見出し画像

【金融リテラシー必須の時代⁈】江戸時代の金融教育

 このブログでは、初心者向けに投資について書いています。

 これまでも投資のイメージについて度々書いてきました。マイナスなものばかりですが…

 最近になって本格的に金融教育が始まりましたから、今後は少しずつイメージが改善されていくかもしれません。

 また、新NISA制度のスタートにより「複利」などのワードもよく耳にするようになりましたね。

 でも、昔から日本人は金融知識に疎かったのでしょうか?

マイナス=よく知らない

 日本で「投資」といえば「ギャンブル」や「怖い」、「危ないもの」、「よくわからない」といったマイナスのイメージの単語ばかりが並びます。

 これらマイナスの単語ばかりが出てきてしまう理由は、やはり「よくわからない」という単語が表してくれているといえるでしょう。

 投資に限らず未知なるものはあまり良いイメージがありません。

 自動車だってただ外側から眺めているだけでは、はやく動く鉄の箱です。そんなものが高速で突っ込んでくれば危険というイメージは免れません。しかし、実際には交通事故が後を絶たないにも関わらず、自動車のイメージは「便利」や「ステータス」といったプラスのイメージがついています。

 これは、自動車には事故の危険性があることを多くの人が認識して利用しているからです。

 投資にマイナスイメージが強いのは「よくわからない」人が多い、つまり金融知識に疎い人が多いということなのです。

江戸時代の金融教育⁈

 投資や金融の勉強をする上で欠かせないのが、計算の知識です。

 日本で本格的な算数・数学教育が展開されたのは江戸時代からです。その教育に使われたのが、吉田光由による『塵劫記』(じんこうき)です。1627年に発行された、庶民向け数学教育の先駆的テキストです。この『塵劫記』は全三巻、いずれもそろばんの利用が前提となっています。

 上の巻では、数、単位、面積、体積、重さ、九九、掛け算、割り算と進みます。その上で、 米の積み上げ問題や両替問題、利息の計算、絹・木綿の売買問題など、実利的な計算技能や金融リテラシーを習得させる内容です。

 中の巻では、具体的な事例に基づく実利的な計算が紹介されています。例えば、船賃、升の大きさ、検地、屋根ふき、河川工事の計算などです。

 下の巻では、ネズミ算のほか、倍々算、からす算、人口計算などさまざまな応用問題を扱っています。

 江戸時代は人口の8割が「百姓」と呼ばれる農民でしたが、彼らが受けていた教育がまさにこれだったのです!

金融リテラシー必須の時代だった!

 なぜ村人たちにはこうした金融リテラシーが必要だったのでしょうか。

 当時、納めるべき年貢は、村全体でまとめて納入することになっていました。

 領主は村に対して年貢の総額を示し、それに基づいて、名主が中心となって、村人たちが自主的に各自の負担額を決めていました。

 名主には、領主が課した年貢を各戸に公平に割り当てて徴収する義務があり、そのために高度な計算能力、事務処理能力が必要だったのです。


 一方、一般の村人の方にも、名主が開示した帳簿の記載内容に誤りがないか確認するために、識字力、計算能力が必要でしたし、時には自ら帳簿を作成することもありました。帳簿は彼らの利害に関わる大切な公文書だったのですね。そのため、公文書をきちんと作成・保存し、必要に応じて公開する必要があったのです。

 やがて、肥料を購入して農業生産を増大させようとする動きが生まれます。肥料の売買では文書がやり取りされ、トラブルが起きれば訴訟文書を作成しました。こうした商取引で不利益を被らないためにも、金融リテラシーは不可欠でした。


 そのため、村人たちは子どもたちを寺子屋に通わせ、必要な能力を身につけさせました。彼らは自らの生活と権利を守るための金融リテラシーを、主体的・積極的に獲得し、言うべきことを敢然と主張する人々だったのです。

 明治期には欧米の進んだシステムが導入され、それらを運用しながら日本は目覚ましい発展を遂げました。それが可能だったのは、寺子屋で培われた庶民の識字率と計算能力の高さという下支えがあったからです。

 いかがでしたか?江戸時代の庶民が金融リテラシーを持っていたとは意外だったかもしれませんね。

 自分の身は自分で守らなければならない時代だったからこそ、庶民がきちんとした金融リテラシーを持ち、経済を回していたのです!

 現代では、当時と同じような時代とまではいえませんが、金融リテラシーの重要性が高まる時代になってきたと言えます!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?