人生、95%くらいは「ツマラナイこと」でできている
この世界はよくできている。
目に映る全てが面白い、楽しい、毎日が幸せ、なんてことはまずもってありえない。
人生の95%はつまらないことの連続で、単調な毎日に飽き飽きしたり、日々のつまらなさに軽く絶望したりする。
当たり前のことで、公然の事実である。
でも、
たまに訪れる5%のお祭りが生を実感させ、希望となる。
その5%は十人十色で、千差万別である。
ある人にとっては、好きな人とのデートであったり、親友と遊ぶことであったり、推しの卒業ライブだったり、野球賭博だったりする。
僕の場合だと、お祭りは、今年の2月くらいから更新頻度が激減していたnoterさんが復活したこと。
身震いするほど喜んだ。
遠くでかすかに、
一平ちゃんの笑い声が聞こえた気がした。
この5%のお祭りは、他と比べようのないほどの強烈な刺激をもたらしてくれる。
ああ、生きていて良かった。
これで明日からも頑張れる。
そう、思わせてくれる。
でもそれは、「退屈でつまらない毎日」というクソ丁寧な”フリ”があったからこそ効果を発揮した。
だから、「楽しくない、つまらない」と思い悩む期間は、長ければ長いほど良い。
「つまらない」というネガティブな鬱憤が内に溜まれば溜まるほど、5%のお祭りが倍増し、大量のドーパミンを放出させ、つまらない日常をあっという間に決壊させてくれる。
少し前に「幸せは不幸せの上に成り立つ」という言葉を見かけた。
その通りだと思う。
毎日が幸せの連続であれば、5%のお祭りは、それほど感動をもたらしてくれない。
まあ、こんなもんでしょう。
と、予想の範疇に収まってしまう。
しかしそれは誤った認識で、毎日の小さな幸せの連続が人間の感覚を徐々に鈍らせ、麻痺させ、いざお祭りが来た時にドンちゃん騒ぎを楽しめない残念な脳ミソに変わってしまったのだ。
youtubeを毎日、インスタを毎日、Twitterを毎日、美味い飯を毎日、楽しいイベントを毎日、楽しいデートを毎日。
それらを常時摂取し続けると、頭がちょっとやそっとの刺激では満足しなくなる、お馴染みの現象である。
なんでこんなnoteを書いたかと言うと、僕は5%のお祭りを楽しめない人間になってしまったから。
4月に身を置く環境を変えたことで、毎日が楽しくて、幸せで、周りの人間に恵まれ、不快になってイライラすることが極端に減った。
嫌なことから全部逃げた。
嘘みたいに幸せだ。
良い人ばっかりだ。
頭がぼんやりして、へらへら笑って、ストレスフリーな暮らしをしている。
もしかして白昼夢なのかっ??
もう、何も考えたくないし、何もする気が起こらない。
実家に帰ってのんびり暮らしたい。
ていうか働きたくないでござる。
でも、
これではダメなんだ。
なぜなら、
人間が腐ってしまうから。
穏やかに生きると人間が腐ってしまう。
そんな幸せは、老年基礎年金受給以降に訪れてくれたら良い。
余生と老後にまったり生きれれば、それで十分幸せだ。
そんな、「平穏な日常」なんて高望みは、僕には過ぎた代物だ。
小市民、平和な日々、小さな幸せ、事なかれ主義。
欲張り過ぎんだろ、おのれ。
逆説的に。
そんな幸せは今じゃなくていい。
今頑張らないと。
若さは正義だ。
なんでもかんでも若さを言い訳にできるし、自分をごまかせる。
あと、体力的にも年齢的にも時間的にも精神的にも、猶予は限られている。
「大は小を兼ねる」
その大を今、作れるうちに全身全霊で作り、大きくしておかねばならないのだ。
大手行って中小、ベンチャー、フリーランスに転向するのは簡単だけど、その逆は厳しいからね。
ちょっとずつの筋トレはなかなか筋肉が育たないけど、バカデカい筋肉育ててサボってもちょっと筋トレすれば直ぐに元に戻るからね。
毎日のように、誰かにバカにされて、見下されて、自分の欠陥に失望して、劣等感を感じて、悔しさで頭がカチ割れそうになった、以前の自分に戻らなければならない。
そのために、中学から大学2年までの、悔しさを書き連ねたきったない日記帳や大学ノートを段ボール箱から引っ張り出して、イチから読み返した。
辛い思い出がフラッシュバック!!
自分から暗闇に首突っ込んで、自分をとことんいじめ抜かねばならない。
ビバ、一発型。
ビバ、破滅。
ビバ、中二病。
ビバ、認知的不協和。
あと、こういうのは正気に戻ったら終いです。
矮小な自分を直視して、卑下し出したら終いです。
いい年なんだからと自覚し出したら終いです。
自覚せんぞ!
シラフに戻らんぞ!
要は中二病チキンレースです。
それと、反骨精神を社会にむき出しに晒しぶら下げて生きるつもりはありません。
外面は大人を装って、
でも、胸の奥底に、情熱の真っ赤な薔薇を咲かせます。
まあ、大人になるにしろ、
中二病になるにしろ、
どっちにしろ、95%の「つまらない」に耐えなきゃいかん事に変わりありません。
いかにして、残り5%の「脳汁ブッシャ―」をおウチにお出迎えできるか否か。
僕は、ド田舎から這い上がる。
僕は残り5%を噛み締めるために、
ひたすらの研鑽を積む所存です。
まとめ。
人生、95%くらいは「ツマラナイこと」でできている
なぜなら、
残り5%のお祭りを、最高に、刺激的に、
頭のネジをゥゥズパァァァンッ…!って、ぶっ飛ばしてくれるはずだから
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