言いたいことも言えないこんな世の中じゃ

 せっかく多少文章が書けるのだから、ここはひとつ駄文を量産して自分がどこまでいけるか挑戦してみよう。という意気込みで毎日書こうとしているのがこのMoMoの木であるが、まあ毎日飽きずに千文字とか二千文字とか語ることがあるわけでもない。いろいろ思索にふけっていた暇な大学時代でさえ「今日は何もない素晴らしい一日だった」しか感想がない日があるのだ。忙しくて脳みそが草臥れている社会人の平日にそれほど大量に語ることがあろうはずもない。そう思っていた。
 だが書こうと思えば私は何でも書けるようで、一つテーマが見つかった。なんだっていいのだ。「なぜ気を付けててもパンのくずは床に散らばるのか」とか、「納豆がうまくて納豆嫌いだった昔の自分が信じられない」とか、意識が飛んでいなければ何かを思っているわけで、それをもとに無理くり話を広げればいいだけだ。今回の話はそれより結構深刻なのだが。
 ……では始めよう。

 反町隆史さんの名曲を丸パクリしたタイトルなのだが、内容はちょっと違う。言いたいことは確かに言えてなかったのだが、しかしそれは世間に抑圧されて言いたいことが言えないとかそういうことではなく、言ったところで伝わらないという、自他の理解力の壊滅的な開きに関するすれ違いのことなのだ。
 私は電気系の仕事をしている社会人二年目の若造なのだが、最近我らが部署に今年の新人が入ってきた。そっかもう一年経ってしまったのか。もうそんな時期なんだ。としんみりするのと同時に、今年の新人はどんなだろうと私は期待に胸を膨らませていた。しかし新人のために開かれた電気の勉強会を覗かせてもらうと、その……言いづらいのだが、新人の頭がすこぶる悪い。それなりに勉強してきた経歴を持つ二人だったのだが、勉強会の内容が半分も理解できていないのだ。電気回路はぼんやりとしか理解しておらず、質問を受け付ければ言ってることがぐちゃぐちゃすぎて、どこをどう返答してやればいいのか窮してしまう。単語一つ一つに対する解像度が低すぎるせいで何を理解したいのかもぼんやりしてしまっているのだ。まるで昔のchatGPTのようだった。確率的に次につながる言葉を選んで、適当に文章にしているかのよう。具体的に話せないのが歯がゆいが、とにかく頭を抱えた。新人も私も、言いたいことを言えなかったのだ。

 ではどうすればよかったか。なんて苦しいのだろう、今回ばかりはどうしようもなかった。解決策などない。相手の理解度に合わせてレベルを下げたくても、どこまでレベルを下げればいいのか想像できない。私のメタ認知が通用しない。なぜだ? それは、同じ単語を使っていたとしても相手は同じ意味で使っていないからだ。定義が曖昧なまま単語を乱用してくるので、正しい意味で単語を使ってもちゃんと伝わらない。これはたまったものじゃない。通じないのだ。日本語が。微妙に単語の理解が追い付いていない外国人と話している感覚だ。辛い。苦しい。彼らが不憫だ。たぶん数年単位で努力してくれないと、私と電気に関してまともな話をすることはできないだろう。

 IQが20違うと話が通じなくなるという有名な話があるが、それに対して高須クリニックの高須幹弥院長は「IQ高い人はIQ低い人にも(話を)分かってもらえるようそれなりに努力しないといけないと思います」と言っていた。私もその意見には賛成だし、最近までそうしようと心に誓っていた。
 しかしいざ身近にこの事実を突きつけられるとどうだろう。私はひどくうろたえた。絶望した。ナチュラルに自分をIQ高い側に分類している高慢な奴だとか、そういう戒めの声すら響かないほど心の芯から納得してしまった。無理だ。あきらめるしかない。どうしても脳の能力の差で理解しあえないことはあるのだ。

 だからせめて、私の親しい人の枠には、理解しあえる人だけを採用したいと思う。心だけではなく、知能も同レベルでないといけないのだ。それをあの日、深く実感した。

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