見出し画像

行く春を近江の人と惜しみける

こんばんわ、唐崎夜雨です。
先日、中学校からン十年の付き合いになる友人と旧交を温めました。

話題といえば、老いや身辺のことが中心になりますが、昔ばなしにも花が咲きます。互いの記憶が違うこともあり、食い違いもなかなかおもしろいなと思います。

彼とは若い頃よく旅をしました。スペインへ行ったのも彼とです。
ふたりとも初めての海外は、面倒くさいからとツアーで行きました。
男二人でツアーに参加したものですから、周囲からゲイだと思われていたらしい。
でもこの誤解はすぐに消えました。何しろ移動と宿泊以外バラバラだったから。

「オレ、サグラダ・ファミリアに行く」
「じゃぁサッカーのショップに行ってる」
といった感じでほぼ自由気まま行動。
夕食は一緒でも朝のバイキングはもうバラバラ。
ツアー客から「あれ、ひとり?」「あっちに相棒いたよ」「向こうで探してたよ」とよく声をかけられたものです。

彼とは九州の最南端佐多岬まで東京からドライブしたことがある。初日の出を見ようという企画だったが、元日にたどり着かなかった。
いまにして思えば高速でさっさと行けばよいものを小倉から下道を通り長崎やら熊本やら枕崎やら通過したものだから間に合うはずはない。

山にも何度か登っている。北岳、八ヶ岳、甲斐駒ヶ岳など。
八ヶ岳は天候悪く10mくらい先を行く人のザックやウェアの色がおぼろに見えるだけの乳白色の霧に包まれた。
甲斐駒ヶ岳は表参道の標高差2000mを一気に登ったので頂上では寝てしまい、まったく眺望の記憶がない。

共通の友人が青森県八戸にいたころ、自転車で八戸まで行った彼を寝台特急で迎えに行くこともあった。
たしか金曜の夜の寝台で行き、土曜は友人の家に泊まり、日曜夜の寝台で東京に帰り月曜日そのまま出勤した。

思い起こせば、若いころのほうが行動的でした。
それに経済的余裕もあった。ふところ事情はその時の諸般の事情もあるだろうが、概して次第に芳しくなくなったのはお上のおかげもあることだと思っています。

行く春を近江の人と惜しみける
 芭蕉『猿蓑』

芭蕉のこの句の「近江の人」は実在の近江の知人かもしれませんが、時間を超えて近江の春を愛した古人をも含まれているのでしょう。
そう思うとロマンがひろがる。

明日は端午の節句で、立夏。
唐崎夜雨は友人と、青春という名の春を惜しみける。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?