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高校受験

中学3年生、担任の先生と母と3人で面談をした。
頑張ってきたつもりだったけどオール3。
夢を見ていた公立高校にはとうてい及ばず、
ほかの高校ってどこだっけ?ってなっているのに、
学校の意向として特別なことがない限りみんな公立を受けましょう
な決まりというか言われたというか、本当は楽して推薦で私立でも
いいじゃないかと心のどこかで思っていた私がいた。

公立を受けるにあたって私立は専願にしておかないと
私には荷が重すぎる。ただ考えていた私立の専願の枠には
はまることができず、公立高校と同じように、
ほかの私立高校ってなにがあるっけ?状態だった。

夢見てた公立高校以外で考えていたのは
いとこが行っていた高校の国際科(のちに妹たちが通う。)
英語の先生に授業のあと国際化考えているといったら
「甘い気持ちでいくんじゃない」と一刀両断。
そこでそれでも行きます!っていえばいいのに、当時の私にそんな
勇気もだれかの一言を蹴散らせる自信も持ち合わせていなかったため、
国際科という選択肢は簡単に砕け散った。

ということもあり三者面談では本当親子ともに
どうしよう状態でのぞんでしまった。
このあたりどうですかねと担任の先生に進められるままに
公立を決め私立は2校候補があがった。
どちらも女子高で短大、大学もある。

一つは土地勘のないところ
もう一つはなじみのある土地(母方の祖父母の家に行くときに通り過ぎる)
というのと国際科はないものの、留学サポートのある学校だった。

そこでふと「留学したいな」と思った。
留学というもの以外、土地勘があるかないかの差で
どうしようかと思っていたが親の希望もあり
土地勘もあり留学サポートもある私立を選んだ。

オープンキャンパスに母といった時に
「あ、私ここに通うわ。」と思った。
母も「試験おわってないのにいうのはどうかと思うけど、
母さん、あんたはここに通うとおもう。」と母にも言われた。

しっくりきてしまった。

それと一緒に決まったことがある。
「私立に行ったら留学をする。」
心の中で簡単に決めてしまった。


専願なので私立はそこに決まった。

公立は3人受験した。3分の1と言われていた倍率の高校。

受験日前日まで残って1対1で勉強に付き合ってくれた先生がいる。
3年間、私は思い描いていた成績を残せなかった。本当は
こんなんじゃなかった、前日まで解けない問題の方が多くて
くやしくて、こんなんじゃだめだなんて自分が一番わかっていた。
やめた塾の先生の言葉もよぎった「お前はダメだ」
つらかった。

先生の前で私は泣いた。
なんて声をかけてくれたかとかは覚えていないけど、
私の母にまで頑張っていたことをわざわざ伝えてくれた
いい先生だった。私の悔し涙が忘れられないっていってくれた。


合格発表の日、行きは三人で行った。
倍率の通り一人だけ受かった。
その子一人だけにするわけにはいかず、
校門まで一緒に行った。封筒を持ったその子は
部活の勧誘のチラシをもらっていた。
笑顔でバイバイできたとおもう。

校門をでた少し離れたところで母が迎えに来てくれていた。
車に乗り込んだ瞬間、涙はやっぱり止まらなかった。




携帯電話を買ってもらった。
この時期は、
花は桜君は美し/いきものがかり をずーっと聞いていた
地元中学からは私ひとりだけが通う高校。
電車通学も誰も私を知らない環境に行くのも楽しみだった。


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