見出し画像

がんの宣告から一大決心して起業を決意、ファーストロジックの創業秘話とは

皆様からよくいただく質問に「社長はなぜ不動産投資のプラットフォームを作ったのですか?」というものがあります。

ファーストロジックは、現在も代表取締役社長を務める坂口直大が創業した会社です。上場企業の中でも、創業社長が現役で会社を引っ張っている会社って、実は多くありません。

当社の採用選考を受けていただくと、最後には「社長面接」があり、坂口と話す機会があります。
その坂口は、23歳という若さで「がんの可能性がある」と宣告されているのです。
「社長はなぜ、どんな思いで会社を作ったのだろう?」という疑問にお答えすべく、このnoteでは「ファーストロジックの創業秘話」をお伝えします。


就職氷河期を乗り越えた矢先の「がん宣告」

坂口は4年生大学を卒業後、新卒でシステムエンジニアの会社に入りました。就職氷河期の中、やっとの思いで就職した会社です。残業が多く過酷な日々でしたが、立派なエンジニアになるため必死に勉強していました。

ある日、会社の健康診断で「肺に影が映っている」と言われ、大学病院に精密検査に行きます。そこで医者から言われたのは「肺がんの可能性が高い」という言葉。当時、坂口はまだ23歳でした。

どうせ死ぬなら、社会の役に立ってから…

宣告前、坂口は「SE 35歳定年説」という話を聞いたことがありました。
IT業界は技術の移り変わりが激しく、システムエンジニアは35歳になると知識・体力的についていけなくなり定年を迎える、という説です。

「35歳になったらホームレスになる可能性がある」
「35歳になったら、どうやって生きていこう?」
そんな風に、35歳まで生きていることを当たり前のように考えていましたが、がん宣告によって状況は一変。
「今後どうやって生きていけば良いのか」を考えるうちに、「どうせ死ぬのなら、社会の役に立ってから死にたい」と思うようになったのです。
実はこの時坂口には、社会問題ともいえる解決したい課題がありました。

誰もが安心して不動産投資ができる世界を

元々、坂口は「SE35歳定年説」を知った後、いつリストラされてもいいように、不動産投資で安定的な家賃収入を得ようと思っていました。
「大学時代に1人暮らしをしていた頃、自分は毎月大家さんに家賃5万円を振り込んでいた。その時はお金を払う立場だったが、もらう立場の大家さんになれれば収入が途絶えることはない!」と考えていたのです。

しかし、東京中の不動産会社を回っても、全く相手にされません。
それもそのはず、当時不動産投資をするのは、いわゆる大地主などの富裕層がメインで、坂口のような若いサラリーマンは少なかったのです。

そのような状況だからか、インターネットにも雑誌にも、投資用の不動産情報は全くありません。この現状を知った坂口は「自分のように、将来に不安を抱くサラリーマンを助けたい」と思うようになります。
そしてがん宣告後、「この課題解決を残りの人生の使命にしよう」と思い、起業を決意します。

当時は楽天・サイバーエージェントができた頃

当時は「ドットコムバブル」と呼ばれ、インターネット関連企業が続々立ち上がっていた時期でした。みなさんが知っているような「楽天」「サイバーエージェント」といったの企業が生まれたのもこの頃です。 坂口も「このアナログで、情報格差の大きい不動産業界の課題をインターネットで解消すればビジネスチャンスになるのでは?」と考えました。

しかし、この波に乗りたいと思う一方、銀行員である父親からは「融資先の経営者には、経営がうまくいかずに自殺に追い込まれている人が何人もいる」ということも聞いていました。
「安定した収入を求めて不動産投資を始めようとしたのに、起業という険しい道を選んでよいものか」と悩んでいる時、ある言葉に出会います。

「死の床で人生を振り返ったとき、後悔することが最も少なくなるように生きようと決めた」

世界的企業、Amazonの共同創設者であるジェフ・ ベゾスの言葉です。
死ぬ前に人生を振り返るとき、後悔することがないように生きよう、という意味ですね。
坂口は、起業することを諦めたら後悔するだろうと思いました。そして「うまくいかなかったら死ぬ覚悟でやろう」と起業を決意します。これが2005年8月のことです。

そして坂口は、投資用不動産の購入費用として貯金した1000万円を元手に「株式会社ファーストロジック」を設立。当時の社員は坂口1人、自宅アパートの一室でスタートしました。

当時の社内風景。ファーストロジックはアパートの一室から始まりました

その翌年、今も続く「楽待」をリリース

2006年3月、不動産会社と不動産投資家がマッチングできる「楽待(らくまち)」をリリースします。インターネット上で、不動産会社と不動産投資家がマッチングできるシステムは当時画期的であり、多くのメディアに取り上げられました。そして坂口は社長業、開発、営業、マーケティングをすべて兼務し、年末年始も休むことなく活動していく日々を送ります。

リリース当初の「楽待」サイト

ここまでが、当社の創業秘話でした。
ちなみに…「肺がん」というのは誤診で、別の病院で再度診断をしてもらったところ、全く異なる病気だったそうです。その後名医に出会い、1年かけて完治させることができました。今も元気に、私たち社員と一緒に働いています。

創業直後のエピソードにはまだまだ続きがあるため、また別の投稿でご紹介していきますね。興味を持っていただけた方は、当社の採用ブログもぜひご覧ください!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?