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「市子」を観て、「怪物」を思い出す。

映画/「かいぶつ、だ〜れだ?」


このところ、気がつけばずいぶん時が進んでる。季節の替わり目ですかな。
ひと月ほど前、上映最終日に行きました。それも朝一の一回のみ上映だったなん。
映画館で観みようとは思っていても愚図々々して、上映終了日に近づくまで腰が上がらないのが我っちの習性。結局見逃した映画が結構あります。地方では二番館、名画座がほぼ絶滅状態で、いくつもあるシネコンはどこもほぼ同じラインアップ。いやはやなんとも、映画館には多様性などない時代やわ。

杉咲花 は好きなタイプの俳優さん。
楽園 (2019/監督/瀬々敬久) で魅力を感じ、2020年の朝ドラ おちょやん をずっと楽しませてもらいました。

市子 (2023/監督/戸田彬弘)


数年の同棲生活を経て、市子 (杉咲花) は義則 (若葉竜也) から結婚を申し込まれた。どこか戸惑いのある幸福感のなかで、市子は失踪する。若い女の白骨死体発見から市子は重要参考人として捜査対象となっていた。

その市子の人生を義則がさかのぼっていく。ほぼ暗い色調のスクリーン上に非情に日付けが刻たれ、過去のエピソードを通して、秘密を抱えて生きてきた市子の像を浮かび上がらせる。非情な時の流れを映し出すシーンで、市子の内心の苦しさを抑制するような杉咲花の演技は秀逸である。

親が出生届けを役所に提出しなかったために、無戸籍となった市子のようなケースに、私は現役の頃出くわしたことがある。小学校への入学通知が来ないとの問い合わせの原因は、住民登録がないためだった。そのケースでは、病院で出産したが費用が払えず、出生証明を受けずに逃げて、そのままにしておいたから。他にも種々多様々なケースがあろうが、法的には家族でありながら、虐待死にいたるような状況を生じる家庭の関係性よりは、いくばくか子をいつくしむ心に救いはあるだろう。いくつかの行政機関への手続きに手間はかかるが、動き始めれば正規の方向へいくはずだから。

しかし映画作家はもっと複雑な心理を投影するシーンを創りだし、人間の心の叫びを聞こうとするだろう。そこをしっかりと受けとめて表現したのが、市子役の杉咲花であった。その過去を追う恋人役 (若葉竜也) はおたおたする物足りなさを感じさせたが、市子の芯の強さ、必死さと対照するには、均衡がとれているのかもしれない。

市子は2歳下の妹 、月子 (寝たきりの難病) として小学校に上がる。
母 (中村ゆり) は二人の子と身を隠す生活にある。夫(内縁?)は登場しない。DV男から逃げたためか、その過程で生まれた市子を入籍していなかったが、妹の月子には戸籍がある。2年の間に何があったのか? この辺りの描写を見落としていただろうか。二人は異父姉妹のなのか?
母、なつみもどうにかして生き抜くすべを求めたのだろう。元恋人として出てくるソーシャルワーカー小泉 (渡辺大知) が、公的福祉受給のため月子を入籍したと思われる。その過程で医療機関や児童福祉関係の係わりは必須だが、これらの方面から母子家庭への眼差しは描かれていない。小泉が巧みに操作し、母娘への支配力を強めていただろう。昨今、子どもの不審死が後に事件発覚となり、当局者が儀礼的に頭べを下げる図を幾度も見せられた現実への批評を感じる。
しかも、年頃になった市子を小泉がレイプするという流れのなかで、市子は男を刺殺してしまう。
ここから始まる、何をしてでも自分の世界を掴もうとする市子の生き様が。現実世界であったなら、これが露出することで、逆に市子が救われる道すじはついたろう。しかしフィクションの世界では、市子の心に刻み込まれた人生を個として掘り下げることが必然であり、そこまで志向するレベルを高めることに、監督が作品をなしとげる意味がある。

市子の心底で目覚めた怪物は妹の人工呼吸器を外す行為にいたる。自分が成り変わってきた 「月子」 という過去を断ち切るように。姉妹の間に言葉にならない諒解があったとしてもだが、、、。
さらに市子への片恋を続ける高校の元同級生、北 (森永悠希) をSNSを通じて知った自殺志願者とともに海に墜落死するよう仕向ける。市子への想いに取り憑かれている北は、かつて市子が刺殺した小泉を轢死体に見せかける工作に加担していた。内にこもった北の“愛情”は自分の行動を冷静に振り返ることを遮断する。(親子ではあるが、娘の殺人と隠匿に加担した現実事件を想起させる。)

