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LGBT問題に関する女性達の意見⑦ 61〜70


7-1. 無題(30代女性、匿名希望)

昨今話題のトランスに関してだと、医療、防犯(女性スペースの安心安全の確保)、スポーツの場ではどうしても身体の性別で区別する必要が出てくると思います。それ以外の性別の区別が必要ない場では、性別がどうであれ特に問題は無いと思います。個人的にはジェンダーロールをなくすように働きかけた方がいいのでは?と思いますが…。また、女性スペースの確保に関して声を上げることがトランスに対する差別だと言われるのが苦痛です。
LGBに関しては、マジョリティと同等の権利を求めるのは当然のことだと思います。

7-2. シスであれトランスであれ性加害する人は存在する(30代女性、匿名希望)

女性スペースの議論などで「本物のトランス女性であれば女性に性暴力を行うことはない」という性善説が前提とされがちなことに疑問をいだいています。トランス女性であっても、性的指向に女性を含む人は多いです。シスジェンダーがそうであるように、トランスが性犯罪を犯す可能性が0%などということは確率的にありえません。真のトランス女性と偽物を区別するなどという話ではなく、シスであれトランスであれ性加害する人は存在し、それに備えるにはどういう対処が適切かを議論のスタートとすべきでしょう。しかしこの自明な事実を述べただけで、ヘイター、差別主義者のレッテルを貼られ「犯罪を犯す人は本物のトランスではない」という明らかな否認が賛美されます。性犯罪を犯すトランスを排斥していることに対して何の呵責もない人々がアライを名乗っていることにも驚きを隠せません。どうしてここまで建設的な対話が困難になってしまったのか、残念でなりません。

7-3. 身体的区分に入ってこようとするトランス女性への不満(30代女性、懐かないヤギ)【転載NG】

トランスジェンダー(特にトランス女性)の実像を見て「全然、可哀想な人たちじゃない」って思います。

可哀想な人たちではない理由。

・自分たちの内面的な問題(自身の身体的問題で身体的が納得いかない、それは身体的区分の集団の中で不都合不利不快なことから「異性別の良いところが楽に見える」)を一般人に理解しろ配慮してくれも威張ってる。

「心が男」「心が女」と言い張るが行動や言動が全然「異性別」じゃない。

・LGBTを振りかざし一切合切の「自分たちの正義」を遂行するためだったら「自身の非常識は許される」と思っている。

・基本的に身体的女性をモノ扱いしていると思った。
同性婚で子をなすことができないから、代理母出産を合法化しろと訴えている。
また身体的女性の妊娠可能の有無やがんなどで乳房手術した人たちに「女性じゃない」みたいな物言い。
身体的女性を若いうちからトランス男性だと思わせて卵巣や子宮をバンクに提供させようとしている気がする

・旧式の「男性らしく」「女性らしく」というカテゴリライズの型にめちゃくちゃ当て嵌めて窮屈にしてくる。特にトランス女性の性的な女性アピール(性に開放的な感じ)

・トランスジェンダー(特に身体的男性)によくある、特にトランス女性(身体的男性)は
「身体的女性で特に美人でちやほやされる系だけを女性という考え」
だから身体的女性で外見が普通または普通以下を人間扱いや人権侵害や失礼な物言いが許されて当然だという考えがある。「ブスのくせに」みたいな物言い

・トランス女性(身体的男性)はとにかく身体的女性を勝手に恨み、勝手にミソジニズムを拗らせてる人が多い。かつて自分が身体的女性から受けた不快から勝手に恨む

・トランス女性(身体的男性)は女性じゃないと強く思ったのは身体的女性のスペースに入り身体的な感想を楽しそうに呟いたり入れたことを自慢していたからです。つまり、トランス女性が身体的女性のスペースに入れるとなると、後から身体的なことをエロエンタメのように扱われて尊厳がなくなる。

はっきり言うと自分勝手な人たちにしか見えません。
自分たちの不快不満受け入れたくない現実を解消のために身体的女性(性的違和感の人含む)への人権と権利侵害が凄まじい。

