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今はこれが精一杯


2024年5月17日(金)朝の6:00になりました。

おまえさんの人生は、これからはじまるんだぜ。

どうも、高倉大希です。




好きな人がいるのなら、告白しちゃいなよ。

親戚のおじさんが、甥っこに対してこう言います。


おじさんなりの、親切です。

すでに終えた身だからこそ、青春の価値がわかります。


しかし甥っこからすれば、そんなに単純な話ではありません。

今は、その人のことを遠くから眺めるだけで精一杯です。


意識というものはそもそも、過去の行動で失敗したときに、それを捉え返すプロセスにおいて生じたものではないかと思うのです。何かを決定して行動するという前向きなものではなく、何かを後悔し、「あのとき別のことができたかもしれない」という後ろ向きの働きが、意識というものの基本的な構えなのではないか。

養老孟司、茂木健一郎、東浩紀(2023)「日本の歪み」講談社


過去に自分が書いた文章を読み返すと、とても恥ずかしい気持ちになります。

イキり散らかしていて、とても見ていられません。


添削しろと言われたら、真っ赤っかになってしまいます。

もはや、一から書き直した方が早いくらいかもしれません。


しかし当時の自分からすれば、その文章がベストです。

当時は、イキり散らかした文章を書き上げるだけで精一杯です。


私はこの心理的な欠陥を、ラテン詩人で哲学者のルクレティウスにになんで「ルクレティウス問題」と読んでいる。彼は、「愚か者は自分が見たいちばん高い山を、世界最高峰だと信じる」と記している。私たちは人生の中で見聞きした最大の物体を、この世に存在する最大の物体だと思い込む。

ナシーム・ニコラス・タレブ(2017)「反脆弱性 上」ダイヤモンド社


わたしたちは日々、精一杯生きています。

黒歴史と呼ぶ過去も、その時々の精一杯です。


今の自分だったら、絶対にその道は選ばない。

そりゃあ、そう思う過去もあって当然です。


しかしそんな過去だって、当時の自分の精一杯でできています。

わたしたちはちゃんと、精一杯生きています。


私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、そうしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。

内村鑑三(1946)「後世の最大遺物 デンマルク国の話」岩波書店


過去の自分を、恥ずかしいと思えている。

過去の選択を、後悔することができている。


もしかするとこれらは、よいことなのかもしれません。

精一杯の杯が、拡大している証拠です。


本日も読んでいただき、ありがとうございました。

今は、これが精一杯。






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