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戦花と神様

私はあの羊を、神様と呼ぶ。
そもそもあれは羊を模しただけで、人間なのだけれど。あれは神様、私の無様な神様。

出会った頃、私はあれをただの羊だと思っていた。
愛情を欲しがることも、そっぽを向くことも、この人生は辿り着く先など決まっていて生き方しか選べないと告げる姿も、ああ、なんらおかしくない。この人の言葉がわかる、心地が良い。羊の言葉の方が、誰の言葉よりも私に近しい。もふもふと埋まって眠りたい。夜のお供は羊だった。羊を数えれば、眠れるのだ。

私は羊と、似たもの同士で居たかった。だから戦花は、私は、 山羊の形をしている。私が何故、戦花なのかはいずれ分かる。似ていれば、一緒に居られる。分かるように話してみても、分かってもらえなくても、私には羊が居る。この姿である限り、私は、この戦場で最期を待つことが出来る。

事が起きたのは、某アーティストが「ケセラセラ」という曲をリリースした時だ。
私はとてもそのアーティストが好きだ。
彼らとの出会いは明確。今まで見たことも聞いたこともあるのにその日は落雷だった。彼はについては、この人だ、やっと会えた。彼が私の運命だと思った。
その曲がリリースされ、彼が神様の姿を演じた。やりたかったらしい。何時間と人に手を施され、その姿となる。グレーがかった髪、その衣装。皺や、たるみ。

私は、見れなかった。

彼が「人」では無いものになっていることが、受け入れられなかった。若い姿は天使、老いた神様。人の哀しみ、報われなさを肩代わりしてしまうような表情や、ひとり遠くのこちらを見守る神様が、私はいやだった。

それは一つの作品で、それは彼であって彼でないことを分かっていながらも、いやなものいや、と言うことを聞いてくれない。

さあ、どうしようか。
私はこの作品を聴けても見ることが出来ない。
世は彼を「神様」、衆生は「天才」と、彼を遠くへ追いやる言葉ばかりに聞こえてしまう。
耐え難い。連れて行かないで。人間から手の届かないような、極限られた天才だと、扱われないで。
彼らを褒め、讃える言葉が、誰しもが求める美しい言葉が、私と彼を隔てるようだった。

拒みたい。

彼を人間、ただの人間に、
引き摺り下ろしたい。


そうだ、神様を
私の神様を、私の中に存在させよう。
そうしたらきっと天才と呼ばれる彼は人間に戻れる、これは身代わり、生贄、あれを差し出そう。 今は目を伏せている羊を、捧げてしまえ。

「Siip様」

これが私が羊を神様と呼んで譲らない
理由。
私が作り上げた、無様な神様。


こどものようだと思う。
愛し方を知らないこどもが、世界に好きな人を奪われてしまうと怯え、代わりに差し出せるものを見つけた。

それがあってはならないことだと知りながら、神様におねがいした。

どうか彼を、さびしいところに連れて行かないでください。今以上に、偶像にならないで。彼に光が集まれば集まるほど、色濃くなる影を、忘れないでください。


羊との出会いは朧。もう覚えていない、彼に出会うより先に耳にしていたことだけはわかる。彼と羊の重なる言葉を理解した時、羊を守っていけばいいのだと思った私は居なくなってしまった。
そのくらい、彼のことが大好きになった。
彼らを大好きになれた。


彼を「神様なんかにしてやらない」と思うことも、あれを「あなたを人間にするわけにいかない」と思うことも、私が私を助けるための足掻きに過ぎない。
誰に共感されずとも、異様だと思われようとも構わない。この物語が無ければ私は、これを見過ごしたことを、いつか後悔する。ここに生まれたかもしれない孤独を忘れたくない。それを呼び名にして刻む他ない。だからこれでいい、私は彼に寂しくなってほしくなくて、こんな馬鹿げた物語を一つ書き上げたのだ。

