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よく聞く言葉は便利な言葉


2024年5月6日(月)朝の6:00になりました。

僕は君の成長するドラムを観に来ているんです。

どうも、高倉大希です。




飽き性って、なんだろう。

この言葉を聞くたびに、いつも疑問に思います。


人見知りって、なんだろう。

この言葉を聞くたびに、いつも疑問に思います。


優柔不断って、なんだろう。

この言葉を聞くたびに、いつも疑問に思います。


人間は変化するのですから、当然自分も変化します。しかし、刻一刻と変化する自分というものを、脳はうまく扱えません。そこで脳は、自分というものを無理やり固定しようとします。個人の名前がその典型です。

養老孟司(2023)「ものがわかるということ」祥伝社


途中でやめても、飽き性だから仕方がない。

コミュニケーションがうまくとれなくても、人見知りだから仕方がない。


意思決定に時間がかかっても、優柔不断だから仕方がない。

本当はやりたいのだけれど、できないから仕方がない。


仕方がないと、思いたい。

わたしたちにはきっと、このような欲望が備わっています。


「犬」という言葉がなければ、犬はいないし、「美しい」という言葉がなければ、美しい物なんかない。それなら、言葉がなければ、どうして現実なんかあるものだろうか。だからこそ、言葉を大事にするということが、自分を大事にするということなんだ。

池田昌子(2003)「14歳からの哲学」トランスビュー


それで苦しんでいる人も、いるんだぞ。

と、こんな声が聞こえてきます。


べつに前述のような言葉が、甘えだと言いたいわけではありません。

苦しんでいる人がいることも、おそらく事実なのでしょう。


あくまでもここで言いたいことは、言葉のつかわれ方についてです。

人が欲するから言葉が生まれ、人が欲するから広くつかわれるようになるのではないかという話です。


貨幣というのは、あらゆるものに値札をつけることで、すべてを比較可能で交換可能なものにしてしまいます。それは便利でもありますが、そのような単純化はしばしば極めて暴力的なものとなります。本来、比較不可能な富や使用価値を、価値という1つの抽象的な尺度で測ってしまうのですから。

斎藤幸平(2023)「ゼロからの『資本論』」NHK出版


便利な言葉が、つかわれます。

よく聞く言葉の多くは、すなわち便利な言葉です。


便利な言葉の厄介なところは、思考が止まりやすいところです。

その言葉をつかっておけばいいやと、思い込む人が増えるからです。


本来は、仕方がないことにするためにこしらえた言葉たちでした。

あくまでも、つかい手にとってのひとつの手段でしかなかったはずです。


「目的と手段の混同」は、特に「手段として行われている活動」そのものに「価値がある」と思われているときに起こりがちですが、「教育」というのはまさにその典型でしょう。

岡本薫(2001)『教育論議を「かみ合わせる」ための35のカギ』明治図書


ところが、気がついたころには関係が逆転しています。

便利だからつかっているという事実を、すっかり忘れてしまうわけです。


その言葉に、すべてを委ねます。

その言葉の先から思考をはじめて、本当に仕方がないと思い込むようになっていきます。


「やらない」が、「できない」に変わります。

便利な言葉は簡単に、可能を不可能に変えます。






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