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コンフォートゾーンから飛び出すと夢が叶う

こんにちは。Yuki⭐です。


人生に希望を見出せなかった時に、カラーセラピーと出会い、心が開かれ、そして、子供の頃からの夢だった海外へ。

今回は、初めての海外生活のことを書こうと思います。


数年前、家族でオーストラリアへ渡り、1年ほど現地で生活することになりました。


はじめにぶつかったのが、言葉の壁。

どうにか聞き取ることはできても、返す言葉がなかなか出てこなくて、苦労しました。


あちらでは、何も言わないと、英語が通じていないか、意見のない人と思われるのです。

英語を話さないと、生活ができない、まさにサバイバルでした。


それと同時に、もう1つ。

現地で住む家が決まっていなくて、渡豪してからの家探し。


最初は、すぐに見つかるだろうと楽観視していたのですが、なかなか見つからず、本当だったら、学校、幼稚園へ行っているはずの子供たちを連れて、ホテルを転々としながら、家を探す日々。

こんな状態で連れてきてしまって、半分は後悔の気持ちもありましたが、せっかくここまで来たんだから。家はちゃんと見つかる。まずは、とにかく家を決めよう。

そう気持ちを切り替えました。


そうして、ようやく家も決まり、子供たちも現地の小学校、幼稚園に入ることができて、新しい生活が始まりました。


最初の半年は、現地の生活に慣れるのと、子供たちの学校、幼稚園のことで精一杯。


正直、途中、日本に帰りたいなあと思ったことも。

そんな中でも、友達もできて、現地での生活も少しずつ楽しめるようになりました。

現地で知り合った日本人の友達にも色々と助けてもらい、ありがたかったです。


最初の予定の半年を終えて、一時帰国しました。

その後、また半年、オーストラリアへ行くことに。


最初の半年は、せっかく知り合いができても、あまり会話もできず、もどかしい気持ちだったので、今度は、学校に行って、英語を話せるようになろう!そう決意しました。


2回目の渡豪では、家の探し方、暮らし方がすでにわかっていたので、日本を出発する1ヶ月ほど前から、ネットで家を探し、現地に着いたら、不動産屋さんへ直行。
今度は、あっという間に家が決まりました。

次は、子供たちの学校。
幸い、前に通っていた学校に、また通えることになり、オーストラリアでの生活をスタートしました。


初めて、渡豪した時には、右も左もわからず、途方にくれましたが、一度、日本を飛び出し、行動したことで、それまでのコンフォートゾーンを超えて、海外での生活できる自分になることができました。


そして、いよいよ、私も語学学校へ。
初日から、新しい世界にワクワクしていたことを思い出します。


クラスには、いろんな国から来ているクラスメイトがいて、今まで知らなかった世界が広がっていました。
自分の常識は常識じゃなかった!
そんな驚きもありましたが、それも興味深くて、毎日、英語漬けのハードな日々でしたが、学校に行くのが本当に楽しくて仕方なかったのです。


クラスメイトとも、いろんな話ができるようになり、時には、悩みを聴いてくれたり。

その時、思ったのです。
国や言葉、文化が違っても、人は心でつながれる。

子供の頃に、近所の公園で外国人の家族に会った時に、英語を話せたら、お話ができるのになあ、と漠然と思った記憶が蘇り、ああ、あの時、思い描いていたのは、国を越えて、こんな風に人とつながりたかったんだ、とふと思ったのです。
子供の頃の夢が叶った瞬間でした。

夢って、忘れているようで、実は心の奥に大事にしまってあるんです。
それが、ふとした時にこんな風に出てきて。

長年、英語を勉強してはいたのですが、それほど話せるようにはならず、日の目を見ないと諦めたこともありましたが、この時、本当に、英語を学んでいてよかった、と思いました。

そして、一時は、人生に希望を失くしていたけれど、諦めなくてよかった、生きていてよかった、と心から思えたのです。

その時のクラスメイトとは、今もつながっていまます。
親身に話を聴いてくれたこと、励ましてくれたこと、今でもありがたく思っています。

人生、諦めなければ、必ず光の方向へ導かれます。

人生どん底だと思ったところからでも、その時は想像できなかった世界へ行くことができるし、夢が叶うのです。

「トンネルの先には、必ず光があるよ。」
大切な友人がおくってくれた言葉です。

この言葉をあなたにもおくります。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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