見出し画像

いちど空っぽになれば


2024年5月4日(土)朝の6:00になりました。

受け取った手紙が増えすぎて、自分の荷物を捨てていった。

どうも、高倉大希です。




もう、何をやってもあかんわ。

そう思うことが、よくあります。


あまりにも、知っていることが少なすぎます。

あまりにも、できることが少なすぎます。


なんて、無力なのだろう。

なんて、空っぽなのだろう。


禅の教えによると、人の苦しみはすべて、現実を認めたくないという気持ちから生じるのだという。「こんなはずではなかった」「どうして思い通りにいかないんだ」という気持ちこそが、苦しみの根源なのだ。自分は万能ではない。ただの無力な人間で、それはどうしようもない。その事実を受け入れたとき、苦しみはふいに軽くなり、地に足のついた開放感が得られるだろう。

オリバー・バークマン(2022)「限りある時間の使い方」かんき出版


そんな虚無感を大事そうに抱えて、一丁前に悩むこともありました。

解消するために、がむしゃらに頑張ることもありました。


どうしてうまくいくことを前提に、考えているのだろう。

そう思うようになったのは、大人になってからのことでした。


うまくいくと思っていたことが、うまくいかないから悩みます。

冷静に考えれば、うまくいかないことがデフォルトであるはずです。


ちょっとずつ努力をして、それに対して、「あ、ちょっとわかったな、おもしろいな」という、自分の変化の兆しみたいなものをご褒美として感じ取ることができたら、わたしはそれを続けることができるんです。ひとつひとつはとってもちいさいんだけれども、わかったり、つながったりすることで努力することがおもしろく感じられて、その連続で身についていくような感じなんです。

ほぼ日刊イトイ新聞(2019)「岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた」ほぼ日


知っていることが少なくて、当然です。

できることが少なくて、当然です。


無力で、当然です。

空っぽで、当然です。


努力をしないための言い訳を、しようというわけではありません。

あらゆる努力のはじまりは、ここにあるはずだという話です。


なにか新しいことが始まろうというときに、できない理由ばかりを探して並べてしまう人がいます。しかし「ないものをつくる」ということに必要なのは「できない理由」よりも「できる方法」なのです。

小林賢太郎(2014)「僕がコントや演劇のために考えていること」幻冬舎


いちど空っぽになれば、あとは好きなものを詰めていけばいい。

かつての恩師に、いただいた言葉です。


空っぽであることについて、悩んだところで仕方がありません。

人間であることについて、一生懸命悩むようなものです。


むしろ空っぽであれば、これから何だって詰められます。

くれぐれも、詰めすぎには要注意です。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。