忘却について

 眠くなってくると、書きたいことがぽつぽつと浮かんでは忘れて消えていく。おっ、このテーマめっちゃ書きやすいし、ずっと思ってた考えを吐き出せるじゃん! と閃いても、トイレで用を足している間に脳みそから消え去っている。さてどうしたものか。眠すぎて記憶を保持できない。書くという行為すら厳しいんじゃないか? でも思考はできるな……。と考えていた時に、じゃあ忘れること自体について書けばいいんじゃないかと思いついた。というわけで、今回は忘却について話そう。

 忘れるとは何だろう。いきなり哲学的な問いになってしまって面食らうと思うが、でもよく考えてみてほしい。忘れるとは不思議な現象だ。少し前まで確かに考えていたことが思い出せなくなる。思い出せなくなったことにすら気づかなくなるかもしれない。忘れるというのはレベルがあって、覚えていた何かを忘れ、何を覚えていたかを忘れ、何かを忘れたことすら忘れていく。そのように、思考のピースがぽろぽろと欠けていき、しまいにピースのはまる枠そのものをなくしてしまうのだ。忘れると一口に言っても、どの段階を指し示しているかによって話は変わってきそうだ。

 「忘れる」とは、「覚える」と対の概念だ。言い切ってしまうには問題がありそうな話だが、少なくとも反対の性質を持つのは間違いないだろう。そして、対の概念とは互いの特性を説明しあう、あるいは補強しあうものである。つまり忘れることを深堀りしていくのであれば、覚えることや思い出すことについても触れなくてはならないし、その方が全体像が見えて理解の幅がでるだろうということである。
 すると一つ重要なことが見えてくる。忘れるという行為のあらゆる対の行為、つまり覚えるとか思い出すとかの行為も、最終的には忘れるという結末を迎えるということだ。ついさっきの大きな感動も数年後にはほとんど覚えていないだろうし、学校生活で青春をかけて覚えた学問も大人になったら欠片しか残っていない。改めて、人は忘れる生き物だということを実感させられる。
 そこでこう考えてみよう。人は基本的には何かを忘れた状態で生きているのだと。何かを常に忘れようとしていて、何かを常に忘れていて、時々虚を突かれたように何かを思い出す。ぐっと意識を集中させて何かを覚えたりとか、夢中になる間に何かを習得したりとか、そういうこともあるだろう。だがその場にただ突っ立っているだけだと何かを忘れ続けることになる。まるで汗となって体から流れ出すように。

 思い出すという神秘についても考えてみよう。ずっと昔の幼少期の思い出深い一場面なんかが突然フラッシュバックしたりする経験は、誰にでもあるだろう。かなり鮮明に思い出せることも特徴だ。感覚の一部だけだったり、ただ一つの言葉だけ思い出されたりするかもしれないが、全くそのままを思い出せる。いや、過言かもしれない。その思い出された記憶には、昔を懐かしむ感動によって脚色がされているかもしれない。だがそれはそれとして、確かにその場面を思い出していることは確かだ。ここが重要なので今は深堀りはしないでおく。
 それで、ではまたここで一息ついて考えてみてほしい。これはその場面を「覚えている」といえるのだろうか。正確には、思い出すその瞬間まで忘れていて、その瞬間が来ると「思い出す」のではないだろうか。これもやはり、人間は基本的に何かを忘れた状態で生きていることの証左だろう。

 ではなぜ人間はそんな不自由なことになったのだろうか。なぜ何もしていないデフォルトの状態で、何かを忘れるようにできているのだろうか。デフォルトの状態で何かを覚えるようにできていてもよいではないか。あるいは、そのように突然変異した人間が現れてもよいものではないか。一説には、人間の忘れるという機能は生きる上で不可欠なものであるらしい。確かに際限なくものを覚えることは不可能だ。脳の容量は無限ではないのだから、パンパンの脳みそに新しいことを覚え込ませたかったら、前に覚えたことを忘れるしかない。
 しかし忘れすぎだ。人間は無限に物を覚えられないが、無限に物を忘れることができる。わざわざ外から物を持ってきて、脳という箱に入れて、しばらくしたら箱から出してどこかに投げ捨てている。そんなことを一生をかけてやり続けるのが人間だなんて、なんて無益な存在なのだろう。絶望してしまいそうだ。

 だがこうも考えられないだろうか。ちょっと大げさな話になるが、生命の定義には「恒常性」がその一つとして与えられるのだという。

 確かこの動画で言っていたと思うが、生命とは、自らを外部から際立たせてそこにとどまろうとする力なのだという。これは記憶の性質にも近いことが言えるのではないだろうか。
 人間は常に何かを忘れている生き物だといったが、そもそもこの世界にはエントロピー増大の法則という大層な概念が適用されている。何もしなければ物質は拡散し、すべてがランダムな状態になろうとするのだ。そして自発的に元には戻らない。その逆方向の力を発生させているが生命だという話を昔に聞いたことがある気がする。
 浅学な私が語るのも申し訳ないが、情報にも同じようにエントロピーという概念が適用でき、これもまた放っておくと増大するらしい。一つの確かな情報が伝達するうちにノイズに沈んでいって何かわからなくなるのだ。具体的なことは言わない。私が言いたいのは、情報は放っておくと曖昧になってしまうということだ。
 記憶も全く同じだ。放っておくと曖昧になって思い出せなくなってしまう。しかし人間は前述したように、その記憶の本質的な断片だけ瞬時に思い出すことができる。フラッシュバックだ。それに新たに覚えることもできる。これは世界を支配する法則にあらがっていると言えないだろうか。
 そう考えると生命というもの、人類というものに希望が持てる。私はエントロピー増大の法則にあらがって確かにここに存在する。記憶という情報を一時的でも保持しておける。なんだか自信がみなぎってくる!

 とりあえず、今はこれでいい。正確な話はそのうち。今は根拠があやふやでも自信をつけられればそれでいい。

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