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書く人が通る道


2024年5月15日(水)朝の6:00になりました。

孤独な者よ、君は創造者の道を行く。

どうも、高倉大希です。




毎朝投稿をはじめて、今日でちょうど501日目になりました。

レギュラーストレートの、デニムと同じ数字です。


note をはじめる前は、べつの媒体で毎朝投稿をしていました。

そのときは、400日くらい継続したかと思います。


これだけ書いていると、文体も変わります。

昔の文章を読み返すと、とても恥ずかしい気持ちになります。


「どんな仕事でも、とにかく毎日、一〇年やったらモノになる」と言いましたが、一〇年以上やっている人は、まず、「自己評価が正確である」と言えるんです。これはもう、前提にしたいと思います。「自己評価が正確でありさえすれば、ちゃんと仕事として成り立ちますよ」とも言えるし、一〇年以上やった人なら、思い込みをしたって、自己評価は、あんまり狂わないと思うんです。

吉本隆明、糸井重里(2004)「悪人正機」新潮社


ものを書く人は大抵、ちょっと詩的な表現に憧れを抱きます。

体言止めを多用してみたり、意味ありげな言葉で締め括ってみたりします。


ものを書く人は大抵、ちょっと昔の表現に憧れを抱きます。

徒然なるままに書いてみたり、男もすなる日記といふものを女もしてみたりします。


うまく言ってやろうという意図が丸見えで、読む側が目を背けたくなります。

すべて、自分の話です。


自分で「うまいこと言えた」と思える箇所ほど、読者を興醒めさせる贅肉だったりするものだ。ためらことなく削ぎ落としていこう。そして、まずはレシピどおりにつくる地力をつけること。隠し味を加えるのは、そのあとで十分である。

古賀史健(2021)「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」ダイヤモンド社


ものを書く人は大抵、読み手に訴えかけようとします。

疑問文を多用してみたり、同調を求めてみたりします。


ものを書く人は大抵、読み手の役に立とうとします。

苦しかった経験を赤裸々に語ってみたり、エールを送ってみたりします。


そもそも誰も興味をもっていないという事実が、すっぽりと抜け落ちています。

すべて、自分の話です。


ぼくが最初に教えるのは「お前の書いたことは誰も読みたくない」ということ。いまは書く機会がいっぱいあるから「書けば誰かが読んでくれて感動するはずだ」とか「すばらしい!と言ってくれるはずだ」と思ってしまう。実際は誰も読まない。

放課後ダイノジ「ダイノジ大谷と語る現代コミュニケーション術」田中泰延さんの発言より


ものを書く人は大抵、人生のような大きなものを語りたがります。

ものを書く人は大抵、自分だけが気づいているという勘違いをします。


ものを書く人は大抵、賢いと思ってほしそうです。

ものを書く人は大抵、書けば伝わると思い込みがちです。


書く人が通る道。

まだまだ、道半ばです。






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