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まるで絵画のような文章を書きたい

私は自分の文章に満足をしていない。
自分の目指す世界観にはまだまだ足らない。
私の目指す世界は、まるで絵画のような文章が繰り広げられている世界のことだ。

読めば、頭に情景が浮かぶような文章。
読めば、心に絵筆で落書きをされたような感覚になる文章。

そんな文章を私は書きたい、いや、描きたい。
私は、文字を通して、絵を描きたいのかもしれない。
イメージできる世界が欲しいのだ。
そこに生きる自分を感じたいのかもしれない。

20年前、私はダブルワークをしていた。
夕方から深夜にかけてやっていた仕事は、接客業だ。
子供の頃に住んでいたことのある街だから、懐かしさからその地でアルバイトを決めたのだが、少々、治安の悪い場所であった。
そんな場所に集まる人は、どこか訳ありな人物が多かった。

アルバイトの先輩に、レベッカとB'zが好きな人がいた。
私の音楽の好みとどんぴしゃりな人だった。
私はその人のことが知りたくて、たくさん話しかけたが、いつも口数の少ない人だった。
しかし、メールになるとガラッと人が変わったかのような文章をくれる人だった。

そこにいる先輩はまるで詩人。
私は先輩と詩のような言葉で語らった。
とても不思議な関係だった。
口頭で話す時は、全然、仲良くない。
なのに、メールの世界では、不思議な連帯感があった。
詩のような語らいを通して、まるで一つの絵を合作しているかのように。

先輩はイラストを描く人でもあった。
ある日、B'zの稲葉さんの絵を描いてくれた。
喜ぶ私に、先輩はそのイラストをくれた。
その後も、口頭で話す時は、特別、仲良くなることはなかった。
私がダブルワークを辞めても、しばらくはメールで詩のような語らいを続けた。

結局、お互いに生活リズムが変わってしまったので、なんとなく自然消滅のような形で、交流は途絶えてしまった。
あれから20年も経つが、私の中では、その先輩と交わした詩の語らいのような記憶が忘れられない。
あんなにも心ときめいた感覚は珍しかった。

言葉を紡ぐことに恋してるような感覚であった。
私がnoteで記事を書く時、本当はそのぐらいの感覚を求めているような気がする。
しかし、今の私には、まだそんな状況を作ることができないでいる。
もどかしい、もどかしくてたまらない。
そんな時に、絵筆(記事を書く手)が止まるのだ。

まるで絵画のような文章を書きたい、そう願っても、私の中に詩人がいない。
あの時は、あんなにも詩を書けたのに、絵を描くことができたのに。




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