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諦めることから始めよう!?

今朝から雨もようですね!
お彼岸過ぎるとやはり日中と朝、夜の
寒暖差は秋を感じますね!

今日は、365日の紙飛行機 - AKB48の
歌詞の分析をしようと思い
ブログを書き始めましたが
突然、お題が降ってきたので
こういう展開になりました!

高校、大学と何の縁もありませんでしたが
仏教の学校に進学することで仏教との
縁があり、今でも仏教、神道の学びを
継続しておりますので
今日は仏教の考え方で今の時代を
楽しきものにしていく内容をと
考えました!


諦めるという言葉は 本来悪い意味ではない

我々日本人も言葉の意味を違う解釈で使うことが
意外と多いのも事実です!

日本語で”諦める”はもう無理だ!
放棄、断念、ギブアップなど
マイナスイメージで使われることが多いと思いますが
漢和辞典で「諦」を調べるとネガティブな
意味はひとつもありません。

〔つまびらかにする。いろいろ観察をまとめて、真相をはっきりさせる。まこと〕

さらに仏教語ではsatya(サティア)の訳語として、真実、真理、悟りを意味する言葉です

諦の意味は日本語では
「明らか・明らかにする」に近いのです
実際に日本語の「諦める」と「明らか」は
言葉として同源。物事の真実の姿やありさまを
明らかにすることで、やっと諦められるという
ニュアンスを、元来含んでいました

ところが、日本語ではいつの間にか
「明らかにする」という大切な土台が
すべて抜け落ちて、望んでいることを
途中でやめるという意味ばかりで
使われるようになりました
残念で、もったいないと思います

仏教では「諦」と「明」の合体した
「あきらめ」こそ、いつでも
どんなことが起こっても
心が苦しまず、おだやかでいられる境地(悟り)に
至るために大切だと考えます

私たちが「苦しい」「つらい」
「嫌だ」「つまらない」など
マイナスの感情を抱くのは、ことごとく
自分の都合通りにならない時です
こうした状況を仏教で「苦」と考えます
現実は自身で作り上げた現実であり
幻想の世界であり錯覚でしかありません!

では、どうすれば自分の都合を
諦め”られるのか

先述のとおり仏教では
自分の都合について分解して検証するために
“明らか”にする必要があると考えます

今の仕事で会社勤めをしていて
日々暮らすだけのお金はあるけど
「もっとお金が欲しい 」という都合(欲)があって
毎日もやもやしていると仮定します

お金がないのでお金が欲しい
もっとお金が欲しいと日々考えていれば
誰だってなかなか心が落ち着かないでしょう
もし心穏やかに生きたいと望むなら
とことん自分の都合を明らかにしないと
お金への過度な欲は諦められませんね

具体的には、まず、自分はお金があったら
何をしようとしているのだろうと考えるのです
家を買う、車を買う、旅行に行く、美味しいものを食べる……
これらはすべて自分が幸せになりたいと
いう夢であり、都合であり、欲です
結果、自分が幸せになるための手段として
お金が欲しいとなりますね!

ここで明らかになるのは
お金は手段であって目的ではない”ということ
これがわかれば、手段でしかない目先のお金の
周囲を右往左往している自分の姿が
ありありと浮かびあがります

その前に感じておく、知っておくべき
前提条件があります!
とても、重要です!
それは…




「今が幸せである!」



ということです!


手段が目的になっていないかチェックする

目先のことばかりに目が向いてしまい
手段が目的になってしまうことは世の常です

昔、駅前の商店街の会長をやっていた時、例年通り夏祭りを3つ開催しました。模擬店を出店してもらう地元の町会や子供会とどう交渉するのか、雨でのオペレーションはどうするか、一大イベントですから、てんやわんやの大騒ぎです。その時、私が言いました。

夏祭りが目的なのではありません。あくまで手段ですと
目的は周年行事の資金調達、子どもの健全育成、地域との協力、
商店街発、親睦であることを忘れないでください
出店や今回での個人的収益は考えないでくださいとも伝えました

夏祭りの真相を明らかにしてくれた言葉でした
本来の目的を踏まえて行えば
夏祭りはそのまま、目的に向かうまっすぐな道になります

状況を明らかにする勇気

夏祭り開催にあたり、打ち合わせ回数、時間を要するため
面倒だと思う人も多いでしょう
実際はとても大変でした!
先人はこんな大変なことを平然とやっていたのかと
関心させられ、尊敬しました!
よく考えてみると近所、商店街などの人間関係に
縮図があると思いました

自分がどんな人間関係を望んでいるのかを
まず明らかにすることが大切だと思いました
私は、会社の支店が商店街にあったため
突然、入会して会長をお受けしました!
過去の歴史の中で我々の会社が商店街活動
ご近所づきあいを何年のも間、遠ざけ、拒否している
現実があり、右も左もわからず、知り合いも
1人もいない中、会長をお受けしました!

これは、大変ではあるが「チャンスであると確信しました!」
前任者は会社員であるため、そこには住んでいないため
さっぱりした人間関係を望んでいたため
何もせずいたという現実があります
しかし、私がその立場になるともう逃げられない状況でした
前任者はなぜつらいのかを分析し、明らかにしましたね

では、商店街のみなさんは何を望んでいたのか
一緒に商店街を盛り上げたいという一心です
本音と建前が違う人が周囲に多くいる
他人に依存したい人が多くべたべたした
関係になってしまうなど
いくつか思いあたる原因があるでしょう
群れる、村的な感覚もあるとも思います!

ではなぜそうなるのかを考えてみるのです
「人は思っていることをそのまま言えば
大変なことになるから
思っていることと言うことが違うのは仕方がない」
「弱ければ他人に頼ろうとするのは当たり前だ」などと
明らかになるでしょう

そうすれば、人間関係が面倒なのは仕方がない
人間関係がごちゃごちゃするのは当たり前だと
少しは諦められるのではないでしょうか
それが本当に大変なことなのかを
自問自答してみましょう!
会社の人間関係でも一緒です

そこに全力で向き合い、受け入れることです
そうすると人間関係を楽しめるようになります
これが「明らか」にして「諦める」ということです
普段、踏ん反り返り、威張り散らしている上司なども
1人の弱い人間なんだと…
こういうやり方しかできない、知らないなど…
意外な一面が見えてきます
完璧な人はいません
それを補う、助けるということを
我々の先祖、日本人は普通にしてきました
画像の文字通り
「言いたいことは、遠慮なく言う!」
ここが始まりであり、ここが肝です!
膝を付け合せる、感情的にならず建設的な
議論をする

SNS、メール、LINEなど便利なツールが
人間関係の本質を脆弱にし
対人間関係を難しいものにさせている
便利は快適でも必ずデメリットが存在することを
忘れないでほしいと思います!

“損得”という言葉を日常の中で
使ってしまう人も、苦が多くなるでしょう
なぜなら、損得で動く人は
得をするためには人も裏切ることがあります
そんな人を信用する人がいないのは当たり前です
ただ諦めるのではなく
状況を明らかにする勇気を持ちたいものです
それを「声」して
より良い人間関係、組織風土、地域商店街、ご近所など
活性化していきましょう!
君の、みなさんの声を聞かせていきましょう!
これが必ずや問題、課題解決に繋がります!

少し、長くなりましたが
では、また

私の志は日本や世界の肉体的、経済的、精神的
再生復活



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