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「好きなことを仕事にしたい」の呪い

「好きなことを仕事にしたい」という願望を、いまだに払拭できない。ある意味、一種の呪いである。
働く人間なら誰でも一度は思ったことがあるだろうが、これを実現できている人はそんなに多くないと感じる。わたしもできていないし、実現する見込みもないのだが、なんとなくまだ諦めきれずにいる。

そんなことを最初に書いておいてなんだが、わたしは、好きなことを仕事にしてしまうと嫌いになるタイプだと自覚している。
基本的に「労働」が嫌いなため、好きなことを仕事にしてしまうと、それが嫌いな「労働」へと変わってしまうと思うからだ。
だからやめたほうがいいことはわかっているが、どうしても呪いのようにこの願望がたびたび脳裏をよぎる。

これ系の話になると、まずは自分のはじめてのアルバイトを思い出す。
「商品が好きだから」という理由で選んだ学生時代のスイーツ店でのアルバイトは、最初こそ「好きなことを働きながら学べる!」と楽しくやっていたが、だんだん嫌いになってしまった。
シフトに入るたびに長蛇の列を見たり、厳しい社内教育を受けたりしているうちに、だんだん「無限に『労働』させられている気分」になってしまったためである。
このエピソードだけで自分を「好きなことを仕事にしてしまうと嫌いになるタイプ」と断定するのはやや安直かもしれない。商品自体は今も好きだし、店舗で購入することもある。また、元の好き嫌いに関係なく、嫌いになったであろう要因を容易に分析できる。たとえば、自分が接客業とあまりにも相性が悪いこと、忙しすぎる(日本トップクラスの売上を誇る店舗であった)こと、スパルタな職場に入ってしまったことなど。
とはいえ、はじめてのアルバイトの時点ですでに「好きなことを仕事にしたい」の難しさを知ることになったのは確かである。

アルバイトについては、それで懲りてしまい、その後のアルバイトは「好き」は関係なく、基本的に「楽に稼げる」を重視してしまった。今振り返ると、もっと「好きなことを仕事に」系の仕事を試してみれば良かったと思う(良くも悪くも気軽に試せるのがアルバイトの良さなのだから)

ここまで読んでくださった皆さんには、「就職活動で苦労するやつだな」と思われただろう。その通りである。ようやく某メーカーに拾ってもらえたのは、大学院を修了間近の春だった。

新卒入社後、会社員としてはここまでいろいろあって、途中で転職したり無職になったりもしたが、基本的には同じような業種でずっとサラリーマンをしている。他にできることがないからだ。

「できること」と言えば、かつて何かの本で「『好きなこと』ではなく、『できること』で仕事を探しなさい」と書いてあるのを読んだことがある。そしてその主張にもうなずけた。仕事なんだから、まずはできなきゃいけないし、好きだけどできないことを選んで、「できない」が続くと、苦しくなるだろうし。
もちろんどちらとも満たしていたら最高だし、「好きこそものの上手なれ」という言葉に対してもその通りだと思うが、どちらとも満たすには「運と縁にかなり左右されるのではないか?」とわたしは考えている。

今のわたしはというと、「できること」で仕事をしている。
詳細は書かないが、「(日本人の平均よりはちょっとできるくらいの)英語」と、「正社員時代の実務経験に毛が生えたようなスキル」を活用して仕事をしている。
ちなみに新卒採用時も、「できること」で採用された。後から聞いたのだが、学業成績や資格欄が上層部に受けたらしい。勉強しているとたまには良いこともありますね。

それから似たような業種の会社を複数渡り歩いたが、全部「できること」で仕事をしている。自分なりにそれなりに努力をして、「できること」を増やしもした。しかしこれまでの仕事が「好きなこと」になることはなかった。しょせん「雇われ労働は雇われ労働」と感じてしまうのだった。言い訳がましいが、そもそも「好きではないこと」を無理して「好きなこと」にはできないし、する必要もなかったのでこうなったとも言える。

「好きなことを仕事にしたい」が難しすぎるため、近年は「嫌いな労働を極力減らしたい」に舵を切りつつある。近い将来には完全週休三日制を実現したいし、心身に影響を及ぼすような必要以上の努力をしないことにした。
たとえば、最近は資格を必要以上に取ることをやめた。資格を取ったところで、今までの実務経験のほうが重視されるだろうし(これは、未経験転職が難しい理由でもある)、よほどの資格でない限り取ってもお金にならなさそうだ(せいぜい派遣会社のお祝い金か?)し、何より業務時間外に勉強したいほどの情熱がない。「勉強したい」と思えるときまで、今は現状維持をがんばりたい。

仕事を無理して「好きなこと」にしなくていい、できることをやればいい。
そうとはわかっているし、それを実践しているが、それでもやはり「好きなことで稼ぎたい」の呪いが解けていないことを感じる。「好きなことで稼ぐ」ことを実現したことがないので、コンプレックスになっているのだろうか。自覚はないが。

さんざん「好きなことで稼ぎたい」という話を書いたが、抽象的すぎるので、ひとつ具体例を書いておく。
わたしが「好きなことで稼ぐ」ことが実現できるとしたら、やってみたいのはエッセイストである。「書くこと」や「言語化」がとても好きだし、「エッセイストなら好きなことを書ける」というイメージがあるからだ。他には仕事をする場所をある程度選べそうなのがいいし、大々的な取材をしなければ、コストがあまりかからないところもいい。
しかし「エッセイストで食べていく」というイメージはまったくわかず、才能もないので(「才能」には「努力を継続できる」を含む)、実現予定はない。
ちなみに、無職時代時間が有り余っていたときは、エッセイストではなくても、「書くこと」を通してお金にできる職業がないかどうかを考えたことがある。
そこで見つけたのがwebライターという職業であった。関連書籍を読んでみて、クラウドソーシングやブログの開設などいろいろ検討したが、結果はお察しください。

今はこうしてnoteに趣味の範囲でエッセイっぽいものを書くことにとどまっている。もちろん「書くこと」が好きだということもあるが、これも「『好きなことを仕事にしたい』の呪いへの反応かもしれないな」と、ぼんやり思うなどした。

おわり


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