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麻姑の手ってなに?

畑中先生のレッスン


今から40年前、私は畑中良輔先生のところに声楽レッスンに通っていました。
畑中先生は言わずと知れた日本声楽界を牽引してこられた方で、あるご縁で「こっそり」見ていただけることになり、月に1回くらいのペースで通っていました。
私は歌手としては鳴かず飛ばずの劣等生で、特に良い声も持っていないし、やっとこオペラ界に居残っているような弟子。でも練習より知識欲が旺盛だったこともあり、畑中先生所蔵の音楽資料を見せてもらったり、音楽の背景についていろいろと教えてくださることが楽しみでした。
そういうわけで歌手としての夢もあまりなくて、歌ってみたい曲も特になくて、いつも先生に言われた曲をさらっていくばかり。
「じゃ、次はこれやってきたら」
と題名だけ聞いて帰り、後から楽譜を見てその難しさに冷や汗をかくことも度々でした。中でも石桁真礼生の作品は難解極まりない上に長い。変拍子だし、セリフがあるし、さらに音程もソルフェージュ苦手の私には苦難でした。作品のテーマも重いので三好達治の「鴉」とか中原中也の「盲目の秋」とか歌うだけで20分以上かかるものもありました。難しい曲はかえってやる気が出たりするので嫌ではないのですが、何せテーマが重いなあと思っていたある日
「じゃ次は麻姑の手やったら」
とまたしてもポイっと曲名を放り投げられてしまい、言われた通り楽譜を見てみると

麻姑の伝説


中国の伝説の仙女麻姑(まこ)の物語。爪が長くて、人の背中を掻いてあげていたら、重宝がられてみんなに呼ばれて忙しくなってしまい、ついには木で自分の手と似たようなものを作って代りにしたところ、みんながそれを作ってしまい麻姑のことを忘れてしまった。
という、今のまごのての由来を歌っています

令和版麻姑の手


これもまた難曲、拍数とセリフのタイミングも体に入れるまで大変でしたが、内容は可愛くて楽しい。
背中が痒ーい!とたくさんの人が麻姑ちゃんを呼ぶところは言い方一つで色んな人を演じられます。なんとか格好をつけて次のレッスンに持っていくと、全部聴き終わって先生は
「で、何にもしてこなかったの?」
ん????? はて?(朝ドラ風に)歌ってきたのに、、、
「先生があっと驚くようなことするのが弟子でしょう」
と、今初めて聞く定義を唱えられました。
え?先生はあっと驚かせないといけないのか???

つまりは、この物語風な歌曲に何か演出をつけてこいということでした
この無茶振りから家に帰り
考えた!(麻姑の中の歌詞です)
実は私は練習は嫌いですが、面白いことを考えるのが好きだったので、
次のレッスンで物語を紙芝居にしてご披露したのです。
すると、あっと驚きはしませんでしたが、先生はたいそう楽しそうに聞いてくださいました。それからその紙芝居を大きく描き直し、レパートリーとしてコンサートでことあるごとに歌ってきました。

そして久しぶりに演奏することになった昨日
長年使っていた紙芝居は重くて会場に持って行けず、新バージョンとして麻姑人形を作りました。
百均で孫の手を買い、その二つを使って麻姑の手は令和版にリニューアル
先生は天国で面白がってくれたでしょうか?
先生から頂いた「教え」はまだ私の中に生き続けているのです


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