詩は、言葉を勝ち取るための手段
木曜日からしごとはじめだった。
わたしの仕事は、あたらしく病院で働く看護職の人を案内したりするのだが、新入社員がいればおのずと朝早く出勤する。この日も、七時に家をでる。
朝のはやいのもあって、空が、光りながら朝焼けが浮かんでいた。こんなに雪の少ない冬ははじめてだ。
でも、路面は凍っていた。
送迎を担ってくれている母親は、静かにハンドルを握る。
わたしの転職に対して、割と反対の姿勢をとっている。
母親に対しては、わたしは逆らえない部分がある。でも、これはどうも正しくないぞと気が付いたのは、ほんとうにごく最近だ。朝の車の中でしか、わずかな十五分たらずの時間に話すことしか、コミュニケーションがない。
「あんたが、仕事を変えたいっていうのはわかったから、でも時期を見誤るなっていいたいだけ」
わたしが心情のうつろいを説明しても、やはり理解を得られない。過程より、結果がありきの話を好むタイプだ。
でも、自分の人生が理解を得られるための人生であれば、枷のようなものだ――、なんて思ったりする。
わたしが、「もし、いまの職場の現状で、十万円給料があがるっていうなら転職の時期も考えようかなとも思うんだけどね」といったことがある。
「あんたの福祉の仕事だかっていうのは、その程度の情熱なの?」
福祉の仕事をしたいのは、本心である。でも、いまの自分の職場の現状に悲嘆し、精神的な苦痛を抱えているのも事実で、つまり、金銭的な事や、自分の家族の事だったり、それをあんたは背負えるのか?
もし、わたしが、転職し、仕事で悩みを抱え、金銭的に余裕がなくなり、家族の事で今でさえ渦の中、翻弄されているというのに、もっともっと苦しんでいる姿を、母が目にしたのなら……「忠告したとおりだよね」と判決されるに違いない。そんなことばかり考えてしまう。
母との関係、逃げ続ける父との関係、リミットがある分、決着もつけず逃げたくなる。
今年、わたしは立ち上がる年にしたいと、ただ思う。
職場は変わらず。月初めなので残業。震災の事や、航空機事故の事をひととおり同僚と話し、互いの正月の思い出をほんのり話す。
仕事をきりあげ、バス待ちの時間まで締め切りが近い、文芸誌がいこつ亭への原稿を考える。できあがったのは、暗い散文詩で、でも、今の気持ちだから大事に、言葉を足したり引いたりする。
金曜日。
年越したそばを食べよう。と、お誘いいただいて、蕎麦。
あったかい蕎麦はたくさん、お休みの間にたべていたのだけれど、冷たいのは初。イカ天、海老天、どうしよう、納豆もいいな~とわくわくしながら考えて、結局は普段選ばない、おろし蕎麦+かきあげの組み合わせに決定。
蕎麦は目をつむって食べた。おいしい。かきあげ。油とツユの饗宴。
食べ終え、冊子、『波』を。(たしか十一月くらいに札幌駅の紀伊国屋でもらってきたやつ)でクレストブックスの特集をしていて、西加奈子さんのインタビュー記事が載っていた。西作品は、怖くて読んでいない。同世代、女性の作品は怖くて読めない気がして(才能が)でも、真剣に生きている人なんだなと、素敵な人だなと素直に思えた。それに、少し、立ち読みした新作の短編集もおもしろくて唸る。自分の劣等感ももちろん、自分を形作る一部品になっているけれど、前進するには取り除くべきものなのかな、と思う。
本当に、自分の外見や、自分の環境や、自分の生い立ちに自信がもてないんけど、徐々になだらかにならしていけたらいいな、とぼんやり思った。
本を読もう。文章を読もう。物語をつくり、小説を書こう。
あらためて、また暑苦しい決意を胸にひめることになった。
ひとりで、斉藤紳士さんのyoutubeチャンネルを聞き流しながら、仕事をさくさく、もくもく。片づけ、仕事場をでる。
ちょっとした、ダイエットなんかしなきゃなーと思って、八時以降は食べないでおきましょう、と思って正月からの無精をただそうと、なぜか、コンビニで慌てて、おにぎりと、気になっていた生地に黒豆を練りこんだもちもち生地のロールケーキを、購入。
あれれ。八時も過ぎている。バス停の手前で、慌て、おにぎりを食べた。セーフか、これは、アウトな気がする。
鮭が脂乗り、おいしい、ロールケーキも一口。うまい。ロールケーキは塩っけがあり、クリームが濃厚。大福とロールケーキの融合とは……。