7-4. 無題(40代女性、みい)

こんにちは。エスケーさんのXの投稿をいつも拝見しています。
私はLGBTの問題が欧米で顕著になっているにも関わらず、日本でLGBT理解増進法が拙速に可決されたことに大きな懸念を持ちました。
欧米の例を見れば、しかもこの問題についてよく考えれば、こんな法律を拙速に作ろうなどとは思わないはずです。
この法律が施行されることによって、女性のスペースが奪われていくのはもちろん、私が一番の懸念しているのは、やはり子供の教育です。性自認があやふやな思春期や、性自認など考えもしない幼少期にLGBTのような思想は強制的に教育機関等で教える必要はないと思うのです。本人が成長して自分で考えての結果ならいいと思いますが。
私は米国からの留学生に接する機会があるのですが、以前と比べて明らかに身体男性で性自認が女、身体女性で性自認が男という学生が増えている実感があります。これは教育の影響があるのではないでしょうか。
若いうちに手術などをしてしまっては取り返しがつきません。私には子供がいませんが、この国を受け継いでいくのは子供達です。子供達を守っていくのは大人の責任だと思います。

7-5. 無題(30代女性、匿名希望)

トランスカルト思想は明らかにおかしいと思います。
男性器を手術したら、女性とみなすなんて女性をバカにしてます。
女性は、男性器のないバージョンの人間なのでしょうか?
しかも男性器があっても、女性にしてやれ、とかもうおかしすぎて、SF世界に紛れ込んだのかしらと錯覚すらします。
こんな思想がまかり通るなんて、世の中おかしすぎます。
虹活動家はよっぽどうまくやったんだな、というのが正直な感想です。
私もトランスカルトと戦いたいと思いますが、こっちには呼び方すらないんですね?
ターフは蔑称だし、組織もない。
失礼な言い方ですが、負けるべくして負けている気がします。
相手は強い。
お金がある。もともとスポンサーが強いのもありますが、上手く循環していると思います。企業、講習、思想啓蒙運動とぐるぐる回っていってます。SOGIとも組み、『それが正しい』という風潮ができている。
正直、このままでは勝てないと思います。
『明らかにおかしな思想だもの。大丈夫。トランプ政権がきて、世界が正気になれば衰退する』と最近まで思っていましたが、どうやらSOGI、多様化思想は簡単に衰退するものではないようです。正義のレッテルが完全に貼られれば、剥がすのはより困難でしょう。
こちらも早急に組織だって抵抗する必要があるように思います。
まず、1.お金、2.御旗(子供を守るLOKAでも、女性スペース守るでもいい)、3.名称ぐらいは揃えないと戦えないと思います。
相手はお金(十分ある)、御旗(差別反対、虹🌈)、名称(TRA、ALLY)と揃っており、とても分かりやすい。しかもトップダウンの組織があり、一丸となって思想を共有している。
足並みをあわせて侵略してくるものに立ち向かうためには、こちらも足並みをあわせるべきだと思います。そうしないと『勝てない』
長々とすみません。
伝える場所を提供してくださったエスケーさんに感謝申し上げます。
ありがとうございます。


7-6. やっとNOを言えるようになってきたところです。(40代女性、匿名希望)

まずは女性から意見を聞こうと思ってくださったこと、またいつも有用なポストを上げてくださってること、誠に感謝申し上げます。

主にトランスジェンダーに対してですが簡潔にお伝えしたいと存じます。
どうしたらトイレや更衣室、スポーツ、その他様々な場で男性との対峙を避けられるかをもっと重要視して周知して多くの人が知恵を絞るべきです。

これは過激でしょうか?(もちろん性別変更を良い事のように後押しするような教育も立ち止まらねばなりません。)

法に照らせばこの辺りというのは当面はそうなるのかもしれません。現実的じゃない、女性はワガママじゃないのか?といわれそうですが長期的には歪みが大きくなるばかりですし、仮に私たちが折れても若い人たちがやはり嫌だと声を上げるだけの話です。

