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琉球人スパイのため沖縄戦は負けた!#5


(上記写真は貴族院 衆議院議員 伊江朝助氏)

太平洋戦争時の1945年、日本軍第32軍司令官の命を受け盛脇中尉は沖縄人の上地二等兵に助けられ沖縄島脱出に成功。

しかし、徳之島に着いた途端「沖縄戦は琉球人スパイのため負けた!」と放送。

助けた上地二等兵はこの盛脇を殺そうと思うが重要な命を受けていると思い断念。

その後九州上陸の盛脇はそこでも同じ事を言い、疎開する5万人の沖縄県民は脅迫を受けたとのこと。

詳細は「第89回帝国議会 貴族院 衆議院議員選挙法中改正法律案特別委員会 第2号 昭和20年12月13日」の伊江男爵議事録にあり、そのリンクが下記で、その下の写真はスクリーンショット。

https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/?fbclid=IwAR2jGUV8O7x5sKmzeYWITn3yx5wQhaPywJ2viueqh-YPM6kGmUIs1sgi37s#/detail?minId=008901525X00219451213&current=41

伊江朝助昭和20年国会発言

これは日本人が沖縄県民を同じ日本人だと思っていない例の氷山の一角にすぎない。

1879年の沖縄県強制設置以降、沖縄県民(便宜上使う。本当は琉球人)は暴力に怯え必死に日本に同化し、日本人になろうとしていたが、残念ながら日本軍エリートには全くそうは思われていなかった。

また、沖縄戦当時、沖縄県民が日本兵から壕を追い出されたのは有名な話。

さらに、うちなーぐち(おきなわ語)を壕の中で使った老女が日本兵にスパイだと言われ殺害されたという証言もある。

沖縄県民が日本人と扱われていない例は過去の事ではなく現在でもある。

それなのに、沖縄県民は同じ日本人なのにどうして差別されるのか分からないという人が大多数だろう。

しかもこの盛脇は沖縄県民ではなく「琉球人」という言葉を使っている。

つまり沖縄県民は日本人ではなく琉球人であり、それは朝鮮人や台湾人達と同じ扱いだということ。

私は琉球の歴史を大学でも教えるので、沖縄県民は琉球人であり、日本人ではなく、また沖縄県ではなく琉球国が現在でも存続中と断言できる程の知識はある。

けれども、一般の方は1609年の薩摩の琉球侵略事件や、1879年に日本が琉球国を侵略し、沖縄県を強制設置した事件については殆ど知らない。

だから、同じ日本人だと考えるのは無理もない。

話しを戻すと、この盛脇は中尉とあるが大尉だったとの証言もある。

牛島満がトップの大将で少尉までは「将校」と言われる旧日本陸軍のエリートである。

その中尉とか大尉が「琉球人スパイのため戦争に負けた」とあちらこちらで言って歩き、現に九州では疎開している沖縄県民が脅迫されたという。

10万人以上の沖縄県民が日米の戦争に巻き込まれ死亡し、その日本軍のエリートである盛脇から見た沖縄県民は日本人ではなく「琉球人」で、しかも琉球人スパイがいたとのこと。

沖縄県民にスパイがいたとは2021年現在では全く聞いたことがないので事実ではないと思われる。

1879年以降強制的に沖縄県は設置され、その後も、日本の庶民は分からないが、日本の政治家や軍人達は、心の底では沖縄県民という人達を認めておらず、非常時になるとこういう風に「琉球人はスパイだ!」というのである。

最近も辺野古で大阪の機動隊が沖縄県民へ「土人」と言っていた。

上記と関連する沖縄県の慰霊の日についても述べておきたい。

6月23日は慰霊の日だが、この日を日本支配から解放された日として慰霊の日とするのなら、まだ分かる。

しかしながら、沖縄県立公文書館の下記ウェブサイトに慰霊の日設置の経過があるが、「日本軍の組織的戦闘の終結した時点・・・」が慰霊の日設定の理由となっている。

https://www.archives.pref.okinawa.jp/wp-content/uploads/6c5c08b9f8b970dc0a9f6725d681c05c.pdf

けれどもこの日は、日本支配から琉球人が解放され、沖縄県民ではなくなった日とも言えるのである。

なぜか?

琉球国は舜天即位の1187年から王統がはじまると琉球国の最初の正史『中山世鑑』(羽地朝秀 1650)にはそう記載されている。

1609年には薩摩に侵略されてしまうが、その後は裏から支配するという隠蔽工作が敷かれる。

だからこそ、それを見破れなかった米国は独立国琉球と1854年に修好条約を結ぶ。

米国と国家として条約を結ぶほどの独立国琉球なのだが、日本は侵略し1879年に沖縄県を強制設置する。

それから琉球人は日本国から1945年まで66年間支配を受けた。

しかし、1945年6月23日に日本軍の組織的戦闘が終結し琉球人は日本から解放される。

ただし、その後も散発的に戦闘は続くので、日本の第32軍が降伏文書に調印した9月7日も慰霊の日として考慮されるべきである。

我々琉球人は現在も日(米軍)に支配されているが、1945年6月23日は、日本支配から一時解放された日なのである。

こういう事実をきちんと認識できる琉球人の言説は残念ながら殆ど見た事がない。

上記で述べたように琉球国は1187年から1879年まで692年もの歴史があるのだ。

我々琉球人はその歴史をきちんと認識し自分のものとしないといけない。

考えても見て欲しい、692年間も続いた琉球国は日本に1879年に侵略された。

それが、1945年6月23日には米軍率いる連合国軍に侵略者である日本から解放されたのである。

それが歴史だが、本当に残念なことに66年間日本に支配されていただけなのに、その日本は祖国であり復帰するべきだとして、1945年以降琉球人は侵略者であり我々琉球国を奪った日本へ、また戻りたいと思い復帰運動なる間違った行動を起こす。

1945年当時はともかく、1879年当時の琉球人は誰一人として自らを日本人とは考えないし、日本国沖縄県となることには琉球国王はじめ琉球役人も皆反対していた。

1879年3月27日に首里城を日本軍が占領し、5月には最後の国王尚泰を東京へ拉致し、その後も琉球人は誰一人として日本に従わなかったが、それに業を煮やした日本軍は琉球役人を約300人余りを、首里や那覇にて同年8月からひと月に渡り拷問した。

琉球人は日本軍の暴力に屈し、屈辱を感じながら琉球国ではない沖縄県という日本が一方的に作った行政に強制就業させられた。

その歴史について後日詳細を書きたいが、それに触れた文献が『琉球見聞録』(喜舎場朝賢 大正3)に記されており、その詳細が下の写真である。

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上の写真は琉球役人を拉致する8月18日の記述で琉球見聞録186-187頁

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上の写真は琉球役人を拘留し拷問を加え解放するまでの詳細188-189頁

こういう歴史は殆ど語られず、琉球の歴史本などは琉球処分という日本側の視点で定義をし、沖縄県の設置は仕方がなかったかのような記述のみが目立つ。

1945年から1972年の27年間は米国に支配され、1972年から再び現在進行形で日本に支配されているので、琉球の歴史は日本へ忖度する視点で書かれたものが殆どだと言える現状である。

私が述べた琉球人から見る琉球国の歴史をきちんと認識できれば、琉球は独立国であり、現在も存続中であり、日(米軍)の支配は国際法に照らし合わせても違法であることに気づけるだろう。

早く我が国、琉球国が復国することを願うばかりである。

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