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煽り記事も釣り記事も書きたくないが、やっぱり見てもらえると嬉しいという本音をnoteが絶妙に煽ってくる件

noteというのはつくづく面白いプラットフォームだなぁと思う。
沼ってる、という夢中になることを表現した言葉があるけれど、最近の私は完全にnoteに沼っている気がする。

noteとは健全な心理的距離がいるな、と思っている新人クリエイターのmomomiです。こんにちは。


私がnoteという媒体を選んでいるのは、広告がないとか、友だちがいるとかシンプルなプラットフォームが居心地よいとかいろいろあるけれど、一つには煽り記事や釣り記事が少ないことが理由としてあげられる。
一方でタイトルから明らかに釣ってるじゃーん、と思うことはある。
それはそれでいいの。別に。読みたいから。

書くことにはどうしたってエネルギーがいるし、どんなに沼っていても書きたくないときだってある。
そんな時にnote続けられているね!って言われると、やっぱり嬉しい。

スキがつくといちいち連絡くれるから、読まれているんだろうなということはわかっているのに、改めてこのカテゴリであなたの記事が読まれているよ!って連絡くれるのも心憎い。


そんなこと言われたら、やっぱり嬉しくなって書こうかな~って思っちゃうじゃないか。

noteが明らかに書くことを推奨してくる、そしてその罠に落ちている気がする今日この頃。学生の頃からこんなシステムで奨励されたら、私はもっと作文やら小論文に親しめたのだろうか。
もっと若いときから書くことがスキになったんだろうか。

やっぱり正しく書くとか有意義なことを書く以前に、書いていて楽しい!ということがないと続けられないよな、と改めて思うのでした。



読んでくださってありがとうございます。

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