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蒼白き頬のままで

私にとって、秋冬は編み物の季節だ。まだ夏の名残りのうちから毛糸を買い込んで、いつもフライング気味に編み物を始める。毎年ブランケットを編むことにしているのは、ブランケットが一番実用的だったからだ。
今年は星のモチーフを繋いで作ってみよう、と決めた。
配色を変えながらモチーフを量産し、繋いでみると宇宙のようで嬉しくなった。

そうか、これは昴だ、プレアデス星団だ、なんて思い谷村新司さんの『昴』を歌いながら編んだ。時々YouTubeで『昴』を流したり、谷村さんの他の曲も聴いてみたりしながら一週間が過ぎると、突然谷村さんは亡くなってしまった。
個人的にブームが来ていただけに、ショックだった。
でもやはり、プレアデス(昴)へ還っていかれたのだろう、と思った。

後から知ったのだが、谷村さんは著書の中にこんなことを書かれていた。
『昴』は引越しの最中に急に歌詞とメロディーが同時に降りてきたものだったと。自分でも「ん?『さらば昴よ』って何?」と意味がわからなかったそうだ。

それから時間が経ったある日「これからはダイレクトですよ」という声が頭に響き、谷村さんは突然プレアデス星団とのチャネリングが始まる。
頭の中に響く声と、テレパシーでのやり取りだったそうだ。
「なぜ僕を選んでくれたのですか?」
と尋ねると、プレアデス人は
「自力で正しい場所まで辿り着いてくれたから、あとは直接導きたいと思ったのだ」
と答えたらしい。そこで谷村さんは、
「もしかして『昴』の曲もあなた方が私に送ったのですか?」
と尋ねるのだが否定され「それはあなたが書いた曲でしょ」としか言ってくれなかったそうだ。
谷村さんは『昴』の歌詞の意味を知りたくて紐解いていくのだが、『さらば昴よ』とは物質的な豊かさを追求することに別れを告げ、お金やモノに囚われない新しい時代を作っていこう、というメッセージなのだと気づいた。

さらにインドへ行った時に顔を青白く塗った人たちを見かけ、歌詞の「蒼白き頬のままで」とは、インドの破壊と再生のシヴァ神のことだと理解する。
物質主義の古い世界を破壊して、目に見えないものも大切にする新しい世界を作ろう、ということだったのだと気づいた、と谷村さんは言う。
ここまでは谷村さんの著書による情報で、ここからは完全なる私の個人的な見解になる。

真に優れた芸術作品は多次元的なメッセージを含んでいるから、解釈してもまだ謎が解けきらない余白が残されるものだ。そう、モナ・リザの絵のように。
そして後世の人々にあーでもないこーでもないと議論されることこそ、作品の存在意義なのかもしれないと思う。
というわけで、谷村新司さんに何の関係もない私が『昴』について好き勝手に書くのは不粋かもしれないけど、解釈はいくつあっても良いはずだ。
プレアデスな編み物をしながら『昴』を歌っていたら、どんなことを歌ったものだったのか見えてしまったので書かせて欲しい。
あれは、谷村さんの魂が以前、死ぬ間際にプレアデス星団から地球を目指した時の心境だったのではないかと思うのだ。

何かの戦争や争いに巻き込まれたか、あるいは自然災害だったのか。
宇宙空間に漂う瀕死の谷村さんは、周りで砕け散った同胞たちを眺め、言葉にならない魂の震えを感じている。
自分の命ももうあとわずかだと悟った時、最後に残ったのは地球への憧れだけだった。
この体で辿り着けるのかわからなくても、様々な葛藤や覚悟を超えて、地球を目指すことを決意する。
瀕死の状況とは裏腹に、その表情にある決意は強固で揺らがない。

もう目は虚ろで、何も見えなくなってしまった
見えるとすれば、無謀な道のりだけだろう
きっとこの体では地球へ辿り着けない
夢は砕け散るだろう
でも、地球を正面から見据えている頬が感じる温度
自分で見ることはできないが、地球の光で頬が青く照らされていることが
たったひとつの希望なんだ
我は行くのだ、魂だけとなっても
我は行くのだ、蒼白き頬のままで
さらば、昴よ

呼吸をしても、負傷した体から空気が漏れて
風のような音が鳴るだけ
されど胸の中は熱く
夢を追い続けるのだ
ああ名も無き戦士、同胞たちよ
みんな地球の光に照らされて
頬が蒼白く輝いている
せめて鮮やかに宇宙の星となれよ
我も行くのだ、心の命ずるままに
我も行くのだ、
さらば昴よ


という歌だったのではないかと感じたのである。
だからドラマティックな中に、何とも言えない郷愁と希望が同居しているのかと勝手に腑に落ちたのだ。
『蒼い頬』じゃなくて『蒼白い頬』なのは、血の気が引いて死にゆく白い頬に地球の青さが映えているのではないだろうか。


正解かどうかなんてわからないし、確かめようがないが、少なくとも谷村さんが交信したプレアデス人は言っていたのだ、
「それはあなたが書いたものでしょ」と。

いつかの自分が放った想いが、次元や時間を超えて急に自分に戻ってくることってあるのかもしれない。
私の『昴』の解釈がもし本当にそうだったらの話だけど、瀕死の過去世の谷村さんが最期に見た希望の光がアイデアの素となり、来世で歌にしてヒットしたということになる。
私たちの現世(今世)だけ見ても、そういうことって実はよくあって、成功体験の裏には「その前の挫折」がセットだったりする。
大体の場合「その前の挫折」がないと達成できるだけの自分になれないからだ。
上手くできたシナリオだと思うけど、そんなシナリオすら書いたのは自分だ。
すべて自作自演なのが人生なのかなと思うこの頃である。

あなたは『昴』はどんな歌だと思いますか?


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