不老不死について思うところと自分の生死観

ツイッター(現Ⅹ)上で一時期不老不死がネタになりました。震源はどうやらちいかわみたいです。ちいかわ自体は自分は見ていませんが、不老不死や生死観については纏めるきっかけになったと思います。

まず自分の生死観は基本として「人間死んだら全て終わり」「生きているから得られる守れる」「死んだらもうその後は得られない守れない」となっています。自分が生きることは絶対と考えています。

勿論生きていれば親しい人間が先に死んだりすることもあるでしょう。ですが新たに生まれた人とも出会う機会があるでしょう。失うことだけを先に考えては何も得られないというのが自分の考え方です。

ですから根本的な話として「人類が死に絶えた未来で不老不死」みたいな事案は話として違うのです。不老不死の話になるとクソ未来編(火の鳥・未来編)が真っ先に引き合いに出されますが、自分は深刻なミーム汚染だと思っています。

寧ろ「大切な人と一緒に悠久の時を歩む」ような着想が出てこないのが不思議でなりません。勿論全く無いわけではなく、例えばニャンコロカムイという漫画では主人公ポイニャンと嫁が二人仲良く超常的な寿命を得て、戦国時代以前(だろうか?)から現代でも生きて楽しんでいる姿がクライマックスで描かれています。これには自分も共感しました。

他にもMAR(メル・メルヘヴン)では、まさに「大切な人と一緒に悠久の時を歩むのが素晴らしいこと」だと語っているファントムらが登場します。まあ、敵サイドなのですがね。味方サイドにも一人、アルヴィスというキャラがファントムの手に掛かり「時間が過ぎれば不死になる」という「呪い」を受けています。彼は敵と戦う中で「時の中で死にゆくことこそが大切」みたいな語り方をしていました。当然とばかりに「不死の呪い」を掛けたファントムに強い憎悪を抱いています。

が。正直状況が根本から変わってもアルヴィスは同じことを言うのかという疑問があります。ファントムらは世界で戦争を起こした集団の中心人物であり、この「不死の呪い」云々が無くてもアルヴィスは強く憎んでいたことは間違いありません。そんな怨敵が常に脇に存在している中での「永遠の時」など、正直自分でも「死んだ方がマシ」くらいの気持ちを抱くでしょう。下手したらクソ未来編以上の地獄でしょう。

ですがクライマックスで状況が変わります。ファントムがとあるアイテムにより死亡した結果、アルヴィスらに掛かっていた「不死の呪い」も消滅します。そうなった後です。怨敵が消滅した後、例えば尊敬したり笑い合える仲間と一緒の「永遠の時」が得られることになったらどうでしょうか。大切な仲間が死ななくなると聞いたら、本当に心が動かないでしょうか。正直なところ自分はこの辺考え方を異にしていたため、こんな風な疑問が出たクライマックスでした。

まあそうは言っても自分も「死んだ方がマシ」という状況があることは理解しています。クソ未来編然り怨敵との永遠の時然り。そういう状況下では実際死を望むとも考えられます。

実際毒親の母の元からの強行での脱出は、まさに「死んだ方がマシ」という将来が見えていたからというのもあります。母に発狂するまで推された公務員試験、受かって就職が決まったら、それで気を良くして次は時機を見て結婚の話も持ってくる、少しでも難色を示せば「こんないい話を」とまた発狂するまで言い立ててくる、そうやって着実に自分を放棄させられていく将来なら、今決死の覚悟で飛び出して失敗した方が苦しむ時間が短くなるだけマシという結論に至ったからです。

ただ、どんなに決死の行動に出たとしても、その先に活路を見出すことだけは絶対だったと思っています。母の元での「死んだ方がマシ」な状況なら、早いところ決死の覚悟で飛び出してケリをつけた方がマシ、でも一番は活路に繋いでその後も生きて楽しみ続けることです。それが叶ってからも年数が経った今、やはり不老不死というのは否定したくない気持ちがあります。

これはあくまでも自分の考え方、自分の生死観です。引用された作品に対する意見や解釈の不一致もあるかもしれません。何かございましたら遠慮なく下のコメント欄から送っていただければと思います。日常用の趣味も交えたごった煮のツイッターの方でも構いません。忌憚なく意見をいただければと思います。

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