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怖がりな子供との接し方

エスカレーターが怖い

ゴールデンウィークのある日、夫と娘(5歳)とショッピングモールに出かけた時のことです。
娘が急に、上りエスカレーターに乗ることを拒否し始めました。先週は問題なく乗っていたのにどうしたのかな、と遠目に見ていたのですが、(私だけはまだその階に用事があったので少し離れたところにいました)なんと夫は泣いている娘を置いて自分だけが上の階に行ってしまいました。そして上から「怖くない、早くおいで」と促していたのです。
これはいけないと思い、すぐに娘を助けに向かいました。一緒に手をつないで無事に上の階に到着。誰かと一緒なら乗れるようです。
夫は「一人でできるようにとわざわざ置いて行ったのに過保護だなあ」と、憮然とした表情でした。子供が練習する機会を奪ってはいけないと。「お子様は手をつないで下さいって、アナウンスもされている、転んで巻き込まれて、最悪死亡事故につながるかもしれない」と言いましたが、どうも納得していない様子でした。
「転んだらすぐに助けに行けるよ」とのことでしたが、上の階にいるのにどうやってすぐに助けに行くのよ・・・。

経験すれば怖くなくなる?

娘は怖がりで、暗い場所や虫、プール、初めて会う人、公園の遊具、フライパンではねる油、汚れた水回りまで、毎日「怖い」を連発しています。「大人になって、赤ちゃんを産むのが怖い」と言っていたこともあります。出産は痛いと、どこかで聞いてきたようです。
想像力が豊かだなあと感心しました。私は娘の繊細なところが好きです。
しかし夫はその度に、「そんなものは怖くない」「皆やっていることだ」と強行突破しようとします。
「子供は過酷な経験をしてこそ強くなる」とか「ライオンは自らの子供を崖から突き落とす」といった育児論を実践したがる人です。
「怖いのは知らないからだ。経験さえすれば怖くなくなる」とよく言っています。
理由は「自分もそういった育て方をされて強くなれたから」だそうです。成功体験になってしまっている考え方を変えることは容易ではありません。
そしてもう一つ、例えば外国にルーツがある方など容姿が異なる人に対して、見た目だけですぐに「怖い」と拒否する人になってほしくないという思いがあるそうです。
一つ目の理由は疑問が残りますが、二つ目にはわたしも賛成です。

私自身の経験

だからと言って、本人が怖がっているものを「怖くない」と押さえつけるのが本当に良い接し方だとは思えません。
夫が娘に「そんなの怖くないでしょ」と言う度に、幼少期の記憶が蘇ります。
小学1年生の運動会。運動会の競技にはそれぞれ独自の並び方があって、なかなか覚えられませんでした。失敗したり怒られたりしたわけではなかったのですが、不安がつのり、学校に行きたくなくなってしまいました。
そこで母に「運動会の並び方が分からなくて怖い、学校に行きたくない」と打ち明けてみました。
その時点で母は私にとって、世界で一番信頼できる人でした。きっと自分に寄り添ってくれるに違いないと思っていたのに、「そんなことが怖いなんて、あんた馬鹿じゃない?」と鼻で笑われて終わり。
その時の絶望、孤独感は今でも覚えています。
母も忙しかったのかもしれません。もっと重要なことを抱えていて、相手にしていられなかったのかもしれません。
しかし母はこの件を長期にわたって覚えており、人が集まると決まって「この子は運動会の並び方が分からないって泣いていた。ちょっと頭がおかしいのではないだろうか」と何度もしつこく言っていました。
それ以来、母は私にとって「一番信頼できる人」ではなくなりました。必要最低限の相談しかしなくなり、秘密を打ち明けることはもうありませんでした。
もしも娘が、あのときの自分と同じ思いをしたら?それはとても悲しい、残念なことだと思うのです。

感情を受け止める

その後、夫とは上記のエピソードを交えて話し合いをし、「怖い」という感情は本人だけのものだから否定をするのはやめようと決めました。
夫は「すぐに大人が手を貸すと自分から何もしない子になる」と思っての行動だったそうですが、娘には「最初は信頼できる大人が手を貸して、徐々にその手を離していき、最終的には一人でできる」という方法が合っているのかもしれません。
また、何でもかんでもできるようにしなければならないということもなく、例えばエスカレーターに乗れないのであれば、階段やエレベーターを探して利用する、というのも生きていく上で重要なことではないかという話もしました。

それでも

「いったん受け止めて~」と文字で書くのは簡単ですが、「おばけが怖くて眠れない」と泣いて、いつまでたっても寝ない娘には「そんなの怖くない!」と言いたくなってしまいます。我慢、我慢です。


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