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HSP、エンパス体質 三姉妹の長女 広島生まれ広島育ち   17歳→アメリカへ交換留学…

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HSP、エンパス体質 三姉妹の長女 広島生まれ広島育ち   17歳→アメリカへ交換留学   26歳→オーストラリアにワーホリ   27歳→カフェ、花屋、生地販売 掛け持ちアルバイト  28歳→短大卒業後初めて保育士として働く  現在東京都在住 だれかの心にに届きますように

最近の記事

迷子の新学期

入学前からホストブラザーのおかげで何人か 同じ高校の子たちとは出会えたものの、 やっぱり現地の高校に入るのは緊張するもので、 始まってしまった・・・といった感じ。 当時私が思った日本の高校と違うのはカウンセラーがいること。 カウンセラーと一緒にどの授業をとるか、何時にランチを取るかを 話して決めてテストの結果などで必要であればクラス替えをする。 なので何組と言ったクラスはないし、担任もいない。 あとは廊下に決められた番号のロッカーがあること。 南京錠はあらかじめ買っておい

    • ホストシスター

      ホストファミリーの中で一番下の妹は 中学2年生くらいで歌がうまくて、顔がかわいくて、 カーリーヘアでいつもケータイを手放さず、メールが来るたびに笑っていて次男と充電器を取り合い、ビートルズやthe70's show をずーっとみていた。 そういった年代のものが好きで、彼女なりのこだわりもあった。 ボーイフレンドや少し上のちょっと悪い友達に夢中なまさにteenagerだった。 兄妹関係において驚いたことは 私があめりかであった兄妹のお互いの呼び方は「お兄ちゃん、お姉ちゃん」と

      • 性格が正反対のホストブラザー

        長男(34)次男(16) 2人のホストブラザーは性格が正反対で、 長男は繊細、優しい 次男はナルシスト、頑固 優しくないことはないけど やさしさ以前の問題に自分が大好きすぎるが強すぎて 優しかったっけ?ってなってしまった。 長男は働いていたのと、地下に住んでいたので あまり顔を合わせることはなく、途中で彼女さんと アパートを借り家を出た。 家にいたころはダッド(ホストファザー)とよくケンカしていた 印象しかない。(私は怒鳴り声がすごく苦手なんだと気づいた。) あと次男か

        • ホストマザーとわたし

          ママはチリ人。 おばあちゃんは英語がはなせないので家の中ではスペイン語が飛び交うことも日常だった。(アラビア語より多かった。) きれいにカールされたヘアスタイルでネイルもしていた。 ヒールを履いて部屋を歩く音、車のカギを持つ音が私は好きだった。 メイクもきちんとしていて女性らしい人だった。 優しいひとで、愛がある人というのが今も変わらない印象。 チリは魚も野菜も新鮮でとてもごはんがおいしい国なのと教えてくれ、 時々魚を焼いてくれていたが、ママ含め家族が部屋中が「魚くさい

        迷子の新学期

          ホストファザーから初めて聞かれたこと

          ホストファザーはエジプト人。 毎日アラジンの魔法の絨毯のようなものをひいてお祈りをする。 私が見ていたのは朝、晩のお祈り。 宗教上豚肉を食べられないし、私がお世話になったときは ちょうど違う年だったからとの理由だったけど 断食もするらしい。 初めて目にする文化に興味津々なった。 (私も友達との外食以外では豚肉を食べることはなかった。) ホストマザーやブラザー、シスターも同じ宗教かと思いきや 小さいころは試したことがあるけれど、会わなくてやめたとのこと。 ただ豚肉を避けてい

          ホストファザーから初めて聞かれたこと

          アメリカ生活

          アメリカに到着してドキドキの中初めて ダイナーに行った。めちゃくちゃ緊張の中、チーズバーガーと コーラ、ポテトを頼んで運ばれてきたものの大きさに 驚いた。(これがアメリカンサイズ。。。) ホストブラザーの友達も働いているようで仲良く会話を交わしている 様子を見ながら、緊張と長時間フライトでの疲れもあり、 あまり食べられなかった私はせめて飲み物だけは飲みほそう、、、! と頑張ってコーラを流し込んだ瞬間に、ホストブラザーの友達が コップをもっていってしまい新しいコーラが出されて

          アメリカ生活

          人生初のアメリカへ出発

          八重洲のホテルで5時半くらいに母に起こされ 寝起きのまま、いってきますビデオを撮影された。 ホテルの朝食でレストランのようなところに行ったけど、 緊張と早朝ということもありオムレツがあまり食べられなかった。 ハイキャットで留学団体と合流。 母とは一度ここでお別れ、成田空港で合流する。 高校の友達とも会えた(たまたま出発の日程が一緒だった。) バスのなかで母から渡された一冊の小さいノート。 手書きでメッセージとGreeeeNの歌詞の一部が書かれており 涙が出てきた。 静か

          人生初のアメリカへ出発

          行き先とホストファミリー

          当時、申し込みをした留学団体は ホストファミリーはボランティアで受け入れる ホームステイの期間にも種類があり、 短期間から10か月最後までと選べていたので、 ホストファミリーが決まったとしても、 いろんな場所を転々とすることもあるようだった。 ほかの子がどんどん決まっていく中、 私は全く決まらない。 到着した時点で決まっていなければ現地のサポーターに お世話になるのだけど、不安でしょうがなかった。 本当にギリギリに決まったホストファミリー。 10か月住まわせてもらえること

