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『センス・オブ・ワンダー』の底力


子どもがなにげなくつんできて放置した花や草が、どんな生け花よりも美しく見えて、ハッとする瞬間がありました。思えば、壮大な夕日や夜空の月の美しさへの感動と同じように、子どもがポイっと置いて並べたドングリや雑草に、ザワザワおしゃべりをしているかのような息吹を感じてドキッとした経験が何度もあります。この瞬間に私の心を動かした力とは一体なにか。考え続けいてた問いの答えとして出会ったのが、レイチェルカーソンの著作『センス・オブ・ワンダー』でした。
センス・オブ・ワンダーとは、「神秘さや不思議さに目を見はる感性」だと、レイチェルは言っています。子どもが思わぬ瞬間に、魔法のように作り出す美しさの秘密。このセンスは元来人間が一生、本質として持っている感性ではありますが、しかし、生活の責任者になるにつれて、どうしても磨耗してしまったり、中には、この感性が社会生活の中では邪魔だと感じて自ら枯らしてしまう人も少なくなさそうです。以前は仕事柄、子どもの全開されたセンスに触れると、どうしてよいのかわからなくなり、不安や怒りに陥ってしまうという相談を、大人の方から受ける機会がけっこうありました。どうやら、感受性がフリーズしてしまうと、人は知識や正義を武器として使ってしまうようです。すると、知識力や正しさに自分の存在価値を見出している故に、常に正しくあるべきという猛烈な緊張状態で、子どもの世界やワンダーな存在と向き合うことになると、感性が溶け合うことは難しくなり、本来ならば、自分も相手も柔らかく解放し得る可能性のある時間であっても、苦痛を感じたり、無用なものと感じて捨ててしまうしかない、そういう凍りつきの苦しさを、相談者なる声の中に聞きました。目の前の世界を裸の気持ちで感じる、その時間を自分の為に生きることは自分の命を救うことに値する、それは経験上強く感じますし、子どもは大人に対して、彼らと共にセンス全開で過ごすきっかけを惜しみなく生み出す存在だとは思います。ただ、もちろん、自分のペースを掻き乱す存在でもありますし、付き合ってばかりもいられませんが、もし、心が硬く苦しくなっている時など、子どもとの時間で突然何かに理由なくハッとする瞬間は、大切な自分の感性の救済の瞬間になり得ます。

「知ることは、感じることの半分も重要ではない。
(中 略)
子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。」

子どもが持つとされる豊かな土壌を、私は人が一生持ち続けていると信じて生きています。肥沃な土壌を持ちつつも、幼い頃に育む機会を奪われて苦しみながら大人になった人もいるし、例え大切に育んできていたとしても、時に枯れ果てるような暴力的な瞬間もあります。ただ、凍りついてしまうこと、干上がってしまうことに、過剰に怯える必要はなく、怯える自分の痛みにじっくりお手当てしながら、自分が心地よい距離感や余裕を手探りしつつ、その中で、実はすぐそばにあるセンス・オブ・ワンダーの世界に、自分なりにそっと触れてみると、意外ほど自分の感性が蘇るきっかけが訪れたり、案外可愛いらしい自分に出会える瞬間が、時々フワッとあるように感じています。中でも、子どもとの時間はきっと面白いぐらい、その機会をくれるでしょう。とはいえ、私自身、どちらかというと一人で落ち着いてお家や草むらの中にいるほうがじっくり世界を味わえて回復するので、子ども、というか、誰かと一緒に過ごし過ぎてお疲れの人は、それはそれで、じっくりやさしい一人時間を赦すこと、それこそが、センス・オブ・ワンダーの回復には必要かもしれませんね。

科学者がやさしく訴える強い言葉に、素晴らしい写真とともに触れていると、まだまだ地球にいてもいいかな、そう思わせてくれる一冊です。

『センス・オブ・ワンダー』(新潮社)
著者:レイチェル・カーソン
翻訳:上遠恵子

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追伸
この原稿は何かの読書コンクールで小さな優秀賞をいただいた読書感想文。掃除で出てきたUSBに入っていて、20年近く経った今読み返してみると、今も全く変わらず同じことを大切に考えている自分のことを、可愛いと感じるような、成長してないなと思うような・・・でも、あの頃大切に綴った文章を、ここでもう一度天日干ししてあげられてよかった✨🌈

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