『椎名林檎論 乱調の音楽』を読んで

こんにちは。
鴨井奨平です。

少し前に買って、ちょっとずつ読み進めていた書籍、北村匡平さん著『椎名林檎論 乱調の音楽』を読み終えました。

私は椎名林檎さんと東京事変のファンクラブ会員ですが、身近に林檎さんや事変について語ることのできるようなファン仲間がいないので、この『椎名林檎論』を読みながら、著者の北村匡平さんと熱く語り合ったり議論したりしている気分になりました。「そうそう、わかるわぁ」と思ったり、「いや、それは違うんじゃない?」と思ったり。
今回は、この本を読みながら「いや、それは違うんじゃない?」と私が思ったことについて書きます。
もちろん、北村匡平さんのキャリアや実績を鑑みるに、私の意見よりも北村さんの意見の方が「確からしい確率」ははるかに高いのだけど、あえてそれを承知で書きますね。

私が『椎名林檎論』を読んでとりわけ同意できなかったのは、「第6章 豪雨の最中の旗揚げ 2 疾走するビート(167頁〜)」に書かれている『群青日和』についての批評です。
ここにおいて『群青日和』の歌詞解釈がなされています。
北村さんは、「タイトルが『群青日和』なのに対して、いきなり〈新宿は豪雨〉と対照的な歌詞が歌われる。だが、その後の言葉から推測するに、群青色の晴天とは対照的に「わたし」の心が「豪雨」であるというメタファーなのだろう。あるいは自分の涙の比喩なのかもしれないし、「何処へやら」と二人とも方向感覚を失っていることを考えれば、新宿の「人混み」をも喩えているのかもしれない。(中略)〈脳が水滴を奪って乾く〉とは、あれこれ考えすぎて涙も心も枯れ果ててしまったということを伝えているように思われる。」と記しています。
北村さんは、「新宿には〈豪雨〉は降っていない」と解釈されています。
しかし私は、『群青日和』冒頭の歌詞〈新宿は豪雨 あなた何処へやら 今日が青く冷えてゆく東京〉というのは、メタファーではなく実際に豪雨であることを描いた記述だと考えます。
〈青く冷えてゆく東京〉というのは突然降りしきる雨によって現在進行形で東京の気温が下がっていく描写だと思います。その後〈脳が水滴を奪って乾く〉とあり、これは「実際の新宿の状況」と「自分の心の状態」と対比になっていると思います。
北村さんは『群青日和』という楽曲タイトルから上記のような批評を導いていますが、私はここはストレートに「新宿は豪雨にみまわれている」と解釈していいと思います。だってそっちの方がビジュアルイメージが強烈で美しいから。ここのキャッチーな歌詞と歌唱はあきらかに、曲によってビジュアルイメージを喚起するように演出されていると思います。
椎名林檎さんのライブ公演「椎名林檎と彼奴等がゆく 百鬼夜行2015」で『群青日和』が演奏されていますけど、そのバックには、しきりに雨が降っている映像演出がなされています(雨を受けている傘、そして地面に打ち付ける雨水)。この映像演出が「心の状態」を表しているとは思い難い。だって、このビジュアルイメージを観客に強く押し付けようとしているから。ライブ公演における映像演出と椎名林檎さんによる歌詞解釈が乖離している、というのは一般的には考えられないので、やはり『群青日和』においては「実際に雨が降っている」と考えていいと思います。
そして、『群青日和』には〈突き刺す十二月と伊勢丹の息が合わさる衝突地点 少しあなたを思い出す体感温度〉という歌詞もあります。「突き刺す十二月」というのは、「新宿のとても寒い外気」を表現していますが、「群青色に染まって晴れ渡る十二月の新宿」って、「突き刺すほど寒くない」と思います(かつて5年半、屋外での肉体労働に従事していた私の感想ですが)。晴れた日でも「突き刺すほど寒い」のは1月〜2月上旬です(実際に東京はこの期間が最も平均気温が低い)。しかし、十二月でも「突き刺すほど寒い」ときはあります。それは、「雨が降っているとき」です。雨が降っているときは十二月でも「突き刺すほど寒い」。〈突き刺す十二月〉という歌詞、ただ寒いことを表現するなら、〈突き刺す一月〉や〈突き刺す二月〉でもいいわけです(むしろ、12月よりもそっちの方が寒い)。ここであえて〈突き刺す十二月〉としているのは、新宿が豪雨にみまわれていることを暗に表現するための描写だと私は考えています。
じゃあ、どうしてこの曲のタイトルが『群青日和』なのか。この曲の最後の歌詞は〈青く燃えてゆく東京の日〉です。私は、この曲の主人公が、東京の空が青く燃えるように群青色に染まって晴れ渡ることを望んでいるから、だと考えています。なぜなら、〈泣きたい気持ちは連なって冬に雨を齎している〉から。それをひっくり返すと、「空が晴れれば自分の気持ちも晴れる」から。「群青日和」というのは、実際の新宿の情景ではなく、この曲の主人公の願望だと私は考えます(あるいは、曲の最後に、雨がやんで新宿が群青色に晴れ渡る、ということを表現しているのかもしれない)。
私は『群青日和』の歌詞について、上記のように解釈します。

まぁ、あらかじめ書きましたが実際には、私の解釈よりも北村さんの解釈の方が「確からしい確率」は圧倒的に高いのでしょう。
しかし私はどうしても、「新宿に雨は降っている」と思うんですよね。いや、雨は降っていてほしい(願望)。

今回はこのへんで筆を擱きます。

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