自己紹介③【東日本大震災編】

前回から続き


東日本大震災後、日常の風景が一変しました。

電波塔が被災したため北関東にある実家とはしばらく連絡が取れず、
スーパーの棚はガラガラでガソリンスタンドでは長蛇の列が当たり前になりました。

テレビを付ければ原発と被害情報のニュースばかりで
企業CMの代わりに差し替えられた日本広告機構のCMの不自然な明るさが
深刻なニュースとのギャップで異様な空気感を醸し出しています。

当時、抗うつ剤の離人症状によりリアリティが薄い感覚ながらも

外側で起こっている出来事に対して

「これはとんでもない事が起こったぞ」

と感じていました。

東日本大震災当時の僕は薬を中心としない、ある療法に出会ったばかりの頃でした。

その療法は「森田療法」という治療法です。

かいつまんでいうと、強迫性障害のマイルール(強迫観念)をあえて破り
その不快感に身を任せるという治療法です。

強迫観念からくる不安感を抗うつ剤で抑える

という現代医学的な方向性で治そうとしていた自分には画期的な方法に思い、実践してみることにしました。

しかし、抗うつ剤で不安感は減っていたとはいえ

全てを偶数で揃える

というルールを破ることによって訪れる不快感は凄まじいものでした。

「今通り過ぎた看板、一回しか見てないよ?偶数にしないと家族が死んじゃうかもよ?」
「コップ一回しか触ってないけど大丈夫?交通事故に遭うかもよ?」

実際に声が聞こえるわけではありませんが
そういった確信めいた予感がゾワゾワとした感覚と共に
まるでそのルールを決めた「何か」からの声のように降り注いできます。

その声を無視して訪れる不快感をただじっっっと耐えて消えるまで待ちつづける、、、

襲いかかる不安感と焦燥感にパニックになりながらも、
耐え続けているとちょっとずつ
本当にちょっとずつですが、その声が少なくなっていくのを感じました。

まるで今まで見ないふりをしていた、自分の心の内側にある地獄の釜の蓋をちょっとずつ開けているような感覚でした。

・・・

外側では東日本大震災

内側では降り注ぐ強迫観念と不快感

2011年の初期はまるで外側と内側で激しい嵐が吹き荒んでいるようでした。


そして、僕がそれまで苦しんできた強迫性障害は
東日本大震災から丁度1ヶ月後の2011年4月11日に全く思いもよらない方法で完治する事になります。

次回に続きます。


この森田療法で培った

不快感を何もせずに感じる


という方法とスタンスは
僕がシャーマンとして活動する大きな基礎になっているように感じます。

そもそも感覚や感情に良いも悪いもありません。
それらは平等に自分たちから産まれた子供のような物で
良いも悪いもない純粋なエネルギーとして私たちに訪れました。

それらを無理に抑えようとすると、心の影になり
いつかその影が独立して大きな反撃をしてきます。

現代に生きる僕たちは自然に感じるありとあらゆる感覚や感情に蓋をする事が当たり前になっています。

感じた不快感をそのまま外側に出してしまうと、周囲から軋轢や反感を買い、
悪いカルマを積むことになるのでやめた方が良いですが

それらを「なかったこと」や「感じてはいけないこと」にして蓋をしてしまうと
自分の心に大きな影を作ることになります。

訪れた感覚を判断せずにただその感覚と一緒にいると、
その感覚は消えていきます。

何か嬉しい事があった時のように
不快感が来た時もそれをそのまま感じてあげて下さいね。

それもあなたが自然に感じる感覚の一部であることは間違いないのですから。


シャーマン司

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