コンビニスイーツが結局口に合う。
バスを待つ。おにぎりを急いで食べたので、喉がつかえる。
バス停に近づくと、顔見知りの他人が一人バスを待っていた。
ヘルプマークをリュックサックにぶら下がった、小さな女の人だった。
なぜか、なんどか会釈されたことがあった。
だから、わたしは「こんばんわ」と声をかけた。おにぎりが喉の変なところに入って、せき込む。
「大丈夫?咳出ちゃうもね、寒いから」と言われた。なんか、気をつかわせてしまったのかな。あわてて「おにぎり食べて、ひっかかっちゃったの」とわたしは答えた。なぜ、おにぎり?と言われなかった。
その人は、笑うでもなく、ただわたしを見た。年齢はたぶん十くらい上だけど、顔には幼さが残る。
「仕事帰りですか」とわたしはたずねる。
「そうなの、昨日はね、九時過ぎて、九時九分のバスに乗って帰ったんだ」
そんな会話を五分くらい続けて、バスが到着する。
なんだか、あたたかい時間だった。
バスの中で、『波』を読む。高島政伸氏が自分が体験した怪談話などをあつめたエッセイを寄稿していて、おもしろく読んだ。
見ず知らずの人が、文章を紡いでいることがたまらなくうれしい。
よし、本を読むぞ。読む。文章を書く。
降りて、歩く。
家族は大量に作り置きしたいろいろで食事がすんでいる。ロールケーキをお土産にすると、二人とも喜んで召し上がった。
すぐに、がいこつ亭のための文章をつくるいために、ポメラとパソコンを並べて作業。
テレビの音がうるさくて、部屋でラジオをつける。あいみょんがオールナイトニッポンで喋っていた。喋り方が関西で、彼女の生身を事を意識したような気がする。
どういうきっかけか、忘れたけれど、懐かしい気持ちになりたくなったため、ラジオのbgmをバックに、youtubeで、ハイファイセットの『フィーリング』を検索する。大橋純子、来生たかお、スタイリスティックス、カーペンターズ……
それから、プレイリストを作ろう!と思い立つ。手帳のメモ欄にプレイリストの候補を書き連ねる。
CDをレンタルしてきて、テープに録音する、という古典的な手法を取ろうと、前から考えていて、そのために(それだけじゃないんだけどさ)家族への誕プレをCDプレイヤーにしたのだ(カセット付き)しかし、今の若い世代にカセットがはやりつつあるらしいから、いいんじゃないかなと思ったり、思惑が見え隠れするけれど、家族は全然使っていない。Mrsgreenappleのラジオを聴く時くらい……。そちらを十分活用させてもらう。よし。
と思ったのは、書いている今なんだけど、プレイリストを作るのって、大好きだから、昔はよく友達や恋人にMDとか作ってあげていたな~!なつかしさ全開になってしまい、音楽っていいな。
そして、暗い文章を書き続ける。
わたしに今できることは、自分の生活を整え、募金すること。社会の危機を防ぐように声をあげたり活動すること。そんなことくらいしかできないし、正月だって、美味しいものをあたたかい場所で食べていた。
当事者は今、どんな気持ちで時計の針を眺めているのだろう。体や心や、そのほかに苦労を抱えている人、ただ立つことしかできない絶望や、疲労。
募金が一番現地の助けになるだろうから、免罪符のような気持ではなく、一人の人として。
だまっていると、暗い気持ちになってしまう。
そうだ、中村佳穂!と思い、彼女の声を聴くと、心の澱がなくなっていくような力をもらった。
土曜朝。
起きると九時。みんな眠っていて、鳥たちにだけ挨拶する。
残ったカリフラワーピクルス、酢モツ、おととい夜焼いた、バナナケーキに、大根サラダ、納豆、ヨーグルトにブルーベリーを混ぜたもの、静かな朝食。幸福人フーを片手に。
フーさんみたいに、なりたいな。
そう思うし、坂口恭平みたいになりたいな。そうも思う。
書いた人や他人にすべて、なりたいなと思うことがあるけれど、これも危険で、わたしらしさとは何か、本当にわたしが生き延びるために、とらえていかなければならない。
でも、フーさんを見習って、すこし朝の転寝を。きもちよいな、とひたすら思って眠った。
お母さん。
という声で、起きる。
二人がむくんだ顔で起きてきた。
さて、三連休の一日目。たくさん、想像する一日に。
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