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仕事の思い出〔2〕好きだったアパレルに転職したら倒産した。

こんばんわ唐崎夜雨です。
仕事の思い出ばなし、その2。

むかしむかし、互助会の社員からアパレルへ転職しました。このアパレル会社は、自分の好きなブランドでした。好きなブランドの会社で求人募集をしていたのですから、天命だと思いました、その当時は。

ちなみに、アパレルへ入るために互助会を辞めたわけではなく、先に退職したところ、この会社の求人に巡り合えたという次第。

さて、入社してみると、すでに経営が芳しくないことを知りました。経理課でしたから、そうゆう話はすぐ知ることになる。
それでも唐崎夜雨が入社して倒産するまで3年くらいはあったように思います。倒産理由は省略します。

さて、はじめての倒産。
倒産と申しましても、会社の清算ではなく、当初は民事再生の道を模索しておりました。結果として願いはかないませんでした。

倒産はかなり荒れるのかと思ったのですが、それほどでもありませんでした。怒鳴り込んできた業者さんは、覚えている限り1社。それでもかなりの剣幕でご登場したときはびっくりしました。

倒産するときって、社長や経理部長のような立場の人が雲隠れするのは常道なんですかね。まあ過ぎたことですからいいですけど。

社長室に相田みつをの言葉があった。
確か、転んだっていいじゃないか、人間だもの、そんなことばだったと思う。
そこへ唐崎夜雨は付け加えました。
転ぶときはひとりで転べ、と。

ブランドは別会社で製造販売してゆくことになり、唐崎夜雨を含めた社員も何人かは、そちらへ移りました。
これは別会社での仕事もあるにはありますが、どちらかというと倒産会社の清算に関する残務処理のためでした。区切りがつくまでは、このブランドの面倒をみようというもの。好きなブランドの臨終に立ち会うようなもの。

こうして思い出しながら書いていると、いままですっかり忘れていた人の顔が思い浮かびます。名前はすっかり忘れているけれど、そういえばこうゆう若者がいたな、ああゆうおっちゃんがいたな、と。みなさん、どうしていらっしゃるんでしょうね。会いたい?いや、別に。

会社は倒産してしまいましたが、あまりツライ記憶がありません。当時はイヤなこともあったと思うんですけどね、意外とサッパリ忘れています。同僚とはよく飲みにいったりしてました。人間関係は良好な職場でした。

さて、唐崎夜雨は残務処理もひと段落ついたところで退職を願い出ました。
ここで退職後に初めての海外旅行へ出ました。いまでもあまり海外へ行きたいという気はないのですが、飛行機そんなにすきじゃないからかな、へへ、それでも一度くらいは経験しておきたかった。

「すいません、スペインへ旅行にいくんで退職します」
そんな退職願、なかなか変わってるでしょ。

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