自己紹介②【抗うつ剤編】

前回から続き


街の精神科クリニックの門を叩き
「強迫性障害」という診断名を貰い
デプロメールというSSRI系の抗うつ剤を服薬するようになりました。

当時は「その薬を飲めば治るかも、、」と淡い期待を持っていたのですが、、、

・・・・

服薬することによって
「全てを偶数に合わせる」
というルールを破った時に訪れる不安感が減っていったのは確かに感じました。

それまではルールを破ると、身のやり場がないような不安感に襲われ
そのルールを破ったことに対する打ち消しの追加ルールを完遂するまでひたすら行動をし続けていたのですが

服薬することによって、ルールを破った時に訪れる

「早くなんとかしなければ」

といった不安感がぼやけていきました。

ただ、服薬してもその「なにか」が決めたルール(強迫観念)自体は一向に消えることはありませんでした。

そして、不安感をぼやかしてくれる副作用として

不安感だけではなく、怒りや喜びや楽しみ、
人間として感じる全ての感情が平坦になってしまったような感覚になっていきました。

「離人感」と呼ばれる抗うつ剤の副作用です。

そして、服薬を続けるうちにこの「離人感」が徐々に強く出てくるようになりました。

あやゆるものにリアリティがなく、自然に感じられるはずの喜怒哀楽の感情がぼやかされ
世界の全てがピンボケをしているようで色がありません。

当時はまるで世界の全てをゲームの画面越しに見ているように感じていました。

現実感が薄く、今目の前で起こっている事も浅いまどろみの中で見ている夢の中での出来事のようです。

当時、電車で大学まで通っていたのですが
駅のホームで快速電車が目の前を通過する時に

全部の行動にリアリティが感じられない中、

「このまま足を一歩前に踏みだす(電車に飛び込む)」

という選択肢だけがやけに現実感のある選択肢として頭によぎりゾッとしたのを覚えています。

病気を良くするために抗うつ剤を飲み始めたはずが、逆に薬を飲むことで生きていく苦しさは増していくばかりでした。

正直この離人感の方が強迫観念そのものよりキツかった思い出があります。

その後、
薬の力だけで解消できる問題ではないと思い、
心理学の本を読み漁って、そこに書かれた実践的な治療法を試すなど
自分なりにこの病気と向き合うという事を始めるようになりましたが

この「強迫性障害」という病気は
当時の自分では思いもつかなかったきっかけで解消に向かうことになります。


東日本大震災です。

次回に続きます。


〜〜〜

余談ですが、こういった経験があるため
私は抗うつ剤の使用には基本的には慎重派です。

精神科の薬は症状を抑えるだけで、根本的な解決にはなりません。

それは例えるなら、家の中で生ごみが臭っているからと言って
その生ごみに蓋をして隠してしまうようなものです。

臭いは一時的的におさまるでしょうが、ゴミが無くなったわけではありませんし
蓋をしてしまったことによって、発酵して更に異臭を放つようになるかも知れません。

心の問題を解決する方法は、ゴミに蓋をすることではなく
むしろゴミの蓋を取り、病気となってしまったその原因をちゃんと見定めて取り除くことです。

異臭が症状だとしたらその原因になっているのは抑圧された感情やカルマといったゴミそのものです。

その異臭(症状)にフォーカスして抑えても根本的な解決にはなりません。

もちろん希死欲求が強い場合や統合失調症など
緊急性の高い場合は症状をきちんと抑えることも必要ですが

症状を抑えることと心の問題を解決することは明確に違うということに気がつかないと
方向を誤ってしまいます。

心の不調は自分の抑圧された闇と向き合うために用意されたチャンスです。

渦中にいる人はそんな事は思えないかも知れませんが
もし何か心に不調を感じているとしたら

「自分に今大きな浄化が起きている」

と信じて下さい。

大丈夫です。
嵐はいつか過ぎ去ります。

そして嵐が止むタイミングは必ずしも選べませんが、
救いの手は今の自分の頭では考えつかないような方法やタイミングでやってきます。

それまでは「きっと良くなる」事を信じてその大きな浄化と向き合っていきましょう。


シャーマン司

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