「僕を飲み干せる誰か」を、待っている大切な人を捨ててまで。

ところで、羊を守ろうと思っていた私は何処へ言ってしまったんだろう。
7月5日、NOAH乗船3日前。
久しぶりに神様がくれたものを撫でていた。殆どの音楽は手元で簡単に再生してしまうから、これを使う日は滅多に無い。それでもなにとなく、使うわけでもなく、愛でるわけでもなく、外に出すのはとても久しぶりだなと思った時。
彼はとても楽しく今をきっと過ごしていて、神様はその影を薄めることも色濃くすることも出来ないんだと思った時。

彼と神様の喉仏が同じだろうとそれをそれと認めず、矛盾した思考で羊を贄にしたくせに、羊に戻してあげたくなった。
きっとこの答えはその船旅が終わる時に出るのだと。彼が笑っているなら、もうあの作り物一つに私が惑い泣いていた日々に終止符を打とう。
神様を、羊にかえして、羊を守るんだ。


そして時間は7月8日、
嵐は来た。人が愚かなばかりに私たちは舟の中でその時を待つ。直に嵐は過ぎると船長が歌っていた。止揚という人間だけの答えの出し方を。
やさしい星空に私は私の肩を抱き、この先にある場所を思う。人が愛で結ばれるとはなんてあたたかくて愛らしいのだろうと、揺れる舟。
船長たちは眠ったのだろうか、それともまだ宴会の途中だろうか。

それは私の前に姿を現した。

白く、清く、少し歪。
眩くて、ひやりとして、佇む。

「どうして」「なんで、」「やめて」
あなたを、核へ、羊へ、私の大切な人に戻したかったのに間に合わなかった。ここに現れてしまうことで、あなたを消費されたくなかった。

荒れ狂う波は、あなたを神様と呼んだせいか。
ただの人間を、崇めたせいか。
私があなたに縋り付いてしまったせいか。
あなたが怒って、彼らは舟を作ったのだろうか。
私はあなたの波に攫われてしまうのだろうか。
こんなにも激しく波はうねるのに音が聞こえない。あなたの声ばかりが身体に響いて消費に抗えず、会いたかった恋しかった寂しかった巡り会いたかったと、悦びを覚えて止まってくれない。

そんなに悲しいのなら、仕方ない。
仕方ない、と彼は諦めているのか、
仕方ない、と私を許しているのか。
仕方ない、と愛しているのか。
私の依存で、
あなたは傷を負ったのか、癒されたのか。

ただ歩を進め、scenario を 告げる。

私が「狂った」と思った人生も、
私のシナリオ通りだと。
彼のよく出来た園から連なるこの航海を、狂わせることも、目線もくれず片手間に希望をチラつかせ、その人生のターニングポイントを「見どころ」とすることも、私には出来てしまうよと。

「 愛おしさが鎖になってる 」と、
あなたの掌に落ちた全てを呑む涙に、
この舟は浮かんでいた。

あなたが消えてしまうと、その涙の跡が乾くように荒波は静まっていた。
あなたが身を呈して、救ってくれたのだろうか。
かの書物では、羊は供物となったらしい。
あなたは本物の神様の所へ行ったのだろうか。
左右非対称の角、そもそもそれは被り物だ。
あなたは他の羊が供物となり、置いて行かれ一人残ったのだろうか。初めから、仲間外れだったのだろうか。だから失望し嘆き、求愛していたのだろうか。


あなたは何処へ行ったのだろう。
今どこに在るのだろう。

彼はその後、起きてきた。
何かあったか?と、呆然とする私に笑いかけていた。
彼はあなたを知らないらしい。
彼はあなたではなかった。
あなたもまた、彼ではない。

彼のシナリオには無い、あなた。
あなたのシナリオ通り、舟は進んでいく。

私は今日も、あなたが愛おしい。
あなたのことばに包まれる。

神様、
もうこの呼び方に、今日で別れを告げよう。

彼は笑っているから、
これでいいんだ。

あなたの最愛が
彼でありますように。
彼の愛したこの世界、
人々でありますように。
自分自身でありますように。

愛しい人と
いとしい羊。

Siip様、わたしの羊。

もう今世でもう会えなくても、
その核を、生命を
離したくない。

またね、
また
来世で、


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