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「愛は勝つ」というKAN違い

KANの「愛は勝つ」という曲が嫌いだった。

なぜかと言うと、この曲に感化された末、勢いで当時好きだった女の子に告白して、ものの見事にフラれたからだ。

心配ないからね 君の想いが
誰かに届く明日がきっとある。
どんなに困難でくじけそうでも
信じることを決してやめないで

愛は勝つ KAN

「そうだ、僕の想いはきっとあの子に届くはず!」

どストレートなこの曲を信じて、僕以外にも派手に玉砕した友人を僕は少なくとも3人知っている。皆、潔く散っていった。

この曲が流行ったのは1990年〜1991年。僕は高校2年生だった。真っ直ぐ純粋でとても多感なお年頃。FMラジオからはKANの「愛は勝つ」がお経のように繰り返し流れていた。

高校2年生の夏休みに宿命的な恋に落ちた僕。その女の子に想いを伝えようと、何度もこの曲を聴いて己を鼓舞した。

「そうだ、最後に愛は勝つのだ!」と。

今でも、僕はその光景をはっきりと憶えている。

「付き合ってほしい!」
「ごめん、他に好きな子がおるねん」
「誰っ??」
「サッカー部の○○君・・・」

頭が真っ白になり、のち世界は暗転した。僕は膝から崩れ落ちた。

「おいおい、愛は勝つんじゃなかったのか?」

僕はとりあえずKANとサッカーと○○君を呪った。

その夜、僕は枕に顔をうずめて泣いた。そんな僕にKANは「愛は勝つ」と歌い続けた。

僕の愛は勝つことができなかった。なんでやねん?

当然だ。

だって僕は「恋」をしていたのだから。

そう、「愛」は勝つのだけれども、「恋」では勝てないこともあるのだ。

恋は時に僕たちを深い闇に引きずり込む。その暗闇の中で「愛は勝つ」という言葉は、まるで遠く遠く離れた場所から天使がささやきのように聞こえる。失恋の痛みは深く深く心をえぐるものだ。その喪失感の中で、誰が一体勝つことを想像できるだろうか。

結局、時間の流れ以外に何ものもその痛みを埋められない。「愛が勝つ」という魔法の言葉も、その瞬間の痛みを消すわけではない。「人を愛すること」の意味、その素晴らしさ、その先に待つ可能性など、その状況では到底理解できない。

僕が「恋は負けるが、愛は勝つ」という勘違いに気づいたのは、時が経ち、酸いも甘いもさまざまな人生経験を積んだ後だった。

やはりKANは正しかった。

先日、KANの訃報を聞いた。

僕は押入れの中にしまってあるダンボールの中からKANのCDを何枚か取り出した。そして深夜、戸棚からカティサークを取り出しグラスに注ぎ、KANに献杯した。ウイスキーを飲みながら、久々にKANを真剣に聞いてみた。

「愛は勝つ」が収録されているアルバム「野球選手が夢だった」は名盤である。秋から冬の季節に聞くとしっくりとくる。

このアルバムには捨て曲がない。ピアノをベースに、アップテンポな曲からバラードまで珠玉の曲が詰まっている。まるで一つの物語のように進行していく。「けやき通りが色づく頃」「青春国道202」「1989 (A Ballade of Bobby & Olivia)」。特にこの3曲が僕はお気に入りだ。

他のアルバム「HAPPY TITLE -幸福選手権-」「ゆっくり風呂につかりたい」も完成度は高い。ドライブにもよくあう。

余談だが、KAN本人も認めている通り、ビリー・ジョエルの影響が相当強い。実際に「愛は勝つ」は「Uptown Girl」を目指したと本人は言っているが、僕は妙に納得した。

今でもチャン、チャラランチャン、チャンチャン🎵という「愛は勝つ」の軽快なイントロを聞くと、僕はあの頃を思い出す。そして、なんだか元気になれる気がする。若かりし日の失恋のショックから2度と聞きたくないと思ったが、久々に聞いてみるとやっぱこの曲、ええよなあと感じた。

惨めで不器用で無様だったけれど、一生懸命だったあの頃の僕。「愛は勝つ」はそんな僕を応援してくれる曲だった。それを想うと少し胸が熱くなった。

KAN、ありがとう。

あなたは歌とピアノを通じて多くの人を勇気づけてくれていました。

最高のピアノマンに捧ぐ。











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