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1987年秋、岐阜の体育館で観た中山美穂と細川たかしについて。 HOKURIKU TEENAGE BLUE 1980 Vol. 26

2024年4月に観た中山美穂。

4月7日(日)、金沢歌劇座にて中山美穂コンサート、「Miho Nakayama Concert Tour 2024-Deux」を観た。19都市21公演を行うツアーの初日が、この金沢公演だった。

ネットで読んだファンの方のレポートによると、この日披露されたのはアンコールを含めて19曲。ざっくりとした流れでいえば、前半はジャジーなアレンジでしっとりと。僕のようなシングル曲くらいしか知らないライトファンには未聴の曲も多く、また、アップテンポなヒット曲『ツイてるね ノッてるね』までもがテンポを落としたジャズアレンジになっていて、多少不思議な時間を味わったが、熱心なファンにはうれしい選曲だったのかも。

メンバーのソロをはさんでの後半はうってかわって、僕のような物見遊山の客も一気に引き込むヒット曲のオンパレード。本編のラストは『WAKU WAKUさせて』『派手!!!』『ただ泣きたくなるの』『世界中の誰よりもきっと』など代表曲を連打。アンコールでも『JINGI愛してもらいます』『生意気』などの初期のアイドル歌謡を続けて披露して、大盛り上がりのうちにコンサートは終了した。

昨今のテレビ出演で感じていた通り、声は往時に比べるとあまり出ていないかなあという印象。ハスキーさを増している分、高音がやはりキツそうではあった。それでもツアーを再開した昨年あたりの映像と比べれば、以前の調子を取り戻しつつあるようで、早くも来年行われるであろう40周年ツアーが楽しみになる内容だったと思う。

1987年に観た中山美穂。

中山美穂のコンサートを観るのは、これが初めてというわけではなかった。

ずいぶん前のことなので記憶は定かではないが、たぶん87年の秋ごろではなかったかと思う。僕は二十歳の大学2年生。観客としてではなく、場内整理のアルバイトとして入った現場のひとつだった。

これまたあやふやな記憶だけれど、通常のコンサートではなく、岐阜のある商店街による顧客サービスというか、観客もみな招待されての無料ライブだった、と思う(違うかもしれない)。会場もホールとかではなく、いかにもローカルな地元体育館のような場所だった。人数も千人まではいなかったと思う。

今になって考えれば、当時はバブル期とはいえ、ずいぶんと力のある商店街があったものである。

87年の中山美穂といえば、アイドル歌手としては絶頂期。ちなみにこの年のシングルは『派手!!!』『50/50』『CATCH ME』といったところで、いずれ劣らぬヒット曲だ。

当代随一のアイドル歌手を招くのに一体どれくらいの費用がかかるものか?まったく想像がつかない。なにか特別な伝手を持つ人が間にいたのかもしれないが、仮にそうであったとしても莫大といっていい金額がかかったはずだ。

35年以上前のことなので、いまや記憶はとぎれとぎれ。けれど、いくつかの場面、特にオープニングの場面が強烈に残っている。

無料の招待ライブなので、ファンばかりが集まっていたわけではない。年齢層、客層も相当にバラエティに富んでいた。

それこそ下は小学生くらいから、上はその祖父祖母の世代まで。熱烈なファンもいただろうが、「無料で人気アイドルを観られるなら行ってみるか」程度のノリで足を運んだ人も多かっただろうと思われる。

そんな雑多な人々を飲み込んだ体育館に、人気絶頂のアイドル、中山美穂があらわれたわけだ。

オープニングの曲がなんだったか、はたまた演奏が生バンドだったか、カラオケだったか。そのあたりの記憶ももうない。たぶんカラオケ演奏だったのではないかという気がする。

下手から中山美穂が現れた時に沸き起こった大歓声は、長い年月が過ぎ去った現在でも忘れがたい。

あれはなんだろう。色んな感情が攪拌された、一種異様なうねりとでもいえばいいのだろうか?通常のコンサートのそれとは明らかに違っていた。

それらのいくつかを僕なりに翻訳してみるなら「すげー!」「本物だ!」「こんな地元の体育館にほんとに来た!」「いやでもなんで!?」「テレビでみるよりかわいいぞ!」「ほっせーな!」そのほか諸々の感想が混然一体となって渦巻き沸きあがる。

その声にいつもと違う様相を感じ取ったのか、ステージ中央に向けて2,3歩足を進めたところで、彼女はぴたりと足を止め、驚きと戸惑いの表情で観客をみた。

「え?え?なにこの雰囲気?」とでも言いたそうな表情を浮かべながら、それでも気を取り直したようにステージ中央のマイクへと向かい、最初の曲を歌いはじめた。

その後のコンサートの内容についてはいまやほとんど何も覚えていない。人気絶頂のアイドルが当時のヒット曲を歌いまくるのだから盛り上がらないはずがなかっただろう。さりとて現場が盛り上がりすぎて大混乱に陥ったという記憶もないから、岐阜のみなさんはたぶん節度を持ってコンサートを楽しんでくれたのだと思う。

オープニングの場面だけを鮮明に覚えているのは、通常のコンサートの予定調和的な盛り上がりとは別種の「何か特別な事態に遭遇した人々の上げる驚きの声」を目の当たりに体験したからではないかと思う。

1987年秋、細川たかしショーの衝撃。

このコンサートからほどなくして、同種の現場に入ることになった。記憶はあやふやだが、もしかして同じ商店街の企画で、場所も同じだったかもしれない。とにかく通常のホールとかではなく、体育館のような所での無料の招待コンサートだった。

その時の演者は、細川たかしである。

よく覚えているのは椅子すら置かれておらず、ゴザのようなものの上で、観客はみなそれぞれあぐらをかいたり、体育座りして、細川たかしの登場を待っていたことだ。いかにもローカルな雰囲気が満載だった。

