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親に首絞められた 虐待の記憶①

今でも、精神的な症状が沢山あり、まだまだ困っています。
仕方のない事ですが、幼少期から成人期の間、実家で育った環境では、そうなるのは当たり前ですね。親からは沢山の愛情を貰っていた反面、攻撃的で不適切な子育ての犠牲になっていたのは確かな事です。ここでは、毒親である父がどんなだったか書こうと思います。

今、父親は78歳。今では、暴言はたまにありますが、暴力はなくなりました。ですが愛情の反面、妻であるわたしの母に、悪態をついたりすることはよくあることです。

わたしが、子供の頃
父は、自分の機嫌がよい時もよくありました。
愛情は沢山もらったと思います。私に服や靴を買ってくれましたし、私が運動能力があると見込んで、走り方や水泳などを教えてくれました。
一緒にテレビを観て笑ったり、ドライブやキャンプ・旅行はしょっちゅうで、家族で楽しい時間も沢山あったので、私の居場所は家族の中にありました。

ですが、
会話はできても私の話に耳を傾け、心に寄り添うということは殆どありませんでした。
父は今でいうアスペルガーの特徴が沢山ありました。
自分の好きな知識を話し始めると止まりませんでした。
話は一時間以上続くのが普通でした。
わたしは殆ど興味がないのですが、父は私が聞きたくなくてもお構いなしです。聞いているふりをしていました。

また、普段でも自分の思いを言い聞かせて思った通りにさせるのです。

父の考え方はわたしと正反対の事が多くて、苦痛でした。

人の話を聞けなくなったのはこのせいだと思ってます。

共感性が難しく、自分の思い通りにしないと気が済まない。ストレス発散は家の中で八つ当たりすることで、ひねくれものでした。酒を飲んだら目が座り不機嫌で暴言暴力もありました。
短気ですぐにカーッと怒るものだから、人前でも構わず大声で家族を怒鳴りつけます。かなり恥ずかしい思いをしました。わたしが思春期に入り、当時のポップスのポスターを眺めながら音楽を聴いてたら、それだけで怒鳴られたりしました。
自分は普通ではないのに、
”おまえのような子ができると思うか?”
とさんざんわたしをバカにして、
”お前はダメだ”と毎日のように怒鳴られてました。
子供達の心を随分傷つけたと思います。
父の怒鳴り声が聞こえてくると、怖くて心臓バクバクが止まりませんでした。

わたしの人格を酷く痛めつける事により、私の脳は本当に低下していったのだろうと思います。
ハンマーでわたしの頭を叩き続けたくらいの衝撃だったろうと思います。
子供の頃は、多分軽度知的障害(IQga50~69)だったろうと思います。
人の話が聞き取れない、内容の理解が難しく、自分の言葉で話ができなかったです。

一番怖かったことは、私が小学校高学年のときです。お風呂に入っていたら父親が入ってきました。私は思春期の真っ只中ですし、体の変化も始まっています。父親に出て行けといいました。父親はすぐに出て行きましたが、それが嫌だったんでしょうね。その数時間後
突然雷が落ちたような耳を聾する炸裂音が”ドシーン”と聞こえました。
ものすごくびっくりして音の方へ駆け寄ると、
階段のすぐ上に置いてあった棚が階段の下へ落ちて破壊してました。
それからドンドン、ガッシャーンとけたたましい衝撃音が続きました。

父が癇癪を起して、ちゃぶ台をくつがえし、襖や障子、家具などを素手で破壊してまわっていたのでした。父の手の甲は血まみれでした。
その後父は静かに横になってました。
わたしは、またあの心臓バクバクがなりましたが、私が父に反抗的な事を言ったからわたしのせいだと思い、残骸の後かたずけをしました。

日常がこんなでしたし、愛情もありますから、このような生活は当たり前だという感覚でDVだと気付かないじゃないですか。でも当時のわたしでも、決定的にこれはDVだと自覚できた記憶があります。

高校生くらいの頃でした。
夕食のメニューは、父の好きなポテトサラダを作ろうとしていましたが、ジャガイモがなかったので、カボチャサラダになりました。それが嫌だったのでしょう。食卓で、ポテトじゃないじゃないかと、怒られたんです。するとわたしも負けじと反発するから、父は鬼のような形相になり、自分の味噌汁をテーブルに投げつけたあげくわたしの首を閉めました。苦しい思いをしましたがその時の自分はなぜかしょうがないと思って逃げようとしなかったです。母がなんとか止めたからよかったです。

父は、外でも人間関係が大変だったろうと思います。
職場の愚痴を母に話している事を聞くと、
職場でも、自分の意見を通そうとして、怒鳴ったりしていたのではないかと思います。父宛に来た年賀状の葉書の裏は真っ白だったこともあり、父にはその事は母と一緒に黙っていました。
誰かに恨まれているのだろうなと思っていました。

その頃は、特に暗い顔をして家に帰ってきていましたから、父が自殺したらどうしようと不安になって、わたしが学校から家に帰宅した後、父が無事に家に帰って来るのか毎日心配でした。

父は、母にも暴言が多かったです。
母は泣いていた事もありました。
よく我慢していたなと思います。

そんな父ですが、

暴言暴力は徐々に減っていきました。今は、暴力はもうないです。
父は、自分がやりたかった剣道を無理やり私にやらせていました。
わたしはずっと辞めたかったです。
その事は前記事にしましたので、読んでみてくださいね。




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