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もしかして、私って?が尽きない、小心者です(気にしぃです)

自分が難病闘病中だから?父が延命治療中だから?
急に命についての記事ばかり書きだし、気付きだ学びだと自ら言いすぎると、読んだ人がうっとうしく感じたりしないか?と思ったりする。

本当は、淡々と、事実のみを書く方が良いのかもしれない。
あまりに、気付きだ学びだと書きすぎると、もしかして、偉そうに思われやしないだろうか?←気にしぃ発揮

自分が毒親気質の親育ちだから?
昔から人生にあえぎ苦しんでるだけの人生だったかのごとく、悲劇のヒロイン(ヒロインという年ではないが 苦笑)ぶった言い方ばかりしてると、読んだ人がまたかよと思ったりしないか?と思ったりする。

本当は、どんな記事であれ、淡々と、事実のみを書く方が、もしかして、大げさでなく、真実味を帯びるのかもしれないなんて思う時もある。←気にしぃ発揮

どうも、私は、記事を書く上で、陶酔しがちなので、自分の感じたことをそのままに書くと、感情的な人、自己憐憫に陥ってる人に思われやすい。
感情的。。。まあ、事実ではあるが、感情的なだけではない。
自己憐憫。。。これもまあ、事実ではあるが、それだけで一くくりにされたくない。

それにしても、感情的、自己憐憫、どれもあまり良い意味では使われないように思う。
なぜだろう?
日本は、感情を表に出すことを良しとしない国だからだと思う。
おとなしくしていること、特に女性(女の子)はそれを社会から求められてきたように思われる。
自己憐憫についても、自意識過剰に思われるだけのような気がする。

もしかすると、私の生きづらさの原因は、そこにあったのかもしれない。
決して、おとなしいだけのタイプではなかったからだ。
正確には、普段はおとなしくて、事が起こった時、自分の感情が刺激されることがあると、思いを告げてしまう方だったからだ。

ちなみに、おとなしいか、気が強いか、どっちかの性格の方が周囲にはわかりやすい。
その方が、周囲から、あの人はこういう人だからと思ってもらいやすい。
私はといえば、おとなしいんだか?気が強いんだか?わからない性格をしている。
となると、大抵は、相手方にとって都合の良い方に解釈をしたり、相手方にとっての偏見で解釈をされてしまう。

私はといえば、おとなしくもあり、気が強くもある、ただそれだけのことなんだが。
おとなしいと思う人からは舐められ、気が強いと思う人からは生意気(面倒くさい人)と思われ、あまり良いことがなかったな。

可愛がられる人とは、程遠い人生だったような気がする。
無条件に、可愛がられる人。。。無邪気で、朗らかで、嫌味のない人、そんな人が羨ましい。
だがしかし、私は可愛がられることを望んでいたわけではない。
羨ましいけれど、望んでいるわけでもない、これまた複雑な感情で、自分でも自分て面倒くさい人と思ってしまうのである。


い、いやしだ。。。😍

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