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「ソニー手帳」サイズのカセット化を目標に開発された、家庭用カラーVTRの決定版! 〜『ベータマックス』 VTR

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (45)

VTRがカセットの時代を迎え、高性能なマスターVTRとそのソフトを複製するダビングシステムを盛り込んだ『ソニーカラービデオカセット総合システム』が発表された直後の1971 (昭和46)年4月、ソニーの技術者・木原信敏は

本格的な家庭用VTRを開発したい

との思いから、新たに『400型』と名づけたVTRシステムの構想を図面化することに取りかかります。

同時にソニー創業者の一人・井深大より

「これぐらいの大きさのカセットがいいね」

と、当時社員に配布されていた「ソニー手帳」を見せられ、『U-matic』カセットのサイズからひとまわり小さくしたA6判の文庫本サイズとすることに。

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しかし、カセットを小さくするには、テープの量を減らさなければならない。
テープの量を減らして一定の記録時間を保つには、テープに高密度に記録する方法が必要になる。と狙いを絞った木原が発明したのが「アジマス記録方式」でした。

これは、テープ上のガードバンドという各トラック間のスペースが無くなり、1/2㌅ビデオテープ上に映像がベタに記録されるというもので、2個のビデオヘッドのギャップを、それぞれ記録パターンに対して反対方向に傾けることで実現し、結果記録密度を倍増させ、高密度な記録が可能になるというものでした。

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さらにドラムの直径を『U-matic』の70パーセントと小さくし記録波長を短縮、テープ幅を1/2にすればテープの使用量は1/4近くになり、筐体『U-matic』の2/3程度のサイズとなり、カセットのサイズもA6判の文庫本より小さくできるということで、木原はこれを『400型』の仕様として決定します。

これに伴い当時の部下で、『U-matic』の原型となった『マガジンカラービデオコーダー』の開発当初より、木原のもとで難題解決にあたっていた 部下の渡辺良美 (わたなべ よしみ) が『400型』のフォーマット計算を完成させ、細かい箇所の寸法精度などを決定します。

これを基に、木原は『400型』の機構部分の設計を行い、何回かの部分的な改良を加えて、1971 (昭和46)年11月に最初の『400型』VTR試作の図面化を完成、井深大の要望でもあった「ソニー手帳」サイズのカセットから発想された、後の『ベータマックス』の基本設計がここに完成したのです。

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翌年1972 (昭和47)年より、木原はこの『400型』VTRの試作制作に取り組みますが、内外のメーカによる新方式の技術情報が飛び交い、騒然となっている頃で、木原は各社の技術情報の収集に忙しく飛び回っていた時期でもありました。

さらに『U-matic』ポータブルの試作を開発し、ソニーとTEACの合併会社の取締役に就任し開発のアドバイスを行い、IBMとの共同開発で教育用 (パトローネ式) ビデオマシンを開発、また『U-matic』の応用製品の研究開発に時間を割くという慌ただしい状況だったのです。

1972 (昭和47)年11月になり、『400型』VTRの方針決定会議が聞かれ、木原は12月12日に最終決定のため、経営会議の場で完成した『400型』VTR試作機の動作デモを行います。

その結果、1973 (昭和48)年1月に、製造開発プロジェクトの全社的な各担当者が決定され、各担当の問題点、改良点を洗い出し、1年以内にすべて完成することを申し合わせたのです。

1973 (昭和48)年2月から8月にかけて、『400型』VTRの開発を担当する傍ら、木原の開発業務はさらに多忙を極めます。

・本田技研工業との共同研究として、無公害エンジン車のシステム開発
・ビデオディスクの実験で6μカッターによるマザーディスクを完成。
・『スポーツクリニック・システム』が製造され、伊藤忠で販売。
・『400型』VTR、3月中旬画出し完了。IC化評価実験を開始。
・『U-matic』のPAL、SECAM方式の開発。
・シート式VTRの評価用の機械を5台完成。
・TED方式ビデオディスクの記録と再生実験が完成


ソニー技術の秘密』第4章より

1973 (昭和48)年9月、『400型』VTRプロジェクトを「SLX」という覆面プロジェクトとすることにし、本格的に生産を考えたグループを発足。河野文男 (後ソニー専務) をリーダーに、有能な技術者を集めた技術準備室が開設されます。

木原が『400型』として考案してから4年の年月をかけ、多くの技術陣の並々ならぬ努力が実り、『400型』は『SLX』を経て覆面番号名を『ベータマックスVTR』と命名され完成します。

" 木原たちが開発した「アジマス記録」は、通称「ベタ記録」(詰めてベタに記録する)と呼ばれていた。そこから、「ベータにしよう」という案が出た。よく見れば、ちょうどテープをローディングした形が、今度は“U”でなく“β(ベータ)”の字に似ている。しかも“ベータ”という言葉の響きは、“ベター(より良い)”という英語にもつながり、縁起が良い。それに“マックス(最大)”を付けて、「ベータマックス」という名前が誕生した。"

『ソニー自叙伝』第7章より 

1975 (昭和50)年4月16日、経団連会館10階において、正午には経団連の記者たちに、2時には業界紙と外国通信社に、4時にはソフトメーカーに、『ベータマックス』VTRの特徴の説明と機械のデモを見せ、正式に発表されたのでした。

文:黒川 (FieldArchive)


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