          行き先とホストファミリー

          交換留学の準備

          驚きの合格発表のあと、試験前と同じ オリエンテーションが1泊2日で行われた。 やっぱり自分が場違いという気持ちがぬぐえなくて、 馴染めなくて、周りと比べすぎてしんどかった。 (誰も、何も私に対していかなる感情も持たないでくれ。) もう感情はぐちゃぐちゃだし、 早く終わってほしいと願うばかり。 経験者がボランティアで行っているこのオリエンテーション 交換留学経験者とその親もやってきてこれから交換留学をする 子、親に対してのオリエンテーション。 意気込みや心構えをたくさん考

          交換留学の準備

          交換留学に向けての準備

          私が入学したときに3年生の学年には 「留学科」なるものが存在していた。クラス人数は5人くらい。 生徒は全員交換留学に向けての英語メインの授業をする。 私の代ではそれが存在せず、どの学部からでも 交換留学のテストを受ければ海外に行くことができるといった ものだった。希望者は別途学費を払い、週2日放課後に ネイティブの先生、日本人の先生と一緒に試験対策、英会話の 授業を受けることができた。この授業を受けたからといって 必ず試験を受けなさいというわけでもないので、 母親から「留学

          交換留学に向けての準備

          初めての親友

          衝撃の入学式から数日たった。 同じクラスになってしまったサッカー部女子たち。 3人中2人無視てくる。もうあからさまに。 残りの1人は同じグループの子たちが私を無視していても 気にしないという感じでどちらかというと話しかけてくるし フレンドリーないいやつだった。 びっくりしたのはサッカー部の先輩が教室に勧誘に来た時に 私をマネージャーに推薦しようとしてきたこと。 (え、まって状況わかっていってるよね?地獄だよ) もちろん断ったけど、不安ななかで分かったことは 同じサッカー部でも

          初めての親友

          涙の高校入学式

          専願で決まった女子校では入学式前に数日間登校し、 宿題が出された。 登校して最初に出会ったのはサッカー部の子たち。 人を見る目が皆無な私は体育会系の子たちはきっとさばさば していて接しやすいだろう、と変な思い込みをもっていたのと 同時に寮生活をしている子たちということもあり、 知り合いが全くいないという似た境遇にも親近感を勝手に持っていた。 中学で気の合う親友と呼べる子がいなかった私は ここで親友と呼べる友だちをたくさん作りたいと思っていたので 本当に入学が楽しみだった。

          涙の高校入学式

          高校受験

          中学3年生、担任の先生と母と3人で面談をした。 頑張ってきたつもりだったけどオール3。 夢を見ていた公立高校にはとうてい及ばず、 ほかの高校ってどこだっけ?ってなっているのに、 学校の意向として特別なことがない限りみんな公立を受けましょう な決まりというか言われたというか、本当は楽して推薦で私立でも いいじゃないかと心のどこかで思っていた私がいた。 公立を受けるにあたって私立は専願にしておかないと 私には荷が重すぎる。ただ考えていた私立の専願の枠には はまることができず、公

          高校受験

          敵認定された日

          中学生になったころ同じ町内の同い年の子と 仲良くなりかけていた。話すのはまだ慣れていないけれど これからもっと仲良くなれるかも!と思っていた。 町内のスポーツチームも同じで(フットボール) 貴重な同い年。その子のお母さんはナースさん。 当時通っていた病院で働いていたので行けば少し話すくらいだった。 中学生に上がったくらいのころ。 敵認定は突然何の前触れもなく起こった。 私の幼馴染とその子が付き合うことになった。 幼馴染本人から聞いたのと学年で一瞬で広まったので 知っていたし

          敵認定された日

          参観日で母が誇らしいと思ったこと

          中学校1年生の時にちょっと不思議な男子がいた。 コミュニケーションが苦手で動きがゆっくりな子だった。 クラスのにぎやか組がひけらかす、なんでそうやって 大声だして他人のことをとやかく言えるんだろと 特に私が助け舟をだすわけではないけど 普通に席がちかかったのもあり、避けたりはせず クラスメイトとして普通にかかわっていたと思う。 ある日の参観日。その日は体育館でだった。 自分の親以外と障害物競争をして最後その男子の番になった。 でもその子が見渡しても一緒にやってくれる保護者

          参観日で母が誇らしいと思ったこと

          中学校生活で得たもの

          2年生になるとグループだった子たちと別れ 幼稚園の時からの顔なじみ、同じ部活の子と バレー部の子と過ごすようになったと思う。 クラス全体の雰囲気も悪くなく、担任の先生も良い先生だった。 野外活動、体育祭行事も増え夏休みが明けると 部活では先輩が引退。私は副部長二人のうちの一人となった。 初めてできた後輩たちがかわいくて、楽しくて。 2人やめたけど残った子たちと仲良くできていたと思う。 実らない片思いを二回経験した。 告白はできなかった 塾もやめたくらいから学校もプライベ

          中学校生活で得たもの