こればかりはどんなに理屈を捏ねられても受け入れられません。
そして価値観はいつか変わると信じてます。

本来ならば戸籍を変えられないことを目指したいですが、手術をしようがするまいが戸籍を変えるメリットがないという世界が来ればいいなと思ってます。

以上よろしくお願いします。


7-7. 無題(30代女性、匿名希望)

トランスということで苦しんでる方がいるのでマイノリティの方専用のトイレやお風呂を作りましょうならわかるんです。怖がっている女性や嫌がっている女性や困惑している女性を無視して女性スペースや女子大に入れろということは問題だと思いますし、既に性加害が起こっている以上危険です。安全性の問題から反対しています。


7-8. 心の性別とはただの勘違いでは?(20代女性、リサイ)

自分が肉体の性別と違う性別だと認識するのは、電波攻撃を受けていると認識する統合失調症だったり痩せているのに太っていると認識する拒食症であったり凡庸なのに特別優れた存在と認識する自己愛性人格障害と何が違うのか。性同一性障害という病気があることは医学的に言われている以上否定しないが、それは自己愛性人格障害などと同じように「勘違いする病」に過ぎないのではないかと思う。なぜ性同一性障害だけ本人の認識に身体を合わせる形になる?本人の認識を「性自認」として尊重せよと言うのなら自己愛性人格障害の患者の認識も「能力自認」として尊重すべきだろう。なぜそうならないのか?答えは簡単で困るのが女だけだからだろう。能力自認なんざ認められたら皆困る、だが性自認なら困るのは女だけだ。私は今までもはや女性差別など無いに等しいのではと思っていたが、そんな私ですら女性蔑視は根強いと認識を改めつつある。


7-9. 教育現場における性同一性障害患者によるグルーミングの一例(20代女性、匿名希望)

教育関係者、業界二世です。
トランス女性の女性スペース利用問題ではないのですが、自分の生活空間(教育現場)でトランス男性(性同一性障害で戸籍変更済)が女性徒をグルーミングして結婚したのがトラウマで、日々フラッシュバックに苛まれており、投稿させてもらいます。

私は、教育現場において児童の頃から「性別は変えられる、トランスジェンダーには配慮すべき」と刷り込まれてきて、成人する頃には、性的マイノリティー全般を無条件に肯定するようにさえなっていました(LGBは今でも否定しません)。自信のASD傾向も手伝って、思春期には自分はFtXではないかと思っていたこともあります。今思えばよく洗脳されたものです。
昨今、包括的性教育の波が現場に押し寄せようとしていますが、かつての私が経験したようなことをこれからの子供たちが体験するのかと思うと心が痛みます。先生という職業の人間は国や時代の外圧によって半ば無意識のうちに思想流布のための先鋒にされてしまいます。そして子供たちが被害に遭うのです。

ここまで読まれた方には、トランス男性/女性の違いはあれど、海外の教育現場で起きている問題とほとんど同じ構図だとお分かりいただけると思います。
トランスジェンダリズムが教育現場に流入する→教師が洗脳される→子供が洗脳される→子供がトランスを自認しはじめる→子供へのグルーミング発生→指摘した側が差別者になる
という具合です。わたしも調べてみて自分の経験とのあまりの類似性に驚きました。

自分の身体の性別に強い拒否感を示してしまうとか、心の性別の存在を確信するという現象は理解できますし、彼がそのことでとても苦しんでいたことは事実です。トランスジェンダーとは言っても自認する性別は一貫していて身体違和の強い性同一性障害で、医療や周囲の人間の助けの必要な状態だったのも理解できます。それは否定しません。

それでも、性別は変えられるという幻想を周囲が無条件に肯定することが子供へのグルーミングの許容に繋がってしまったことを、トランスジェンダーの側で育った人間として、教育関係者として今こそ告発せねばならないと思いました。