客層は当然、中山美穂のときよりぐっと高めだった。けれど、無料招待だけに、若い観客もそれなりいて、子供からお年寄りまで、「とりあえず有名な芸能人をみに来ました」というのんびりした空気が漂っていたのを覚えている。

この日の僕のコンサート中の持ち場は、最前列よりさらに前。なんとステージの真下、それも中央だった。背中をステージ側につけてしゃがみこみ、そこから観客の様子を見守った。

当然、その位置からは細川たかしの姿は見えないが、頭上すぐのところに気配を感じた。ライトに照らされた彼の影が、僕の目の間でゆらゆらと揺れているのが見えることもあった。あとは、観客の視線を見れば、彼がステージのどのあたりにいるか大体のところはわかる。

それはなんとも不思議な体験だった。

たぶん僕から1メートルと離れていないところで、あの「細川たかし」が熱唱していて、そして、目の前には彼の姿を熱心に見つめる多くの観客の視線があった。

そして、僕はといえば、当然演者ではないし、かといって観客でもない。騒ぎを起こすような人もおらず、仕事らしい仕事もない。

ステージ下にしゃがみこんでいると、なんだか自分が透明人間か何かになったような気分になってきた。

たしか2003年、ビートルズの『Let It Be Naked』が出た時に、スタジオでの様々な演奏を収録した『フライ·オン·ザ·ウォール』という特典盤がついてきた。つまり、スタジオの壁にとまったハエの気分で聴けるということだけが、まさにそんな感じだ。

さすがに自分をハエとまで自虐はしたくないが、けれどそれはけして悪い気分ではなかった。なにしろステージに誰よりも近い場所にいるのは僕なのだ。

この日の細川たかしがどんな歌を歌ったか、まったく覚えていない。きっと観客サービスとして当時のヒット曲は大体歌ったのではないだろうか。そう思うが、記憶には一切残っていない。

ただ最後の曲の場面はいまだに強烈に記憶に残っている。

曲名はわからない。歌詞を聴いていると、とにかく歌い手の歌うことへの思いについての楽曲であることだけはわかった。

多くの人が様々な思いを抱えて行きかう道の上、そこにこそ自分が歌うべき何かがある。これからも自分はこの道をどこまでも歩き続ける。人々の思いを胸に宿し、それらを余すことなく歌っていくために―。

おおまかには、そんな内容だったと思う。

静かに始まった曲は、徐々に熱を帯び、細川たかしの声の調子も上がっていく。演奏の熱も増していき、後半に入ると身をよじるようなアクションとともに、エネルギー全開の熱唱タイムに突入する。そのドラマティックな展開は演歌というよりソウル。

「なんかすごいな!ジェームス·ブラウンみたいだ!」ステージの真下で、視線は観客に向けながらも、心は細川たかしの熱唱に吸いよせられていた。

どうやら彼は、ステージの前方まで出て、ちょうど僕の真上あたりで熱唱しているらしい。体育座りした僕の目の前で、細川たかしの影が激しく揺れているのが見えた。そればかりか、彼の影が揺れるたびに、汗が一粒、二粒と、その影の上に落ちてくる。ショーの最後の最後、全身全霊の熱演で、細川たかしは観客を圧倒しようとしていた。

僕のすぐ前、最前列には僕と同年代、二十歳くらいの女の子が座ってステージを見上げていた。年齢からいって、たぶん演歌ファンではないだろう。けれど、彼女も細川たかしの熱演に吸い寄せられているのがわかった。

彼女の口はぽかんと半開きで、目は大きく見開かれていた。忘我の表情というやつだ。その表情は「モンタレー·ポップ·フェス」『ボール·アンド·チェイン』を歌うジャニス·ジョプリンをあんぐりと口を開けつつ呆然とみつめる女性の映像を思い起こさせた。しかし、その女性と違うのは、細川たかしの姿を見つめる彼女の目からやがて大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちてきたことだ。

彼女はその涙をぬぐおうともしないで、細川たかしを見つめ続けた。もしかして彼女は、自分が今泣いていることすら気づいていないのかもしれない。

やがて曲が終わると、彼女はようやく頬を濡らしている涙をぬぐった。視線はさきほどまでの熱演を反芻しているのか、まだステージの上をさ迷っている。

それまでの人生でそうそうないような感動を、彼女はこのステージから受け取ったのかもしれなかった。

それはまた僕も同じだった。

テレビでみる細川たかしとは一味も二味も違う熱演。足元で揺れる彼のシルエット。落ちてきた汗のしずく。そして、あふれる涙をぬぐおうともしないでステージを凝視していた彼女の視線。

それらすべてがないまぜになって僕の中へと流れ込み、心をかき回した。

僕の得た感動は、観客が感じるそれとは少し違っていただろう。ステージの真下という特殊な場所で細川たかしの熱演を背中で感じながら、客席と相対する位置にいたことが大きい。

その場所は演者と観客、双方の熱が交わり凝縮されているようだった。そして、そこに身を置いていたのはただひとり、僕だけなのだ。その興奮はいつまでも僕の中から去らなかった。

もしかして…、この場所こそが僕が最も「いたいと思える」場所、ずっと探していた場所なのではないだろうか。

そんな思いが、長い年月を経て、その後僕にある行動をとらせたのだと思うが、それはまた別の話だ。

調べてみると、この日、細川たかしがショーの最後に歌ったのは『道の向こうに歌がある』という曲ではないかと思うのだけれど、結局、楽曲自体を探して聴くことができなかったので、実際のところはわからない。

もう一度聴いてみたい気もするし、思い出のなかだけに留めておくのがいいような気もする。

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