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仁川上陸作戦の諜報戦,x-ray作戦


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仁川上陸作戦。
戦争史に興味のある人なら、その上陸戦について知っている人もいるかもしれません
日本の幼女戦記にもあるように一度出たことがありますね。(実は僕は中学生から幼女戦記の大ファンなのでアルカディアで翻訳機を使って熱心に読みました。笑笑。韓国発売版としても所蔵中です。)
とにかく、その仁川上陸作戦によって韓国は負けていた戦争から瞬く間に勝機を掴み、首都を修復して北進します。

しかし当時の人々が愚かでマッカーサーの作戦を拒否したのではありませんでした。仁川の狭水路は非常に狭いので大型艦艇が移動するには大変でした。これは僕が保証します。 何故ならば僕もここを通ってみたことがあるからです。 ここを通過するのがとても大変でした。笑
じっさいもいまもたまに事故がおこっています。大型貨物船が通っている正規航路は整備されていて安定的ですが、仁川はこんな危険なところが多いところでした。
しかし、そんなところを40年代半ばの韓半島で、よく知らない仁川に、大型上陸艦と戦艦で上陸を試みる? 成功したから幸いで、失敗したら反面教師として残るところでした。

のため企画されたのがX-ray作戦です。

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当時海軍提督だった孫元一提督(第1代海軍参謀総長)は、

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ハムミョンス少領(海軍士官学校第1期·第7代海軍参謀総長)に諜報任務を任せます。
これにより彼は3人の士官と共に17人の特攻隊を組織して仁川の地形と水路を把握する任務を計画します。
募集条件は「結婚しなかったこと」
任務遂行前に帰って来られないことを覚悟して切った髪の毛だけ置いて行く特攻でした。

8月16日、作戦のために出発した彼らは霊興島に到着し、作戦は順調でした。仁川市民の中には避難できなかった韓国国民がまだおり、彼らの協力を得て情報を収集していきました。彼らはある時は工事現場の人夫、下宿生、人民軍に扮装して情報を集め、その情報は韓国海軍本部を通じて米軍に伝えられました。

川上陸作戦があまり残っていない時、ついに撤収命令が下されました。危険な峠は多かったが、多くの人々の協力で大きな犠牲なく任務は終わりました。 イムビョンレ少尉、ホンシウク下士を含む6名の特攻隊員たちは、最後の仕事のためにしばらく霊興島に残ることにし、残りは撤収します。しかし、仁川上陸作戦の前日、撤収した翌日、北朝鮮軍は突然霊興島を奇襲攻撃します。特攻隊と義勇隊がそれに対抗して抗戦しますが、戦力の差は克明で、結局多くの人々が負傷し、亡くなりました。
この時、包囲されて死ぬ危機に瀕した彼らは2人の特攻隊と10人の義勇隊員が退路を開くことにし、4人の特攻隊員を隠れた脱出用ボートがある場所に脱出させます。
最後の瞬間、1個大隊に達する北朝鮮軍が彼らを包囲し、仁川上陸作戦が翌日に迫った今、彼らに捕まるとしたら作戦がばれると心配した2人は、最後の瞬間拳銃で自殺を選択します。

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は皆様ご存知の通り、上陸作戦と洛東江防御が成功し、韓国軍とun軍は北進し、その後、中共の参戦で韓国は分断国に残ります。彼らの犠牲により、仁川上陸作戦は予定通り安全に行われ、共産統一ではなく民主国家を守ることができました。
それであの二人の話は終わったのでしょうか?
2013年、韓国海軍の10番目と11番目の500t級誘導弾高速艇が進水しました。名前は、「イムビョンレ艦」と「ホンシウク艦」。

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2つの艦艇は、今この時間にも北朝鮮との海の最前線であるNLLで、哨戒任務を遂行し、韓半島の平和に貢献しています。

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