子供の頃から長年他人の性別移行の過程とグルーミングの過程を至近距離で見続けたことによる心理的ダメージからはもはや回復不能のように感じます。包括的性教育のその先に、私のように苦しむ人間が出てくるかもしれないので、解決策は提示できませんが、せめて経験を共有します。日本でも教育現場においてこのような事案があったのだと知っていただけたら幸いです。

性同一性障害特例法は戸籍上の性別変更に留まらず、グルーミングを許容される属性までもを付与したと私は考えています。こんなことがあってもトランスに意見するのは差別ですから、誰一人として彼を糾弾できませんでした。生徒に手を出してはならないという教育業界の職業倫理もトランスジェンダーの前には本当に無力でした。彼は今でも日本のどこかの現場に立ち続けています。


7-10. 無題(40代女性、道民)

既存の価値観を否定し暴力的に破壊しようとする人たちの存在を強く感じています。
また、このようなことに安易に加担し、国民の理解や合意のないまま、むしろ議論を避けるように一方的に押し進めている現状を見ると、政治や行政に関わる人たちが如何に独善的で物事を深く考えることを知らない人たちかと絶望的な気持ちになります。
「かわいそう」に弱い優しい日本人たちを効率的にコントロールすべく、都合の悪い情報は隠して報道によって宣伝工作していますね。
その宣伝費で潤う業者がいるんだろうなとも感じています。
職場に頻繁に送られてくるリーフレットやパンフレット、チラシ。
講演会や研修会。
かなり一方的です。
私にはこどもがいますから、子供が大人になった日本の姿がどうなるのか、とても危惧しています。
北海道はここ20年ほどで大きく変化しました。
外国人などほとんど出会うこともなかったのに、温泉地で頻繁に見かけると思ったら、外国人が働き手となるようになり、外国人留学生のための学校ができ、移民推奨が始まり、開拓の歴史がアイヌの歴史に塗り変えられ、辻褄が合わなくなると学者と称する人たちから新たな言い訳が次々に出て、新しい説が次々と本になり、何が本当だったのかわからなくしている。意図的です。
さらにはLGBT。
アイヌもLGBTも、差別され、いじめられていると言うならその本人を糾弾しましょう。
日本の社会として人権が弾圧されるほどの差別的なことはしていないと思います。
海外と比較してみればいかがでしょうか。
アイヌにしろ、LGBTにしろ、日本国民として権利や義務は平等のはず。
アイヌやLGBTに属していなくたって、つらい思いをする人は少なくないと思うし、多くの人は人生の中でつらい時期があり、困難の前に迷ったり嘆いたりするのが普通の人生だと思います。
それでも感謝の気持を大切にし、前向きに頑張ることで人生が拓けていくのだと思います。
うまくいかないことやモヤモヤすることを人のせいにすれば自分は楽でいいでしょうが、自分に向き合わずに人に甘え社会に甘え、自分の都合のいいように環境を変えないと泣きわめき脅し騒ぎ立てる姿は醜いです。
そうじゃないよと語りかけているアイヌの方やLGBTの方の声をかき消そうとするのでなく、耳を傾けて向き合う姿勢を見せることが今は大切なのではないでしょうかね?
私はもうおばさんですから、トイレや風呂場にLGBTを装った男性がいたなら面と向かって注意もできると思いますが、娘がいるので、お子さんやお孫さんの安全や安心を守りたい人がたくさんいることを、想像できない人たちに大声で伝えていかなくてはと思います。
日本が海外の方たちから見ても居心地が良く住みやすいのは、日本の文化や慣習があってのことです。
日本の文化や価値観を尊重できない人たちで溢れかえれば、その人たちにとってもたちまち居心地の悪い社会になるでしょう。
外の人を大切にすることと、日本の古い価値観を捨てることは一緒ではありません。
一方的に一つの価値観を褒め称え罰則付きで全ての人に押し付けることは直ちにやめていただきたい。
推し進めている人たちは、「かわいそう」は口実です。その裏には自分たちの儲けがあるだけです。
そんなもののために社会を変えないで。

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