「それからの帝国」を読む

 佐藤優『それからの帝国』(光文社)を読む。佐藤氏の数多くの著作の中で、私が最も好きな作品をひとつ挙げるとすれば、『自壊する帝国』になる。

 本書は、氏の自伝的ノンフィクションである。時系列的には『自壊する帝国』の続編に当たり、同書にも登場する「サーシャ」との日本での再会時(2012年)のやり取りを中心に、氏が再び大学で教鞭を取る決意をするところまでが描かれている。
 『自壊する帝国』と比べると「サーシャ」とのやり取りに重きが置かれており、その描写を通して、現在のウクライナ情勢を理解する助けとなるロシア並びにロシア国民のメンタリティについての詳しい解説がなされている点が特徴だろう。

 私は、これまでの人生で自分より知的に優れた人を見たことは何度もあるが、「サーシャ」のような「天才」に出会ったことはない。「天才」が一定の確率で存在するのだとすれば、私が「天才」に出会った事がないのは、私の交際範囲が狭く、世間知らずだからとも考えられる。
 だが、本書で描かれる「サーシャ」と氏のやり取りを読んでいると、極めて高い知性を有する「サーシャ」と会話が成立するためには、会話の受け手の側にも、相応の知性と広範な教養が要求されるという事が分かる。
 つまり、「英雄も従者から見ればタダの人」という言葉もあるように、私はこれまでの人生の中で実は「天才」に何度か出会う機会があったにも関わらず、私の知性が足りないために、「天才」を「天才」として正当に評価出来なかったのではないかと思わされた。
 そして、若かりし頃は酒豪で鳴らした「サーシャ」が、氏と再会時(おそらく40代半ば)に「(自分の)人生は折り返し地点を過ぎた。もっと勉強しなくてはならないから、酒など飲んでいるのは時間の無駄だ」と述べている件は、衝撃的だった。
 私も本書における「サーシャ」と同年代に差し掛かっている。いつまでも「見た目は大人。中身は子供」等と戯言を言っていないで、もっと残りの手持ち時間をどう使うかを真剣に考えなくてはならない。

 「サーシャ」が述べるロシア並びにロシア国民のメンタリティについては、それがロシアのウクライナ侵攻を国際法的に正当化するものではないが、理屈としては理解できる(賛同するかは当然別の話になるが)。
 ロシア国内においては、「混乱の90年代」を経て、アメリカによってロシアが騙されて弱体化したとする見方が国民に広く共有され、その結果、スターリン時代より、ゴルバチョフ・エリツィン時代の方が悪く、そうした状況を立て直したプーチンを評価する人々が多数を占めている。
 また、反米(=反西側)感情の広がりとロシア・ナショナリズムの高揚によって、(ソ連邦解体時に)ウクライナにクリミアを渡したのは間違いであった。したがって、現在のウクライナ情勢については、西側からの侵略から国を守り、奪われた領土を回復するための「特別軍事作戦」=防衛戦争という見方がロシアではなされているという点は押さえておいた方がいいだろう。
 「自衛のために」侵略戦争がなされた例は歴史上枚挙にいとまがない(西側のロシアに対する見方もそうだろう)が、ロシアの「特別軍事作戦」は、少なくともロシア国内では、本当に防衛戦争として捉えられており、だからこそプーチンが政権を追われる事も、ロシアが「特別軍事作戦」を中止する可能性も極めて低いと思わざるを得ない。

 本書に興味を持った方は、『国家の罠』『自壊する帝国』と併せて、『それからの帝国』を読むことをお勧めする。本書を(『自壊する帝国』と同じく)「佐藤優を主人公とするビルドゥングスロマン(教養小説)」と読んでも大変に面白い。

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