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学ぶ贅沢


2023年4月29日(月)朝の6:00になりました。

穏やかな日に学ぶ方がよいこともあれば、嵐の中で学ぶ方がよいこともある。

どうも、高倉大希です。




学生の本分は、学業にあり。

これがいかに贅沢なことかを知ったのは、学生を終えてからのことでした。


随分と、皮肉なものです。

学生のころは学業なんて、嫌で仕方がありませんでした。


もちろん、大人になってからでも学ぶことは可能です。

しかしあれほどまでに幅広く学問に触れられるのは、やはり学生時代くらいです。


学問をするとは、目からウロコが落ちること、じぶんのみかたがガラッと変わることです。自分がガラッと変わると、どうなるか。それまでの自分は、いったい何を考えていたんだと思うようになります。

養老孟司(2023)「ものがわかるということ」祥伝社


大人になると、学業に充てることのできる時間が極端に短くなります。

学ばない大人が多いのも、ある種必然だと言えます。


仮に意欲があったとしても、利便性を第一に求めるようになりがちです。

目の前の世界にすぐに反映される情報だけを、欲するようになるのです。


ビジネス書の要約サイトに、アクセスが集まる理由も同じです。

役に立つか立たないかが、もっとも大事な判断基準になるわけです。


「どんな本を読んだら、これからの時代に役に立つと思いますか」という質問をしょっちゅう受けるんです。いつもこう答えます。本を二冊、三冊読んで、仕事に役にたつとか、人生に役に立つとか、そんな簡単なもんやったら人生楽ですよね、と。そんな都合のいい本はありません。だから好きなものを読めばいい。

石川善樹(2019)「問い続ける力」筑摩書房


やる気のある奴は、ものごとの中心しか見ない。

タモリこと、森田一義さんの言葉です。


たしかに目の前の世界は、中心で展開されます。

役立つものを仕入れれば、中心に反映できます。


しかし、まだ見ぬ未来は周辺にあるはずです。

おもしろいものも新しいものも、すべては周辺にあるのです。


個人の存在をこえて、情報が環境を形成しているという点では、情報は文化にちかい。文化は人間がつくりだしたものであるけれど、個々の人間にとっては、すでに存在する環境である。あるいはあたえられた環境である。個人は、その環境としての文化から自由になることはできない。しかし、そこにはたらきかけて、なにごとかをなすことはできる。

梅棹忠夫(1999)「情報の文明学」中央公論新社


役に立つかどうかなんて、それほど大切なことではありません。

学ぼうというのならむしろ、役に立たない情報を意図して集めねばなりません。


それでも現実は、迫ってきます。

いつだって、目の前で騒がしく展開されます。


だからこそ、学ぶことは贅沢なのです。

目の前の喧騒を脇に置いて、静かな声に耳を澄ませます。






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