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251、介護

結局。面接の結果の連絡も、不採用なら返すと言っていた書類のどちらも届いてない。また、就活サークルに戻らないといけないだろう。
就活サークルといったところで、なにをするというわけでもない。履歴書を書いたり、読書をしたりしにいくだけだ。最近は、自習を勤しんでいる。
通うメンバーも、週五、朝から夕方まで、真面目に通っているのは、ぼくくらいで、他のひとたちは、皆、独自の活動をしている。
家にいるのが嫌だ、というひとがただ、通うところなのだ。
ところで。デイサービスが、デイケアとこうも違うとは知らなかった。ぼくは、デイケアあがりだ。
デイサービスと、デイケアの違いは、デイサービスは、お年寄りが時間を過ごしにくるところ。デイケアは、お年寄りが治療に来るところ。と、おぼろ気ながら聞いていた。
こうまでも、デイケアあがりの、ぼくの経験が役に立たないとは、思ってもみなかった。
こんなことなら、若いうちから、デイサービス系に行っといたら良かった。と、思ってしまう。ぼくは、お年寄りの介助というよりは、もっと、お年寄りと仲良くコミュニケーションを大事にしたい、とかねてより思っていた。
デイケアに就職してからも、お年寄りがオムツを汚していないと、ほっとする、それって、な~んか、ぼくの想像してたのと違うなあ、と思ってたからだ。
 もっと、ひとのやさしさなどに触れるはずなのになー、とは、なーんとなく考えてきたことだった。
それなのに、デイケアとくれば、お年寄りを「さばく」に近いかたちで接してきたのは、否定できない。
ひとの嫌がることを、すすんですることが仕事!という、考えがどこかにあったのだ。
ところが、いま、行こうとしているデイサービスは、そんな必要ない。自立度の高いお年寄りと、介助の必要もない。コミュニケーションをするところである。どっちかというと、デイケアで黙々と介助をしてきたというと嫌がられる。
そりゃ、そんな!介助なんて、必要ないのなら、最初っから、そっちのほうを好むもんだろう。
母の介助が必要だったとは、別の話にして。
いや、母だって、そんな介助よりも、コミュニケーションのほうを欲していたに違いない。
なら、それならそうと、最初っから言ってくれたら良かったのに。
そう思うのが当然だ。
こりゃ、道間違えたな、などと部屋の窓を開け、いままでたどってきた人生の反省と後悔をかみしめる毎日である。

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