自殺志願者の娘に変身し、新たな人生を切り開こうとする市子の「協力者」北の思考感情はどうなっているか?、何という 「献愛」なのか?、北役、森永悠希にそこまで迫るものを感じとれなかっのは残念だった。

市子の新生を実現しようとする欲望、それを邪悪という言葉で括ってしまえば、生まれた時から苛烈さを背負わされてきた者への、安易な断罪で終わってしまうだろう。だからこそ困難な役をやりきった杉咲花に凄みを感じるのだ。

闇の中へ去っていく市子。ダークサイドをブライトサイドへ変換できたとしても、心の内で狂気を正気に装う怪物を飼いならさねばならない。その後をどう生き抜くのか、市子の人生は続く。それが短くても長かろうとも。
観る者はスクリーン世界の暗がりで想いはせるしかない。


INTERLUDE
(vo./与世山澄子/2005)
(song by B.Russell & P.Ruglo)

(youtube)


怪物 (2023/監督/是枝裕和)


おおよそ10ヶ月も前に観た映画だが、何だかもやもやした気分のままで時が過ぎてしまった。
主要な登場人物たちの心底に潜む 「怪物」 へのコールだろうが、「かいぶつ、だ〜れだ」のキャッチコピーのようなフレーズの繰り返しは耳に障った。

息子のクラス内のイジメをめぐって母親 (安藤サクラ) や担任 (永山瑛太) など関係者の視点を通し複眼的にストーリーは展開する。
イジメ事件に対する証言やそれぞれの認識は一致しない。皆が自分に都合よく納得したいからだ。そこには無意識のうちに責任をなすりつけ合う病理があるだろう。それを「怪物」と呼んでいいかもしれない。大人になると心底にあるものから目を逸らし、忘れがちであるから。
気づきの無い大人たちのなかで、「かいぶつ、だ〜れだ」の声が聞こえているのは、おそらく校長 (田中裕子) だろう。
しかし、車庫で孫を轢いてしまったとしても、校長の夫が収監されている設定が解らない。仮に身代わり説の立証のためとしても。

自分がどうだったかの確信はないが、10才前後までは好き嫌いはあっても、利害優先の意識はなかったろうと思う。
今の子どもの世界はどうか知らないが、主要な役の二少年 (黒川想矢、柊木陽太) は少なくともそのようだ。ただ周りの人間を見るうちに、内なる怪物的なものが目覚めようとするのを無意識に感じてはいるだろう。
日常化した疑惑を浄化させるため、とうとう嵐の襲来という意味ありげな場面を迎える。二人は大人たちから姿をくらまし、廃線跡に放置された車両に身を潜める。吹き荒れる風雨の中で二人の親密さは醸成されるが、何でもLGBTに結びつけるトレンドは、カンヌ映画祭でのクィアパルム受賞でも明らかだ。まだ性的な意識のない者同士の感覚を表出するシーンなのだが、、、かつてこのような関係性は少年少女中心のストーリーでは自然なものであった。かえって大人の過剰な意識が逆作用するやもしれない。それはいかがなものだろうか。

晴れ渡った草むらを光に向かって走る二少年の行き先は天国なのか? それを嵐で亡くなった死後の投影と捉える視点もあるようだが、私はそうとは思わない。
新しい自己の発見と、新しい世界を目指す疾走と考えたい。
この先、新しい大人として生きていくという救いがなければ、この映画にはこれといった見所を感じられないから。
 

What a Wonderful World
(vo./与世山澄子/2005)
(song by G.Douglas & G.D.Weiss )

(youtube)


蛇足です。

何も映画賞を獲れば凄く良い作品でもなかろうやな。市井の映画鑑賞者にとっては観ようとする動機の一つにはなるが。
安藤サクラは日本アカデミー賞で3回目の最優秀主演女優賞となった。(初受賞は2014年の武正晴監督作品、百円の恋 )。
2度目はカンヌでパルムドールの万引家族 (2018)。是枝ブランドの優れて手慣れた演技 (貫禄という人もいるでしょうが) で選出されたが、我っちにはある男 (2022/石川慶監督) の母親役の方が好かったな。おそらくこの先長く女優の仕事を続けるだろうけれど、吉永小百合のように映画業界で祭り上げられぬことを願うばかりやわ。


’Round Midnight (1957)
(tp./Miles Davis/ts./John Coltrane)
(by T.Monk, B.Hanighen & C.Williams)

(youtube)



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