されたとき、「ここにあなたはいます」と私たちを世界につなぎとめてくれるのは、誰かの優しさ、思いやり、寛大さなのだとこの作品は教えてくれます。

 寛大さ(generosity)というのはこの作品のテーマです。演出家(ブロードウェイのオリジナル版の演出家でもあります)は、インタビューの中で何度もこのgenerosityという言葉を口に出していました。気前の良さ、惜しみなさ、寛大さ。そんな意味の言葉です。

 ニューファンドランドの人々は、当たり前のようにカムフロムアウェイズを助けます。それは愛というよりは、「港がほしけりゃドアは開いてる(If you're hoping for a harbor, then you'll find an open door)」というような寛大さです。誰も彼も難破して遭難して寄る辺をさがしているときに、「おいで、あなたはここにいていいよ」と言ってあげるようなあたたかさです。


 これは簡単なことではないと思います。たとえば日本の被災地でガンダーと同じことが起きるでしょうか? 「生理用ナプキンがない」と言えば「汚い話をするな」と言われるような日本で。災害の直後に娯楽で心を慰めようとすれば「自粛しろ」と言われるような日本で。ほかの国籍、ほかの人種、ほかの宗教の人たちに未だ強い偏見を持つ日本で。

 ベジタリアンや宗教の関係で食べられないものがある人たちのために食材をわけてあげたり、自分の庭のグリルが盗まれるのを見守ったり、私たちにできるでしょうか。

 この作品は、「できる」と語りかけてきます。ありがとうと言うボブに島民たちは言うのです。「あんたも同じことしただろ?」

 人は、瀬戸際に立たされたとき、人種、国籍、宗教、性別、さまざまなものを越えて誰かに手を差し伸べることができる生き物だと、この作品は信じています。私たちはその信頼を裏切ってはいけないと感じさせられます。

 一方で、アリが空港で屈辱的な身体検査を受けたように、偏見を消し去ることがいかに難しいかもこの作品は描いています。それもまた、忘れてはいけない事実だと思います。


 今世界で起こっている問題に、あなたはどう目を向けるのか。『カムフロムアウェイ』は、私たちに問いかけてくるような気がします。

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