「センスが良い=他人の作った服で着飾った人」の評価にモヤモヤする
服を作った人のセンスが良いのは確かだけど、それを着こなしているだけの人が世間からのそれほどの評価を与えるに値する人間なのか?過大評価も甚だしいんじゃないか?と思う。
服のセンスがいい人をちょっと美化しすぎというか、持ち上げすぎじゃないのかな、と感じている。
というのも、以下のポストをTwitterで見つけていたく共感したから。
ここからは、僕が思ったことをつけ足していく。
センスが良いとされている人が取った行動は、商品を選んで購入した、これだけ。
服を生み出すのは、デザイン決めたり生地を比べたり、ニーズを調べたり、広告宣伝の仕方を考えたりと一苦労だけど、買って選ぶのは時間にして一瞬。
ポチっとワンクリックでネットで注文するか、財布からお札を取り出すだけで済む。
それを仲間内で楽しんだりするのは個人の自由だし、本人がファッションを愛して幸せならOKなので、さほど気にならない。でも、それをSNSで公開して「俺イケてるでしょ、ファッションセンスいいでしょ、そう!俺インフルエンサーなんです」っていう投稿を見るとモヤモヤする。己の人間性どないなってまんねん、って感じ。
服のセンスが良いのは、単純に羨ましいし憧れるが、自分でゼロイチで生み出したものが一つも無いのに、見せびらかすように服の写真を上げているのを見ると大変、鼻につく。
「俺こういうコーディネート得意やねん。よかったら参考にしてね」のスタンスなら全然不快にならない。
でも、他人が作った服で身を固めてドヤ顔して「俺、イケてまっせ」ってカッコつけてるの見ると腹が立つ。何様だよ!っていうか何様ですらないんだけどね。
加えて言うと、自分でブランドを立ち上げたり、雑誌を作ったり、コミュニティを作る、という金になることを目的にしているなら、全然不快にならない。むしろカッコよすぎて、崇め奉るレベル。
服を購入する→消費する、のプロセスに留まらず、自分自身に吸収して落とし込んで、製作と商売に昇華しているから。
なんか、せこく感じてしまうだよね。服を作ったアパレル会社さんの努力の上澄みを金で掬い取って、さも自分が凄いんだよと見せびらかしている姿が下品で仕方がない感じが。
彼らは凄くない、凄いのは服を作ったアパレル会社さん。
『自分が好きな服を着て全力で楽しんでいる「俺」』、は全然気にならない。
でも、
『流行を取り入れただけの服一式をとりあえず着てみたよ!そんな「俺」を褒めて!そんな「俺」の意見に耳を傾けて!』って感じの人種は無性に背負い投げしたくてたまらない。
書いてから思ったけど、僕って人間性腐ってんな。こんなんじゃ人のこと言える立場にない。でも公開する。なぜなら腹が立って怒りをnoteにぶちまけたくなったから。
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