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記憶と涙と知らない未来✨

最近、出かける度に何かが新しくなっている感じがする。買い物の仕方や電車の乗り方が変わって、新しいビルが建ち、新しい店ができ、便利になるのは嬉しいことだが、覚えることがいっぱいで、頭の中を整理しなければ、とてもついていけない。

私は昔から、「よくそんなこと覚えてるねえ。」と
言われることが多い。好きなアニメの終わりの歌とか、芸能人の誰と誰が同級生だとか。そのくらいのことならまだいいが、あの時あの店に誰それと行ってどんな話をしたとか、会社の誰だれさんはいつもこうしていたとか、公園でこんな遊びをして大人にこう言われたとか。だから何?と言われてしまうようなことを鮮明に覚えていて、呆れられる。

これが、実はとっても鬱陶しいことでもあると気づいたのも最近だ。呆れられるだけならまだしも、「その話はもういいよ。」「それ嫌だなあ。」みたいに言われることが多いのだ。

私がこんなに色んなことを覚えているのは、たくさん転校したからなのかも知れないし、弟達のお姉ちゃんとして色んなことを記憶しておかなければいけないと、小さい頃から思っていたからかも知れない。覚えててくれてありがとうとか、覚えていてエラいねとか、言われたかったんだろうな。

でも、忘れて欲しいことを人に覚えられているのは確かに嫌だろう。
だいたいにおいて、その記憶自体が間違っていることもあるわけだし、その時すでに私が勘違いしてた可能性も大いにあるんだから。そしてその思い込みが、今の自分の考え方や行動に影響しているのなら、私もその記憶に縛られてしまっていることになる。

同じように小さい頃から、私は緊張すると突然ボロボロ泣いてしまうことがあった。学校の先生と親との三者面談の時や、上司に何かをきちんと伝えなくてはならない大事な場面で、泣くつもりはないのに、無意識に涙が流れてどうしようもなくなる。それが自己嫌悪に繋がった。ある時、本やネットで調べたら、そういう人は結構いた。そして、自分の中でずっと抑えていた寂しさとか怒りとかのマイナスの感情が、行き場をなくして溜まっていて、それが何かのきっかけで溢れるのだというようなことがわかって、ものすごく納得したものだ。

湧いてくる寂しさや怒りなんかを塗りつぶそうとして、私は必死に楽しいことをたくさんたくさん記憶し続けていたのかなとも思う。

でも、もう全部終わったんだなと今は思える。辛い気持ちは確かにあったから、大変だったね、よく頑張ったね、と自分で労ってあげよう。そして、思い出は、楽しかったキラキラしたところだけをぼんやり記憶していればいいんだ思う。勘違いや思い込みかも知れないあれこれは、綺麗さっぱり忘れていいんだ。もう覚えていなくていいんだ。

そうすることで、ずいぶん、自分の中の色んなキャパが広がるんじゃないかな。今よりもっと色んな面白いものに気づけて、もっと身軽に遠くまで、ぴょんぴょん行けるんじゃないかな。考えもしなかった、誰かの優しさや温もりに癒されたりするんじゃないかな。

人生はまだまだ終わらない。
じっとしてたらもったいない。
知らない未来をもっと知りたい。
だから、新しい頭と心で生き延びたい。
新緑に囲まれて、そんなささやかな決心をした。☘️

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