名札は学校教育に必要か
よく学校で名札をつけていないことに対して叱責する教員がいる。
なぜ名札が学校教育に必要なのだろうか。
まあ要するに円滑なコミュニケーションをするための道具である。
または、自分が何者であるかを証する道具だ。
ということは、それらが名札なしに成立するなら名札は必要ないとはならなのか。または、必要な時に使用すれば良いだけかと。
生徒間で名前がわからなかったら聞けば良いじゃん。あなたが話したい相手の名前がわかりません。どうすれば良いですか?
1 相手に名札をつけさせる。
2 相手の名前を聞く。
どっちが教育的なんだって話です。
教員側にも同じことが言える。生徒の名前を覚えられない。いやいや聞けば良いじゃん。一度で覚えられない?また聞けば良いじゃん。
学校教育における名札の指導は、手段が目的化している典型例だと思う。そして、その指導を強要される状況が本当にアホらしい。
百歩譲って、名札がついている状態が正しい服装だったとして、忘れたら忘れたで良いじゃないか。なぜ必要以上にプレッシャーかけるんですかね。
高校は名札をつけない=だらしないってことなんですねというツッコミは置いといて。
中学校でも名札がない学校がありますが、その学校の生徒はよろしくないってことですねというツッコミも置いといて。
名札を無批判に使用している生徒は優秀なのですねというツッコミも置いといて。
名札なんてどうでも良くないですかという提案に対しての殺し文句。「ルール」だから。アホらし。そのルールがおかしいのではないですかという問いなのですが。
話は常に平行線。
嫌われることも厭わず、名札忘れをしっかり毎回注意できてる私頑張ってるという悦に浸ったその行為が、何人の生徒を学校嫌いにさせているのだろうか。
そんなくだらないことにリソース割くぐらいならもっと教育のために使いましょうよ。
という、個人の感想です。
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