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雑記13 細田守小考(上)

 細田守の長編アニメ映画をまとめて観る機会があったので、つらつらと考えたことなり、感想なりを綴ろうと思う。その内、作家論的なものを書こうと思っていて、本稿はそれの準備的考察である。筆者は細田守の熱狂的なファンというわけでもないが、「竜とそばかす姫」公開のタイミングで、あちこちのサブスク・サービスに作品が登場したので「そばかす姫」鑑賞前の予習として作品群を観たのである。細田守には短編作品もあるのだが、鬼太郎は配信サービスにないし、デジモンアドベンチャーはテレビシリーズを全部観る元気がなかったので、今回はスルーしている。まあ、そういうこともある。
 細田守といえば、現代アニメ映画を代表する監督の一人で、アニメ・オタク以外にも名を知られる数少ない人物と言える。他に有名人と言えば、宮崎駿と高畑勲を別格として、庵野秀明と新海誠くらいだろう。富野由悠季と出﨑統は重要なポジションの作家だが、そこまで人口に膾炙していないだろうし、原恵一、山口尚子、湯浅政明、新房昭之は作品名こそ有名なものの、監督自身の知名度は高くなかろう。熱狂的なファンのいる押井守や幾原邦彦だが、オタク以外にどれだけ知られているかは不明だ。筆者の好きな、山村浩二や川本喜八郎なんかはアニメ・オタクでも知らないかもしれない。前者は海外で多くの賞を獲っている監督で、代表作の「頭山」をはじめ、作品のいくつかは監督のYouTubeチャンネルで鑑賞可能だ。後者は高名なストップ・モーション監督で、手塚治虫などと同世代である。不条理三部作と言われる「鬼」、「道成寺」、「火宅」が著名であり、安部公房「詩人の生涯」のアニメ化も行っている。
 閑話休題。細田守の話に戻ろう。2022年時点で彼の発表した長編作品は全部で7作品。時系列に並べると、「ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島」(2005年)、「時をかける少女」(2006年)、「サマーウォーズ」(2009年)、「おおかみこどもの雨と雪」(2012年)、「バケモノの子」(2015年)、「未来のミライ」(2018年)、「竜とそばかすの姫」(2021年)となる。以下に個人的な作品ランキングを載せるが、まずはこの順番に従って各作品の簡単な考察を行い、その後、細田守の特質について論述しよう。

 1.「おおかみこどもの雨と雪」
 2.「時をかける少女」
 3.「サマーウォーズ」
 4.「ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島」
 5.「竜とそばかす姫」
 6.「未来のミライ」
 7.「バケモノの子」

 私見では、親の無意識な理不尽さを描いた「おおかみこどもの雨と雪」が一番面白いと考えている。本作の主人公・花は狼男と結婚し、娘・雪と息子・雨の二子を授かるも、夫が死んでシングル・マザーとなってしまう。子供の将来を考えた彼女は東京から去り、縁もゆかりもない田舎へ越すことに決める。彼女は、狼に変化できる子供には自然豊かな場所が好ましいと考えており、子供を優先していると言えよう。花は愛情深く、真摯に子育てをしているが、亡夫の面影を我が子、特に息子の雨に重ねており、子供を愛した人の代用と見ている節がある。そうした状態に花は無自覚で、自分は子供のために行動していると考えている。あくまで善意に基づく彼女は、必要以上に子供を拘束していることをあまり反省していない。こうした彼女の性質は、雨が山へ旅立つ場面で如実に現れる。田舎に来た当初の花は、子供達が狼と人間のどちらの生き方をするか選べるようにしたいと言っていたが、いざ雨が独り立ちを決意すると、寂しさから彼を引き留めようとする。最終的に雨は狼として山で生きていくこととなるが、彼を見送った直後に花は亡夫の姿を幻視している。ここからも彼女が子供を夫の代わりと捉え、夫を失った喪失感から息子を束縛していたことが窺える。このような花の振る舞いはいわゆる毒親のそれであり、子供への愛情に隠された利己心が雨を苦しめてしまっている。他方、花は雨への執心が原因で、雪には真剣に向き合っていない印象がある。雪は人間として生きることを望み、狼人間であることを周囲に知られたくないのだが、学校で正体がバレそうになって追い詰められる。花は、夫の面影があり、生死の境をさまよったことのある雨ばかり気にかけており、雪の扱いは些かおざなりだ。実際、雪の悩みを解決するのはクラスメイトで、花は悩みに勘付いていたのかさえ不明瞭だ。親は子に等しく愛を注ぐべきという価値観がいつ生まれたかは分からないが、少なくとも作品発表時点では一般に流布していただろう。しかし、現実には親子の間でも相性があり、仲良くできる子がいる一方、苦手な子とはぎくしゃくすることも多い。以上のまとめると、雨の自由を縛り、雪への関心が薄れていく花の姿は、理想を目指しながら寧ろそこから遠ざかってしまう親のジレンマを表現しており、「おおかみこどもの雨と雪」は、親の理想像に隠された現実を明らかにした作品と言えるだろう。
 「時をかける少女」は筒井康隆の同名小説を原作にしており、細田守の出世作というべき作品である。恋心に気付くまでをストーリーの中核とした点が本作の独自性だが、自身の恋愛感情に気づかない主人公というのは珍しくない。『モンテ・クリスト伯』のエドモンド・ダンテスは中盤までエデへの感情を自認していなかったし、少女漫画でも『ラブコン』、『高校デビュー』あたりがそうしたネタを使っている。少女漫画に造詣が深くないためこの程度しか例を挙げられないが、実際にはもっと多いだろう。その他、『うる星やつら』のあたるや『とらドラ!』の竜児も同系統のキャラクターと言える。このように、恋に落ちてから恋心を認識することは恋愛モノの王道と言え、手垢のついたものである。殆どの場合、恋心に気づいた主人公は何らかのアクションを起こし、結果、意中の相手と恋仲になっており(無論、そうならない場合もあるが)、恋の自覚はあくまで話を展開する一つのフェーズに過ぎない。つまり、それ自体が物語の中心に据えられる事はないのである。対して本作は、真琴が己の恋心を自覚する過程が筋の大半を占め、気づいた時には千昭との別れがやって来ている。このように「時をかける少女」は恋心の自覚をクローズアップした作品なのであり、恋愛ものとしてはかなり珍しいと思われる。
 現在、流行りのメタバース(あくまで広義の、だが)を描いた「サマーウォーズ」は「時をかける少女」と並ぶ細田守の看板作品である。IoT犯罪を扱ったSFアニメだが、先行作品に「攻殻機動隊」や「ロックマンエグゼ」、「ターミネーター」などがあるためそこに新味はないだろう。メタバースも「攻殻機動隊」や「ロックマンエグゼ」で使われているし、作品発表以前からMMORPGなり、mixiなりメタバースに似たものは存在している。人工知能の暴走というネタもSFではお馴染みのものだ。「サマーウォーズ」はこうした既存のSF的設定を上手く組み合わせて作られており、要素を巧みに編集することで高い娯楽性を獲得しているのだろう。一方、数学に秀でた主人公がその暗号解読能力でネット犯罪を防ぐ点や花札が物語の鍵となる点などは独特な箇所であると言える。これを踏まえると、本作の面白味はアナログな方法で人工知能を打倒する部分にあるのではないだろうか。昔の遊びや手作業の暗号解読が話の肝となる点、田舎の情景および大家族が崇拝される点、人間関係こそが第一とされる点などには昭和へのノスタルジアが感じられる。このように古きものが新しい技術に抗し、世界を救う点が本作の根幹なのだろう。
(細田守小考(中)に続く)

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