(73) うまくいかないなってときこそ,なにかに縛られている

おはようございます.今日もぽてぽていきましょう.

毎日,うまくいかないって思うことがあります.
昨日だって,子供にタイピングの能力を身に付けさせたいって思った自分がいました.子供同士でうまく遊んでほしいって思った自分がいました.他の先生の態度が気になることがありました.
それは全部,しなければならないに縛られています

タイピングの能力がなくても,フリック入力をしている子供を,なぜ認めてあげられないのか.それは自分の中で,フリック入力を認めていないから.タイピングの必要性を子供は感じていないのに,こっちが押し付けているから.
子供同士でうまく遊べない以前に,うまく遊ぶべきだと考えている自分がいるから.子供は自分なりに,うまく遊ぼうと考えているけど,自分との折り合いがうまくつかないことに,なぜ寄り添えていないのか.
先生の態度はこうあるべきだという縛りがあるから,自分で勝手に傷ついている.

交流分析,いわゆるエゴグラムをご存知でしょうか.
久しぶりにやってみましたが,ぼくは教師には向いていないそうです.
その分析者がなにをもって教師をどう捉えているのかはよくわかりませんが
ぼくは,一般的な「指導者」的な性質は持ち合わせていません.それはよくわかりました.

じゃあぼくにできることってなんですか
それを,毎日考えます.

まだまだ他人軸なんです
もっと自分軸になりたいんです

自分軸になるためには
常に自分の行動に
なんで?
をぶつけ続けます

そして
本当に自分がしたいことはなんなのか
探し続けます.

人生はうまくいかなくて当たり前.