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「信じる」こととは何か

こんばんは🌙
先日、映画「星の子」をみました。
2020年に大森立嗣監督によって映画化された、芦田愛菜主演・今村夏子原作の、宗教二世のお話です。

<あらすじ>
大好きな父と母の愛情を一身に浴びて育った中学3年生のちひろ。
両親は病弱だった彼女を救いたい一心で神秘の力を宿しているという水にすがり、次第に「あやしい宗教」にのめり込んでいった。
たとえ親友が疑念を口にしても、ちひろの心が揺らぐことはなかった。
思春期を迎え、新任の教師に恋をし、授業中にせっせと似顔絵を描き続けていたちひろは、次第に周囲が抱く違和感に気づき、初めての葛藤に直面していく。

この映画で描かれているのは「信じることとは何か」ということ。
答えのない宗教と信仰について、この映画を観ていろいろと考えさせられました。

宗教と聞くといろんなイメージがあると思います。
私個人的には宗教はなんとなく人を狂わせる怖いものだと思っていました。

どうしてそこまでしてのめり込んでしまうのか、まったく意味がわかりませんでした。
ですがこの映画を見て改めて考えてみたら、信じてしまう気持ちが少しわかったような気がします。

誰もが何かを信じている

映画で印象的だったセリフにこんな物がありました。

両親はダマされていて、両親をダマした人も誰かにダマされていて、その人もさらに別の誰かにダマされていて…

誰もが誰かにダマされているという連鎖。
これは裏を返してみると、誰もが「信じている」からこそ成立しているんですよね。

つまり、ダマしている明確な悪い人間がいれば分かりやすいのですが、この映画ではちひろの家庭に実害が及んでいるシーンは明確には描かれません。

ただちひろの家が貧しくなっているのは現実で、そこで暮らす家族は、普通に幸せそうにしているので、それが気味悪さを感じさせるんですが😂

また、宗教に関しても、なにか良くないことが起きているといったウワサでしか伝達されないのです。

結局何事にも信じる人もいれば信じない人もいる。
だからこそ何を信じるかは自分次第ということ。

結局これなんだな😂

これはたとえ宗教じゃなくても、
仕事、恋人、友達、アーティスト、政治家などにも当てはまることなんじゃないかなって思いました。

✅周りから見たら明らかに怪しい仕事だ!と言われていても、自分は成長の機会と信じ捉えて辞めずに頑張ることができる。
✅恋人の話をすると周囲にいつも否定をされてしまうけど、自分は愛があると信じ別れず一緒にいる決意をする。

結局信じるものは人それぞれ違うし、完全に理解し合うっていうのも難しいと思うんですよね。

だから自分が信じているものを周りに強制したり、反対に他人の信じているものを完全否定をするのではなく、「そういう考え方もあるんだね」と感心したり面白がれる、そんな人でありたいなと思いました。

「信じる」とは受け止めること

主演の芦田愛菜さんが「星の子」の完成報告イベントで語った「信じる」ことについてのコメントがすごく刺さったので最後にシェアします⭐

「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、
『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、
『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」

「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、
『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」

「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」

今日も最後までお読みありがとうございました!
それではまた来週✨






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